第228話 見舞いのジオと単独任務


 ジオグラッド公国といっても一平民に過ぎない俺には、アドナイ王国の直轄領だった頃との違いを感じ取ることができていない。

 だって、俺達が住むジュートノルは名前も商業都市の役割もそのままだし、白いうさぎ亭の経営も常連客も取られる税も特に変わることはなかった。

 だけど、実際には領境の線引きは結構な変更があった、しかも俺達が王都に滞在している間に法的にも確定していた、っていうのがジオの弁だ。


「公国と名がつく以上は、例えささやかでもそれなりの領土を与えて体裁を整えないと、僕を送り出す王家としても格好がつかない。そこで、ジュートノルの周辺の王家直轄領や、周辺の領地貴族から当たり障りのない集落を譲り受ける形で、ジオグラッド公国が成立したんだ」


「そうだったのか。ってことは、建国祭の時の観光客の中にも、公国に組み込まれた集落の人達がいたってことになるな」


「そうなんだけれど、ちょっと違う。彼らは観光目的でジュートノルを訪れたわけじゃあないんだよ」


「違うのか?てっきり、ジオへの挨拶のついでに祭を楽しんでいったんだと思ったけど」


「それだよ。彼らがジュートノルを訪れた目的は、まさに僕に会うためだったんだ。ただし、観光目的なんて悠長な話じゃあなく、集落を襲う魔物を何とかしてほしいという陳情のためにね」


「魔物が!?」


「ジュートノルにいると気づかないかもしれないけれど、王都失陥以降、人里離れた集落での魔物の脅威は急激に拡大しているのさ。単純に災厄の影響が顕著になってきた上に、王都の冒険者ギルド総本部が機能しなくなったことで冒険者の運用効率が悪化しているからね。防衛力が低い個所から魔物に狙われているということだよ」


「そんなことに……」


 ジオの言う通り、アドナイ王国でもそれなりの規模の街であるジュートノルに住んでいると、それこそ街壁の外に出て狩りでもしない限りは環境の変化に気づくことはないかもしれない。

 俺だって、白いうさぎ亭で仕事をしている間は魔物の脅威なんて考えたこともないくらいだ。


「その被害は深刻だ。ここ一月だけで、公国領内の農民に限っても三十人以上が魔物の犠牲になっている。これは小規模の集落の構成人数に匹敵する数字で、公王の僕としても見逃せない重大事だ。そこで、かねてからミザリー大司教と練り上げてきた公国民皆兵計画を実行に移すことになった」


「……一つ疑問なんだが、なんで四神教のミザリー大司教が、ジオにそこまで協力してくれるんだ?普通に教えに反するんじゃないか?」


「ところがところが、そうでもないのさ。彼女の信条は四神教において異端派であっても異端ではない。はるか昔、仲間も世界も自分の夫も裏切って、ノービスの英雄を密かに埋葬した治癒術士の精神は細々と、しかし脈々と受け継がれていたんだ。その今代の継承者が、ミザリー大司教というわけさ」


「は……、ええっ!?」


 平然とした表情で話すジオとは対照的に、動揺を隠せない。というか、普通に叫ぶくらいに驚いている。

 五千年前の結末――アイツの骨が元仲間の治癒術士によって持ち出されて、このジュートノルの近くの森に隠された話はもちろん覚えているけど、それがミザリー大司教につながるなんて夢にも思っていなかった。

 それ以上に、四神教への裏切りをよくも五千年もの長い間を隠し通せたなと、ジオから聞いた今でも信じられない思いの方が強い。


「ノービス神の現世への影響力を完璧に消し去ったという自信が四神教の上層部にあったんだろうけれど、それを加味しても奇跡としか言いようがないよね。実際、治癒術士系の神官はノービスに対する差別意識が比較的少ないらしい。それゆえに、ミザリー大司教が特別に信頼を置く司祭若干名が平民へのノービスの恩恵の授与に協力してくれることになった」


「待った待った待った!!話についていけないぞ!まさか四神教の司祭が禁じられているノービスの量産を手伝うっていうのか!?」


「その通り。それだけ理解していれば十分だよ。さて、ここで重要なのは、恩恵授与の優先順位だ。とりあえず手近なジュートノルの民から、なんて悠長なことをやっていれば、今まさに魔物の被害を受けている集落を見捨てる結果になる。そこで、テイルにお願いがある」


「う、受けるのは、ターシャさんやリーナに相談してからだ!」


「おお、ようやく報告連絡相談の重要性に気づけたようだね。もちろん相談してもらって構わないさ。ただし、ジュートノルを守るという意味でも、今回の依頼は断れないと思うけれどね」


 と自信ありげなジオが、依頼の内容を告げた。

 確かに、俺に断る選択肢がないとしか思えなった。






 説得と呼ぶにはあまりにもあんまりな一幕が、ターシャさんとリーナ相手に繰り広げられた翌日(土下座だけはしなくて済んだ、とだけ言っておく)。

 いつもの黒の装備に背中に衛士隊から拝借した大型リュックを背負った俺は、ジュートノルを出てからすぐに街道を外れて何もない草原をしばらく歩き、人気が完全になくなったのを確認してからスピードスタイルに移行、地図を頼りに目的地へと疾走した。


 到着したのは昼前。

 ただし、目的地には人も建物も畑も、人族の気配がするものは何一つ見当たらない。

 当然だ、今回の俺の目的は、誰かと会うことでも協力し合うことでもなくて――



 グルルルルル



 最近この辺りに現れるという、魔物の群れなんだから。


 発見できた魔物は、オオカミ型。一番オーソドックスで良くも悪くも身近な種類だ。

 それだけに弱点も知り尽くされている。

 エンカウントするなり俺がとった行動は、道中に拾っておいた手ごろな大きさの石を群れの先頭にいるボスらしき個体の鼻先にぶつけることだった。


 キャイン!!


 威力自体は大したことはない。精々、あざができるくらいだ。

 ただし、生き物の鼻――特にオオカミのそれに命中すれば、外傷なんて目じゃないレベルのダメージを負うことになる。

 そして、ボスのダメージは群れそのもののダメージと同義で、他の魔物も決して俺に襲い掛かってこようとはしない。そういう習性になっている。

 とはいっても、群れのボスにもプライドってものがある。このまま攻撃した俺に何もしなければ、子分達からの信頼を失いことになりかねず、多少無理をしてでもやり返さないといけないと思うかもしれない。

 ダメージを癒すために引くか、プライドを守るために襲うか。

 果たして群れのボスが選んだのは堅実で賢いやり方、俺という脅威を無視して人族の領域から遠ざかることだった。


「――っふううううう……」


 小さな足音に見合わない速度で逃げていく魔物の群れを見送って、ため込んでいた息を一気に吐き出す。

 たとえあの群れから攻撃されていたとしても、手数の多さにはそこそこ自信があるから、あいつらの戦意を喪失させるだけの戦いはできると思っていたけど、戦わずに済むならそれに越したことはない。

 と、そこへ、


「テイル殿ーーー!!」


 俺を呼ぶ声といっしょに、今度ははっきりと地面を叩く馬蹄の音が辺りに響き渡る。

 現れたのは、人馬共に鎧を着こんだ騎乗姿のリーゼルさんだった。


「リーゼルさん、随分とタイミングがいいですね」


「魔物の群れのことでしたら、こちらからも見えていましたよ。ただ、我らが参戦するとけが人の一人や二人は出てしまいますから、いつでも助太刀できるように静観していたんですよ」


 そう言うリーゼルさんの背中越のずっと先には、武器を持った人族らしき集団の影がわずかに見える。

 もっとも、これは俺の強化した視力だから見えている光景で、オオカミ型の魔物には気づかれていなかったと思う。


「それにしても、いくら公王陛下直々の御命とはいえ、少々無理のある依頼だったのではありませんか?ノービス神官の集落の巡回と別行しての強行偵察任務。それを、テイル殿がたった一人でこなすとは……」


「単独が一番効率がいい。そうジオとの間で意見が一致したんですから、不満はないですよ。ついでに秘密も守りやすいですし」


「そこまで仰るのなら、私から言うことは何もありません。ですが、アンジェリーナ様やティエリーゼ様のためにも、危険だと判断した時点で即座に撤退してください。その際、危険を知らせる信号を空に打ち上げていただけたら助かりますが」


「それと補給物資です」と付け加えて、食料が入った紙袋と革の水筒を俺に渡してきたリーゼルさんは、颯爽と馬を操って待たせている集団の元へと戻っていった。

 予め聞かされていた予定によると、これから神官を護衛しながら近くの集落に赴いて、ノービスの恩恵を与えるつもりなんだろう。


 俺は大型リュックから携帯タイプの組み立て椅子を取り出して座ると、支給されたばかりの紙袋からベーコンと野菜のサンドを取り出して、さっきから鳴りっぱなしの腹を鎮めるために一気にかぶりついた。

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