第232話 黒歴史のエルフ


 不穏どころじゃない、敵対宣言としか思えないシルエの発言に思わず身構える。

 そのまま、腕輪から黒の装備を呼び出そうとしたところで、椅子に座ったままのザグナルに肩を押さえられて座り直させられた。


「落ち着け。シルエは殺気を出しておらん」


 見れば、ジオもリーナのお兄さんも苦虫を噛み潰したような顔をしてはいるけど、身の危険を感じている様子は全くない。

 唯一、不気味なくらいに落ち着いた雰囲気も氷の微笑も変わっていないのは、シルエだけだ。


「私がお前たちを殺すと思ったのか?殺さんよ、殺すはずがないだろう。勝手に滅びかけて勝手に我らを利用して勝手に裏切って勝手に増えて、今また勝手に滅びかけている。五千年経とうとも愚かなままの人族に手を下す必要などないだろう?だからそんな目をするな。仲介役の名が泣くぞ」


 見ると、マクシミリアン公爵が敵を見るような目をシルエに向けていた。

 だけど、それだけ。別に席を立とうとか斬りかかろうとか物騒な様子はない。

 問題は、リーナのお兄さんが羽交い絞めにしている、荒い息を吐きながら今にも飛び掛かろうとしているジオの方だ。


「人族など滅んでほしいだと?よくも僕の前でそんなことを……!!」


 常に飄々としていて、例えるならそよ風のような性格のジオ。

 その姿は見る影もなく、烈火のように怒り狂った様子に俺もマクシミリアン公爵もザグナルも大なり小なり面くらっていた。

 ただ一人、その美しい顔に冷たい笑みを浮かべるシルエ以外は。


「災厄に立ち向かう、そのために協力してほしいだと?傲岸不遜とはこのことだな。災厄を受ける身になりながらなお、己の罪に気付かないとは」


「何を……」


「因果応報、森羅万象、万物流転――五千年前より我らエルフに降りかかった災厄、それは貴様ら人族の繁栄に他ならないということだ」


 静寂が支配する応接間。

 同じ亜人なせいか訳知り顔のザグナル、困惑している俺とマクシミリアン公爵、そして驚きを通り越して呆然としているジオ。

 それらを見たシルエはなぜか舌打ちした。


「愚かな人族のことだ、どうせ考えたこともないのだろうと分かってはいたが、この程度で心を揺らす私も未熟のそしりを免れないな。恥かきついでにエルフの歴史について語ってやろう」






 エルフ族。

 森に生まれ、森に生き、やがて森で朽ちて森に還る亜人族。

 その生涯は自己で完結しており、一様に控えめな性格から良くも悪くも他種族との関わりは少ない。


 とは言っても完全に浮世離れしているわけでもなく、生活を豊かにする程度には森の外との交流もあるし、エルフ族なりの情愛も存在する。

 ドワーフからは矢じりや金属製品を、人族からは平地の食料や書物などを、我らエルフからは森の恵みや知識などを交換し合っていた。

 もちろん個々の関係の良し悪しなどはあったが、概ね良好な間柄だったと言える。

 少数ながら個人的な友好を結ぶ者もおり、中には種族の壁を越えて愛し合ったエルフと人族もいたと聞く。

 だからこそ、五千年前に人族が災厄に見舞われた際にはドワーフ族と共に救いの手を差し伸べた。


 今も五千年前も、災厄は人族に降りかかったものであって他の種族を脅かすものではない。

 しかし、災厄を与える魔物の群れの前に立てば、当然その限りではない。


 己の領域から出て不慣れな平原での戦いを選んだエルフ族が人族のためにどれほどの犠牲を払ったのか、直接目撃したわけではない私がここで言い連ねるつもりはない。

 ただ、援護のために平原へと向かった戦士のほとんどは還ってこなかった、そう伝え聞いているだけだ。


 やがて、エルフの里に災厄の終焉の知らせが届いた。

 文明こそ崩壊したが、人族はその命脈を保てたとも。


 しかし、我々がそれを直に確かめることはなかった。その余裕がなかったと言ってもいい。

 戦士のほとんどを人族の救援に送り出した我らにとって、これまで庭のように思っていた森が生きるための戦場と化したからだ。

 森が変わったのではない、我らが弱くなったのだ。


 それから数千年、我らエルフ族の歴史は停滞そのものだった。

 森の環境は厳しさを増し、腕を衰えさせぬための狩りはその日の糧を得るための生存競争と様相を変え、生まれる子は少なくなり大人になり切らずに死ぬ者も多くなった。


 もちろん、かつての繁栄を取り戻すために、森の外に助けを求めたこともあった。

 共に戦った人族たちは快く応じて、復興の途上ながら食料や戦力を分け与えてくれることもあり、心の底から感謝した。

 だが、そんな関係も長くは続かなかった。


 子から孫へ、孫から曾孫へ、子々孫々。

 代を経るごとに人族は我らと距離を取るようになっていった。


 いや、距離を取るだけならまだよかった。

 親ならば子や孫に教え聞かせられるだろう。だが曾孫なら?子々孫々に至っては?

 人の命は短く、口伝はいつしか断絶し、やがては書物に記された文字を追うだけになり果てる。

 そうして祖先の教えを忘れ、曲解に曲解を重ねた数千年後の人族は、魔物の脅威を駆逐し己が版図を広げんと森を侵し始めた。


 樹木は切り倒され、草花は焼かれ、あとに残ったのは魔物の血と人族の廃棄物で穢れた荒れ地だけだった。

 我らは土地そのものを奪われ、さらに限られた食料で生きながらえるには口減らしをすることすら当たり前になっていった。


 もちろん、何もしなかったわけではない。

 氏族の長である私の父は何度も人族の国に赴いてエルフ族の窮状を訴え、そのたびに体よく追い返された。

 ある時は、いっそのこと平原に住んではどうだと提案され、屈辱に打ち震えながら帰ってきたこともある。

 そんなことを繰り返され、それでも八度目の嘆願に出かけて、父は二度と帰ってこなかった。

 一度だけ、その人族の国に氏族の大人が問い合わせたことがあったが、


「そんな者が我が国を訪れたことなど一度もない」


 とにべもない返答だった。


 つまりはそういうことなのだろう。


 抵抗?武力の行使?

 ははっ、愚かで野蛮な人族がいかにも考えそうなことだ。

 恨みを暴力で晴らしてどうなる?さらなる恨みを産むだけではないか。

 そうして重なった因果がたどり着く先は、どちらかの破滅しかない。知恵あるエルフとしてそんな愚行は決して犯さん。


 なぜなら、天上におわす神々はあまねく全てを見ていらっしゃる。

 己が分を弁えない愚か者にはそれにふさわしい罰が下る。


 これは妄想でも何でもない。

 現に下ったではないか。災厄という名の天罰が、二度も。


 それでも手は貸してやる。

 条件は二つ。


 災厄によって人族が適度に目減りすること。


 そして、無残にも我が父の命を奪った人族の貴族の子孫、マクシミリアン家の現当主の首をこちらに差しだすことだ。

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