第229話 狩りと森とマントと


 疾走。

 跳躍。

 急制動。

 右旋回。

 左旋回。

 反転――からの大跳躍。


 思えば、これだけ何の遠慮もなく自由に体を動かしたのって、いつ以来だろう。

 いや、ひょっとしたら初めてかもしれない。

 日課の狩りの時に必要なのは隠密行動と確実な攻撃方法だし、まさかジュートノルの街中でエンシェントノービスの力を開放して飛んだり跳ねたりできるはずもない。


 いや、窮屈な思いをしていたってわけじゃない。

 今はまだノービスの加護を受けている時期の方が長いわけだし、いつもはその記憶の通りに、いざという時には限界以上の力を発揮するように心がけている。

 なら、今の俺の本当の限界ってどこにあるんだろう?

 挑戦したことは何度かある。ただ、どれも生死をかけて鎬を削るギリギリの戦いばかりだったので、ペース配分もへったくれもなく気絶するまで動き続けるばかりだったけど、ここではそうもいかない。


 見渡す限りの平原。近くに森や坂とか視界を遮るものは何もなく、足が遅いゴブリンを始めとした二足の魔物は滅多に見ることはない。いたとしてもすぐに狩られて骨になってしまうだろう。

 出現するのは、長距離移動に優れていて行動範囲が広い四つ足の生き物だけだ。


 アオオオウウウゥン


 噂をすれば影。

 聞こえた遠吠えの元を探して視覚を強化して見回してみると、オオカミ型の魔物らしき黒い影の集団が地平線を遮っているのが見えた。

 遠吠えの主だろう、群れのボスと思える一回り大きな一体がこっちに向かって駆け出して、十数体の子分があとに続く。

 このまま何もしなくてもすぐに、こっちからも向かっていけばさらに短い間で戦いの火蓋が切られるだろう。

 そう思って、右足の一歩からスピードスタイルをフルに利用した突撃をかまそうとして、ふとひらめいた。

 思い出したといってもいい。


 今なら、オーガの群れ襲来の時には不足していた条件を満たした今ならと、この距離からでもはっきりとわかる殺気に向かって意識を集中する。


『使用者の研ぎ澄まされた照準が観測されました。ギガンティックシリーズ、シュートスタイルに移行します』


 謎の声に導かれるように闇色の光を放ちながら、黒の装備が変化していく。

 意外だったのは、細部こそ違えど、全体的に下半身に装甲が偏っているスピードスタイルと酷似していたことだ。


 跳び駆けるための脚部には新しく鋼の爪が伸びて地面をしっかりと掴み、上半身は最低限の防御で動きを阻害しない。

 スピードスタイルからの最大の変化は、腰のあたりから生えている尻尾のようなものだ。

 さらに重心が低くなって安定感が増し、先端にある爬虫類の手のようなアームが生まれた時からあったかのように自在に動く。


 本来人族にはあり得ない尻尾は何のためか。そんなものは決まっている。


 俺は生えたばかりの尻尾のアームで足元に落ちていた手のひらサイズの石を掴んで手のひらの上に落とし、大きく身をよじらせながら後ろ上方に振りかぶる。

 これだけ動けば普通は踏ん張りがきかずに転倒してしまいそうなものだけど、脚部装甲の爪が地面を掴んで離さないのでよろける気配すらない。

 これなら、と普段のスローイングよりも大きく、体、肩、腕、指先をしならせながら連動させ、最後はそっと右手中指と人差し指で押し出すように石を投げた。


 ――刹那。


 ギャウゥ!!


 短い断末魔の叫びと共に群れのボスの頭が弾け飛び、驚いた子分達が我先にと地平線の向こうへと逃げ出していく。

 引き返してくる心配はないと確信しながら、それでも警戒は怠らずに成果を観察しに行くと、茶色い地面にどす黒く血の花を咲かせたオオカミ型の魔物が、絶命の証である痙攣を起こしていた。

 頭の周辺に白いパラパラとしたものが散乱している。魔物のものじゃないことは明らかだ。

 見た限りじゃインパクトの直後に跳ね返った様子もなかったし、魔物の頭にめり込んでもいないから、俺が投げた石は頭部直撃の衝撃に耐えきれずに粉々になったんだろう。


 これまでの投石と比べて、射程距離はざっと三倍、威力は肝心の石が砕けたから測定不能。


 底が見えない能力に背筋が凍る思いをしながら、俺はシュートスタイルの見極めを続行することを決意した。






 結論から言うと、最初の一投以外ののシュートスタイルの試行錯誤は芳しくない結果に終わった。

 練習自体はしっかりとできたんだけど、肝心の結果が最悪だったのだ。

 なにしろ、投げる石全部が魔物に当たって砕けるか、途中で風圧に耐えきれなくなって自壊してしまったんだから、シュートスタイルの能力を確かめるどころの話じゃなくなる。


 そんなわけで、どうすればまともな投石ができるのかと、とにかく数をこなそうと走っては魔物を見つけて石を投げ、失敗してはまた魔物を探して荒野を爆走して、を繰り返して徒労感が積み重なっていくうちに、ついつい地図の確認を怠ってしまっていた。

 慌てて懐から地図を取り出して何か目印はないかと周囲の景色と見比べてみて、初めて違和感に気づいた。

 地図の上ではこの辺りは一面平原のはずなのに、俺の視線の先には鬱蒼とした見渡す限りの森が広がっていたからだ。


「貴様、どうやってここにたどり着いた?」


 ふいに向きが変わった風に乗って、若い男の美声が聞こえた。

 俺以外には誰もいないはずの振り向いた先には、フードを深くかぶったマント姿の長身があった。


 ――いや、それだけじゃない。


 いつの間にかに森の方からいくつかの気配がする。

 俺が気づく間もないほど速いのか、それとも気配をごまかされたのかは分からないけど、警戒を数段階上げておく必要がある。

 そう思っていると、


「おい、耳が聞こえないわけじゃないなら、さっさと答えろ。なぜここにいる?」


「あ、いや、狩りに夢中になっているうちに迷ってしまって……」


「狩りだと?弓矢を持っていないじゃないか」


「俺の道具は石なんだ。だけど、投げ方を練習している内にこんなところまで来てしまったんだ」


「石だと……?」


 いぶかしそうにじろじろと見てくる(気がする)マントの男だけど、嘘は言っていない。

 魔物を狩っているのは本当だし、あちこち迷った挙句にこんな森の前まで来てしまったのも事実で、ただちょっと他に事情があるだけだ。

 そんな俺の思いが通じたんだろうか。

 マントの男はおもむろに左手を上げると、森の中の気配が霧が晴れるように遠ざかって行った。

 どうやら敵意はないと信じてもらえたらしい。


「とりあえず、お前が言うことは信じよう。だが、ここから先は我らの領域だ。余所者を軽々に入れることはしていないから、とっとと立ち去れ。そして、ここのことは忘れろ。まあ、二度とたどり着くこともないだろうがな」


「はあ、じゃ、じゃあ、そういうことで」


 後半、特に最後の一言は何を言っているのかよく分からなかったけど、理解した振りをしてフードのせいで顔が見えないマントの男と別れることにする。

 どうやって俺の五感を掻い潜ったのか、気にならないわけがないけど、下手に足を突っ込んで危険な目に遭うよりはずっといい。

 触らぬ神に祟りなしだ。


 そう自分を納得させて森に背を向けたその時だった。


「待て」


 嫌な予感がしたから、制止の声を無視して走って逃げようとしたけど、肩を掴まれてしまった。

 ここで振り払うのも敵意を示すことになりそうで迷っていると、


「その黒の装備……、もしやザグナルという名に聞き覚えはないか?」


「まあ、あるけど」


 もちろん覚えている。つい最近知り合ったばかりの、俺が初めて会ったドワーフの名前だ。

 とは言っても、偶然同じ名前なだけで同一人物じゃない可能性もあるから、うかつに話せない。


「やはりそうか。では、お前がテイルだな。それならそうと早く言え」


 同一人物だった。

 だけど、初対面同士で共通の知り合いのことなんて知る方法なんてない。

 それを早く言えだなんて無茶だという不満を込めて軽く睨んでいた俺の目が勝手に丸く開かれた。

 その理由は目の前のマントの男にあった。


「私の名はシルエ。ザグナルは古い友人なのだ」


 自己紹介したマントの男のフードが取り払われていて、黄金に輝く髪とすっと通った形のいい鼻立ち、切れ長で青く透き通った眼を露わにしていた。

 何より、その骨格と表情を見ればマントの男が実は女で、一番の特徴である人族ではありえない細長くとがった耳が亜人の一種、エルフであることは一目瞭然だった。



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