第234話 公王と公爵の語らい
エルフとドワーフ。
異邦の客を同時に迎えたジオグラッド公国公王ジオグラルドは、それぞれから難題を突き付けられる。
しかし、それは同時に彼らの境遇を思えばある程度予測できていたことであり、話し合いを重ねれば一定の意見の一致を見る確信はあった。
それでも、妥協案の了承を受けた直後に訪れる解放感と極度の疲労は襲ってくるものである。
ましてや、唯一の理解者であり同志でもあるマクシミリアン公爵と苦労を分かち合いたいと願うのは無理のない成り行きだった。
「まずは、エルフ族とドワーフ族との協定締結の道筋がついたことを祝おうか。ご苦労だったね」
「公王陛下こそ。この先の各所の調整を思うと頭が痛いですが、今宵だけは諸事を忘れて飲み明かしましょう」
三人はゆったりと座れそうなサイズの対のソファにそれぞれ身を委ね、手に持った杯を掲げて互いをねぎらうジオグラルドとマクシミリアン公爵。
宝石のように美しく研磨されたグラスの中の琥珀色の液体を一気に飲み干したあたりに、二人の心労がよく表れていた。
「それで、アルベルト殿、シルエとの交渉はどうだったんだい?報告は上がってきているけれど、実際の感触を聞かせてほしい」
「は、お聞きの通り、私の身柄の引き渡しの猶予を設けることで妥結いたしました」
「期間は?」
「二十年です」
「……短すぎる」
「これでも、我がマクシミリアン家と公国の事情を鑑みて配慮してもらえたようですよ。未だ幼き息子の教育と私自身の寿命との兼ね合いを考えれば、妥当ではないでしょうか」
「……その分、若き次期当主の補佐ができる側近にしっかりとしてもらわないとならないだろうけどね。それで、いいのかい?」
「なにがでしょうか?」
「エルフ族の元に行った後の話に決まっているじゃあないか。最悪の場合、死よりも残酷な最期が待っているのかもしれないんだぞ」
「覚悟の上です。あと二十年という年月で、見事ジオグラッド公国の行く末に道筋をつけて見せましょう。亡き先代のように」
「……容認はできない。けれど、マクシミリアン公爵家として公国の政に些かの遅滞も生じさせないというのなら、僕が口を出せることでもない」
「黙認していただけるだけで十分です。それで、ドワーフの方は納得したのですか?」
あくまでも淡々と。
自身の生に限りができたことを事も無げに受け流した上に、主君の配慮までして見せたマクシミリアン公爵に、ジオグラルドは苦々しい顔をやめた。
「一応はね。公国樹立の直後にあまり使いたくはない手だけれど、既存のルートに圧力をかけてドワーフ製武具が入り込む余地を無理やり作ることにした」
「それしかないでしょうな」
「ただし、あまりにも人道に反する案件に関してはきっぱりと拒絶した。その分、他で埋め合わせる必要が出てしまったけれどね」
「致し方ないでしょう。確かに、衛士隊のためのドワーフの武具は我らにとって垂涎の的ですが、それで公国の国体が守れぬのであれば本末転倒です。ドワーフ族とて、我らとの取引がなければ材料の調達に支障が出るのですから、譲れぬ点ははっきりと主張しておくべきでしょう」
「アルベルト殿からそう言ってもらえると助かるよ。要点はすでにまとめさせてあるから、明日にでも各所に通達、周知徹底を頼むよ」
「承りました」
話が一段落したところで、予め待たせていた給仕に軽食を運ばせたジオグラルド。
これで問題が片付いたのなら本格的な晩餐に移るべきなのだが、議題はまだ残っているのだ。
むしろ、これからが本番である。
「さて、これで一通りの地盤を固めることができたと思う。備えはできているかな?」
味だけならあの白いうさぎ亭の方が上だな。
ナプキンで口元を拭いつつ、そんな益体もないことを考えながら話すジオグラルドに、マクシミリアン公爵が大きく頷いた。
「ドワーフ製武具のジュートノル到着が三日後、衛士隊の装備習熟訓練にさらに三日、休養日を一日設けまして、七日後には先遣隊が出立する予定です」
「あちらの方は?」
「さすがに武具の到着が遅れては取り返しがつきませんので、四日後に作戦開始の急使を送る手はずを整えております。ですので、正確な日付が判明するのは少し先になります」
「……今は一日が惜しいとはいえ、ゴブリンという魔物が相手のことだ、多少のずれは仕方がないか」
「気が早い感は否めませんが、ジュートノルでの準備を三手先まで進めておけば、その程度の遅れは取り戻せるでしょう」
「そのあたりのことはアルベルト殿に一任するよ。僕からの注文は、周囲とよく諮ってくれという一事のみだ」
「承知いたしました。しかし、本当によろしいのですか?」
「何がだい?」
「ゴブリンの件は、本来ならばマクシミリアン家が片を付けるべき問題であって、公国の切り札である衛士隊を動員するには大義名分に欠けます。悪くすれば、ガルドラに手の内を晒すことになりかねません」
「それを押してでも、衛士隊を出撃させる必要がある。ジュートノル内の訓練や小規模な演習だけでは獲得できない、戦場の空気を知ってもらうにはこのタイミングしかない。これを逃せば、次に待っているのは本物の地獄だ。そこにいきなり衛士隊を放り込むのは、さすがの僕も良心の呵責があるよ」
「……出過ぎた真似をしました。公王陛下のご意志のままに」
「いや、いい。公国軍の統帥権はアルベルト殿に預けたつもりだ。法に照らせば僕の方に非がある。けれど、先々のことを考えると、どうしても踏まなければならない段階だと理解してほしいんだ」
「わかっております。ですが公王陛下、我が家に関わることとして、一つだけお伺いしておきたい件があります」
「なんだい?……わかっているよ、テイルのことだろう」
「あれは平民ですが、なかなかに気骨のある男です。例の特異な力を差し引いても、ティアエリーゼ姫殿下を御救いするなど、成り行き次第では下級貴族に叙せるほどの功績があります」
「そして、ゆくゆくは何かと理由をつけて家格を上げて、君の愛しの妹を添わせるつもりなのかい?」
「話をそらさないでいただきたい。貴族にも騎士にもすることなく戦場に立たせ続けているなど、高貴なる者の矜持に反しておられる。公王陛下はあの男をどうするおつもりなのですか?」
「僕は、テイルにだけは命令しない。ただ、僕の望みを伝えて、決断を待つだけだ」
「どういうことですか?」
「出立の日時と場所は伝えた。あとは、テイルが来るか来ないかだけだよ」
「それは……!?」
「心配しなくとも、テイル抜きでの計画も練ってある。賭けとしては少々分が悪くなるけれどね」
「……私としては、あの男が現れないのを願うばかりです」
「僕もさ。来てほしい思いと来てほしくない思いが、今この時も僕の心の中を渦巻いている」
「ふっ、勝手なお方だ」
ようやく苦笑を見せたマクシミリアン公爵を見ながら、今さらながらにずっとグラスを握りしめていたことを思い出して、すっかりぬるくなった酒を一気に煽るジオグラルド。
その様子を眺めていた公爵だったが、ふと思い出したように言った。
「そういえば、例の件はどうなさるのですか?」
「例の?ああ、余計な気遣いをさせて済まないね」
「いえ、それは構わないのですが。……知らない仲ではないので、少々同情を禁じ得ないだけです」
「ゴブリンの件が片付けば、いや片付かなくても、その後でけじめをつける。というより、何が何でも僕は僕の望みを叶えるだけさ」
「最初に打ち明けられた際にも思いましたが、本当に人族の存続はついでなのですね」
「失望したかい?言っておくけれど、アルベルト殿に裏切られただけで僕は詰みだ。すでに公国の実権のほとんどは委譲しているから、僕を殺したところでさほど困ることはないだろう」
「まさか。公王陛下は公国の象徴であり、衛士隊の心の拠り所でもあります。なにより、我らを導く役目をこのようなところで放り出されるわけにはまいりません」
「そうか、なら、もう少しだけこの命を懸けることにしようか」
「是非にも」
そう聞いて杯を掲げようとしたジオグラルドだったが、肝心の中身が残っていないことに気づいて、照れ隠しの咳払いの後に給仕を再び呼んだ。
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