第236話 夜明け前


 やあ、テイル。


 来てくれると思っていた――すまない、嘘だ。

 実のところ、来るかどうかは半々だと踏んでいた。

 礼を言うべきだと分かっている。分かっているけれど……


 すまない。


 なにしろ、僕が頼んだ『ノービスの英雄』になるということは、テイルが望みとは真逆の道を歩ませることになるからね。

 幸福な破滅よりも苦難の生存を選んでくれた。

 今、理解するのはそれだけでいい。

テイルも、僕も。



 うん、ここはどこかだって?

 まあ、いくら夜目が利くからといってこっちが誘導するがままにたどり着いたんじゃあ、場所までは知る由もないよね。


 ここは中央区画の一角を一時的に借り受けた、烈火騎士団の駐屯地さ。

 訓練する広さは十分、壁も強固で防御陣地としても機能する優れた物件だ。

 一つだけ不満を挙げれば、こうして部屋の中に入っても行き交う鎧姿が鳴らす金属音から逃れられないところかな。

 そしてここは、今もマクシミリアン領を侵そうとしているゴブリンを排除するための、大規模駆逐作戦の本部でもある。

 指揮は烈火騎士団、主力は衛士隊、そして討伐軍の象徴となるのがノービスの英雄。


 つまり君だ、テイル。


 マクシミリアン公爵と派閥貴族を含めた領内から徴兵して、訓練を重ねた衛士を中心としたジオグラッド公国軍五千がここジュートノルを進発し、マクシミリアン領とガルドラ領の緩衝地帯へと向かう。

 そこで、同じく集結してきたゴブリンの大集団と会戦、これを撃破し勢力圏を大いに削り、公国の絶対防衛権を確立する。


 もちろん、これで終わりなわけじゃあない。

 公国の領地だけを守っているだけじゃあダメだ。こちらからも打って出ないことには僕達に未来はない。


 大規模駆逐作戦から一月後、ジオグラッド公国は全力を以て王都アドナイの奪還を敢行する。


 もちろん、公国軍単独で成し遂げられるほど、王都を占拠する不死神軍は甘くはない。

 すでに各地に散った諸侯には奪還の檄文を僕の名で送り、多くが王都に参陣するとの返答をもらっている。

 この諸侯軍での大包囲を以て不死神軍を殲滅した暁には、ジオグラッド公国連合に加わる貴族が飛躍的に増大することだろう。


 一方、アドナイ王国の長い歴史を綺羅星のごとく彩る英傑達がアンデッドとして復活し、叛逆者ルイヴラルドと裏切りの司教ワーテイルの下に集っている。

 その数と質を考えれば、不死の力に対抗しうる聖術士の数は不足していて、不死神軍もまた明確な弱点への対策を取らないはずがない。

 王都奪還をめぐる戦いが壮絶なものになることは間違いないだろうね。



 そこで鍵となるのが、王都奪還側の勢力ををいかに一つにまとめられるか……

 もったいぶった言い方はよそう。要は、僕と敵対する勢力をいかに抑えられるか、という意味だよ。


 テイルも知っての通り、ジオグラッド公国と対立する勢力は二つある。


 一つは、マクシミリアン公爵領と接し、長年アドナイ王家への野心があったとされるガルドラ公爵家とその一派だ。

 平和な時代に入ってもなお軍事力の強化を旨として、魔物の領域の切り取りに熱心だったため、立身出世を願う中小の貴族や騎士からの求心力が高い。

 王国直轄軍が事実上消滅した今、アドナイ王国最強の軍と言っても過言ではないわけだ。


 もちろん、リーナを誘拐しようとしたり、非公式とはいえ公国の使者であるリーゼルを襲撃したガルドラと馴れ合うつもりは毛頭ないよ。

 特に次期当主に限って言えば、アンデッドと戦っている最中に公国軍の後ろから刺しに来てもおかしくないからね。

 これを友軍と呼ぶのは、軍事に疎い僕ですら憚られるよ。

 まあ、そうならないように手は打っていくつもりだから、仕掛けを御覧じろ、ってところだね。



 さて、もう一つの敵対勢力だけれど、ざっくばらんに言ってしまうと、我が長兄であるところの王太子エドルザルドの派閥のことだ。


 血を分けた兄弟なのにおかしいと思うかい?

 基本的には僕も同意なのだけれど、こと家督継承となればどこの家でも話は別だよ。

 ましてや、一国の王の座となればなおさらで、後継者に確定していた嫡男がふさわしくないとなれば、長兄の胸の内はともかく周囲が荒れてしまうのはむべなることかな。


 ある程度は予想していたんだよ。

 長兄は平時を無難に治めるにはうってつけの人材だと言える。

 決して我を通すことなく何事も周囲の意見をよく聞き、必要とあらば身分を超えて耳を傾けることも厭わない。

 生まれてくる世が異なれば、アドナイ王国屈指の名君として末永く語り継がれたかもしれない。

 けれど、災厄の到来と次兄の叛逆という二つの苦難に、長兄は自らの弱点をものの見事に露呈させてしまった。


 あくまで噂だけれど。

 王都失陥直後は最大勢力を誇っていた王太子派は、現在分裂の危機にあるらしい。

 理由は一つ、エドルザルド王太子の指導力の欠如だ。

 王家の威信を示すためにすぐさま王都奪還を図るか、それとも体勢を立て直して上で完全なる勝利を求めるか。

 そんな大方針を決める時すら、長兄は自らの考えを述べなかったそうだ。

 そうやって時を浪費していくうちに、櫛が欠けるように一人、また一人と貴族や騎士が自らの領地へと帰って行ったそうだ。しかも、有能な者から順に。

 今や長兄の下に残っているのは、代々王家の威光に縋り続けるだけで決して責任を取ろうとしない、無能な腰巾着ばかりだという。

 それでも、僕の呼びかけに応じて長兄自ら軍を率いて王都奪還に参陣してくるらしいけれど、どこまで信じていいものやら。

 政治的にも、軍事的にもね。



 随分と先に進み過ぎてしまった。話を戻そう。

 まずは、マクシミリアン領からゴブリンの脅威を完全に排除する。

 全てはそれからであり、ゴブリンの件さえ済めば今後の展望は大いに開ける。その予定だ。


 だから本題に入ろう。


 テイル、君の役目はジオグラッド公国の切り札、ノービスの英雄だ。


 限られた知略に長けた者達を密かに招集し極秘裏に練らせた、この先の公国の戦略において、現有戦力で十分に事足りるとの報告が上がってきている。

 けれど、彼らには悪いけれど、想定通りに事が運ぶとは僕は微塵も思っていない。

 十中八九、アクシデントは起こる。それも僕らにとって悪い風向きのことばかりが。


 そのために、いくつかの次善の策を打ってある。

 分かりやすい例で言うと、レナートはその一つだ。

 彼は局所的に投入すれば単独で一個戦力として機能するし、使い方次第では万の軍にも匹敵しうる。


 そして、秘策中の秘策、唯一最大の切り札こそがテイル、君だ。


 具体的な役割はおいおい説明していくけれど、改めて覚悟してほしい。

 今後、テイルの名はアドナイ王国のみならず、四神教圏全てに鳴り響くことになるだろう。

 君は五千年前の英雄の復活という意味だけじゃあなく、ジオグラッド公国が四神教と決別する証、公国直属の衛士隊の象徴として先頭に立ってもらうことになる。


 話が違う?そんなことはないさ。

 エンシェントノービスのテイルの存在が広まれば広まるほど、ノービスの加護を擁するジオグラッド公国の力が喧伝され、傘下に入りたい勢力も増える。

 それはそのまま、公国に住むテイルの大切な人達が生き残る道を明るく照らすことに繋がる。


 そのためには――これ以上は野暮かな。


 さて、そろそろ夜明けだ。

 衛士隊の第一陣が出発する頃合いでもある。


 僕達も馬車へと向かおうか。

 大丈夫、僕の馬車は寝るには十分な広さがあるからね。

 今日まで寝不足だったようだから、ゆっくり眠るといい。


 起きるころには、戦場に着いていることだろうさ。

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