第233話 分水嶺
応接室に冷たく重苦しい空気が満ちている。
ちなみに、その元凶であるエルフのシエルは言いたい放題言ってすぐに出て行ってしまったので、これ以上事態が悪化する心配だけはない。
だけど、暗い雰囲気を醸し出しているジオとマクシミリアン公爵は一切口を開こうとせずに、心の中で葛藤を続けていることは見ただけでわかる。
これじゃ埒が明かないと思ったんだろう、唯一場の空気に呑まれていないザグナルが口火を切った。
「よかったではないか。少なくとも、条件付きではあるがエルフ族が手を貸してくれると言ったのだ。ここは喜ぶべきところであろうが」
「……簡単に言ってくれるじゃあないか。僕の頭は過去の恩讐の件だけでも手一杯だっていうのに、この上マクシミリアン公爵の命を差し出せと言ってきたんだ。もしシルエの条件を受け入れたとして、この損失がどれほどジオグラッド公国に打撃を与えることか想像もつかない。これを喜べと?」
「一国の重臣の首一つで、これまで敵視されてきたエルフ族の助力が得られるのだぞ?安い買い物ではないか。それに、シルエはマクシミリアン公爵家の家名断絶を要求したわけではあるまい。つまり、子に家を継がせる余地を残している。むしろ温情をかけられたと感謝すべきではないか」
「そんなことができるものか!!」
「ならばシルエと交渉しろ。奴が今日この場に来たということは、話を聞く耳を持っているからかもしれん。交渉して妥協点を探りだすのが貴様の仕事だろうが」
「……そのとおりだ。助言、感謝するよザグナル」
まだ収まらない感情を押し殺して礼を言うジオ。
その余裕のなさを感じ取ったんだろう、ザグナルの目に鈍い光が宿った気がした。
「それはそうと、ドワーフ族からの助力の条件を聞いてもらいたいんだがな」
「要はな、公王陛下がドワーフに求めた助力は、武器の提供――それも公国の予算が動くほどの大量のな。そんな生臭い話をお前に聞かせるのを公王陛下もためらったんだろうぜ。あ、ちょっと喉を潤していいか?」
シルエとは違った意味で、ザグナルからのきな臭い話が始まるかと思ったその時、なぜかこのタイミングで一人追い出されてしまった。
のけ者にされてちょっと寂しくなったのと同時に、このまま白いうさぎ亭に帰ってもいいんだろうかと迷っていたところに図ったように現れたのは、監察官という大層な肩書になったらしいレナートさんだった。
「ちょっと付き合えよ」
そう誘われて断る理由もなく、ついていった先は政庁の三階に設置されたバルコニー。
平民に開放されたらちょっとした観光名所になるだろうな、というくらいに広い敷地の端で、柵に肘をついたレナートさんは今まさに応接室で交わされている話題の推測を述べると、腰にいつもつけている革の水筒を手に取って中身の液体に口をつけた。
風下だったことが良かったのか悪かったのか、液体の正体にはすぐに気付いた。
「ってレナートさん、それ酒じゃないですか!?」
「いーんだよ。監察官なんてのはあると言えばある、ないと言えばないフレキシブルな仕事なんだ。真昼間から酒を飲もうが何をしようが、やることさえやっときゃ文句を言われる筋合いはねえんだよ。それに」
「それに?」
「今日の俺の仕事は応接間で絶賛繰り広げられている密談の内容を掻い摘んでお前に教えりゃ、それで終了だ」
「……あるんじゃないですか、仕事」
「馬鹿野郎、酒ってのはな、口の滑りを良くするために飲むもんなんだ。勤勉な俺はむしろ仕事のために泣く泣く酔っぱらってんだよ」
「どんな理屈ですか……」
お世辞にも真っ当な人生を歩いてきたわけじゃない俺にでもわかるような、レナートさんの暴論。
それでも何の罪悪感も感じていないのか、もう一度革の水筒の中身を煽ってから、監察官様は強引に先を続けた。
「要はな、ドワーフとの話の中身は武器の取引なんだよ」
「武器、ですか?」
一瞬納得しかけて、俺が退室する直前の憮然としたジオの表情を思い出す。
「ここで一つクイズだ。冒険者と衛兵との最大の違いは何だと思う?ああ、ジョブの恩恵なんてわかり切った答えは無しだぞ」
「ええっと……、装備の質ですか?」
「大体その通りだが少し違う。正確には、装備の耐久力だ」
「……ああ、なるほど」
実は、俺が冒険者学校に入ってから一番困ったことがまさにこれ、武器防具の調達だった。
もともと、冒険者としてのイロハを学んだら退学するつもりだった俺は、実習とかで使う装備は必要最低限で済ますつもりだったけど、いざ魔物と対峙した時に見事な大失敗をやらかしたことに気づいた。
つまり、魔物の腹を突こうと手にしていた自前のナイフが根元からぽっきりと折れて、そのお返しとばかりに反撃を食らって全治一週間の怪我を負ってしまったというわけだ。
もちろん、ジョブの恩恵込みでの話だから、これが一般人なら即死級のダメージに違いない。
というより、立ち会っていた例のマッチョ教官の話だとジョブの恩恵に関係なく死んでもおかしくなかったって言っていたけど、さすがにそれは大げさすぎると今でも思っている。大げさだよな?
そのマッチョ教官が言うには、ジョブの恩恵を受けた冒険者や騎士が使う武器は一般人のものとは基本的な造りからして違うらしく、値段も平民が護身用で持つには割に合わないほどの金額だった。
結局、借金返済用に貯めていたお金の半分を吐き出して最低限の装備を整えたのは、良くも悪くも一生忘れられない思い出になっている。
「強度に定評のあるドワーフ製武具を格安での提供する。それが話し合いの肝だ」
「それじゃ、ジオが一方的に有利な話じゃないですか。なんか裏があるとしか思えない条件ですよね」
「もちろんドワーフ側の条件はある。一つが、公国におけるドワーフ製武具の流通を認めることだ。要は、各ギルドが独占している権益に一枚かませろってことだな」
「なるほど。もう一つは?」
「公国におけるドワーフ製の武具の流通を認めることだ」
「……え?俺、バカだと思われています?」
「それこそバカ野郎だ。俺が同じことを二度も言うほど勤勉な性格だと思ってんのか?俺が一度目に言ったのは表の流通、二度目のは裏の流通だ」
「裏?闇取引ってことですか?」
闇取引。
どうにも聞こえが悪い言葉だけど、実際には別に遠い世界の話じゃない。
どんな職でも、それなりに勤め上げてさえいれば、一度や二度くらいは耳にするはずだ。
かくいう俺も、白いうさぎ亭で使う食材の仕入れ先から、出所が怪しくて異常に安い肉や香辛料を買わないかと持ち掛けられたことが何度もある。
そういったものは全部断るようにしているんだけど、俺にそう命じたダンさんは、時々独自のルートでその日のメニューに彩を添えたりもしている。
俺とダンさんじゃ話のレベルが全く違うけど、あれも一種の闇取引だと思う。
ただ、レナートさんが言う闇取引の品物は武具。うちみたいに呑気な話じゃないことだけは確かだ。
「一言で言うと、王侯貴族にとってよろしくない武具の流通ルートがあるってことだ。ギルドを通さずに直接ドワーフから武具を仕入れている一部の冒険者や傭兵、盗賊なんかが相手だな」
「そ、それを?」
「勘違いするなよ。そんな感じの闇ルートはずっと昔から存在してた。俺にとっちゃ違法な武器の取引なんざ珍しくもないが、ドワーフ製となると話は別だな。普通に買おうと思えば超激レアで超高額だ」
「そんなにすごいんですか、ドワーフの武器って」
「頑丈で切れ味鋭い名作揃い、って言えばそうなんだが、どっちかっていうと既得権益に排除されて物珍しさが勝ってる、って感じだな。この場合の既得権益ってのは、人族の武器工房や商人だな」
「つまり、ドワーフ族の要求っていうのは――」
「ドワーフの武具の流通に関して、ジオグラッド公国が後ろ盾になれって話だろうな。もちろん、表裏両方のルートでだ。その見返りに、衛士隊の装備を一手に引き受ける。しかもタダ同然で、ってわけだ」
「……」
「なんだよ、さんざん人に説明させておいて感想の一つもなしか?」
「いや、そういうわけじゃないんですけど、なんていうか……」
「現実味がない、ていうか俺には関係ない、ってところか」
「っ!?」
その瞬間、俺の胸にまっすぐに立てられたレナートさんの人差し指が触れた。
言ってしまえばただそれだけのこと。
だけど、その指先から伝わるのは紛れもない殺気。
魔法の気配もない、ましてや特に力も入っていない一本の指で人を殺せるわけもない。
それでも、鋭い槍で瞬く間に貫かれたように、俺の体は動かない。
「まあ、お前の立場からはそう言うしかないんだろう。一度は冒険者ギルドの門を叩いたとはいえ今はただの平民。己の力を誇示するでもなく、戦いに喜びを見出すわけでもなく、自分と周りの平穏無事を願う何の変哲もない平民だ。だから、ここからが分水嶺。そこに入る前に、俺から一つ忠告だ」
口調は少しだけ真面目にした程度だろうか。
レナートさんの語り口はあくまでも落ち着いている。
だというのに、指を突き立てられた俺の胸からはさっきからずっと聞いたこともないような爆音が鳴り続けている。
「覚悟を決めろ。どっちに転ぶにしろ、お前には楽な道は残されていない。誰も代わってやれない。もう時もない。せめて、後悔だけはするな」
数日後、エルフ族とドワーフ族との交渉を終えたというジオに再び呼び出された。
この間と違って、待っていたのはたった一人。
そして、いつもの応接室で覚悟を問われた。
「どっちを選んでも、僕はテイルを責めない。ただ、これまで見聞きしてきたもの全てを秤にかけた上で考えてほしい」
俺は――。
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