第227話 お忍びのお見舞い


 ミザリー大司教。

 王都にあった四神教中央教会の重鎮で、出家時代のジオの後ろ盾になっていた人だ。

 王都壊滅以来、俺の耳にはその消息は入ってきていなかったけど、こうして無事な姿を見られて素直にうれしい。

 ――ただまあ、アドナイ国教会のお偉いさんが普通の治癒術士の変装でいきなり登場するのは心臓に悪いから、少しは自重してほしいとは思うけど。


「まずは、病人を診なくてはね」


 挨拶もそこそこに、普通の治癒術士姿のミザリー大司教は俺にティアの部屋に立ち入る許可を求めると、二人のお付きの者に準備を整えさせるために先に行かせると、「申し訳ないのだけれど、お茶を戴いてもよろしいかしら?」と客をもてなさない無礼を指摘されてしまった。

 慌てて奥の席に案内してからお湯を沸かして茶葉を用意し、最低限蒸らしたお茶を特別な客用のカップに注いでミザリー大司教の前に出すと、


「あら、いい香りね。急いで淹れたとは思えないくらいに。このお店の質がよく分かるわ」


 とお茶をひとしきり楽しんだ後で、微笑みの表情を崩さないまま俺の方を向いた。


「病人のことなら、彼女たちに任せておけば心配ないわ。何かあれば私を呼ぶように予め言い含めてありますから。それよりも、テイルさんは私に聞きたいことがあるのではなくって?」


「あ、いや、その」


「遠慮しなくてもいいのよ。ここにいるのはただの治癒術士のおばあちゃんなのだから。大方、四神教との関わりを絶ったジオグラッド公国になぜ私が?といったところかしら」


「は、はい。その通りです」


「一言で言えば、私とジオグラルド様との関係がまだ続いているから、ということよ。詳しく教えて差し上げてもいいのだけれど、……どこまで話していいものかわからないし、その役目は公王陛下にお譲りした方がよさそうね。それに、あちらの支度も終わったようですし」


 ミザリー大司教が言う通り、ティアの部屋の方から足音が聞こえてきた思うと、「マザー、支度が整いました」とお付きの一人が俺達を呼びに来た。

 そして、寝間着に着替えさせられたティアを診察したミザリー大司教が、


「リーゼル殿の推察通りですね。ジョブの恩恵の光との相性が悪かったことで体内の魔力の流れを乱してしまったようね」


 と後ろで見ていた俺に説明して祈りの言葉をつぶやくと、暖かみのある治癒の光をティアの体にかざした。


「このまま寝かせていても数日で元気を取り戻されたでしょうが、念のために魔力の流れを落ち着かせる治癒術を使っておきました。明日には普通に起き上がっても大丈夫ですよ」


「あ、ありがとうございました」


「礼には及びませんよ。それよりも、もしも病人に何かあれば、すぐにリーゼル殿を通じて連絡をくださいね。御兄上もご心配でしょうから」


 そう言い残したミザリー大司教は、治療費を払おうとした俺の心を読んだようにあっさりと白いうさぎ亭を後にしてしまった。

 まあ、大司教様直々の診察と治療の費用なんて俺が払える額じゃないのは確かで、逆に気を使わせてしまったんじゃないかと思う。

 そういう意味もあって、ミザリー大司教がなんでジュートノルにいたのか、その理由を聞きそびれてしまった。






 建国祭が終わって、いよいよ季節は春から夏へと近づき、下位の魔導士の実入りのいい仕事の一つである魔法での氷造りが本格化し始める時期に入ったけど、俺の頭の中はまだミザリー大司教が来た時の記憶が薄れていなかった。

 いくら建国祭とはいっても、四神教の大司教がただの観光なわけはないよな、とモヤモヤし続けていたある日、意外な形で答えがやってきた。


「やあやあティア、体調を崩したと聞いて心配していたけれど、元気になったようで本当によかったよかった」


「お、お兄様!?」


 建国祭の次の日から通常営業に戻った白いうさぎ亭。

 念のために丸一日安静にさせたティアが復帰したのはその翌日だったわけだけど、そのタイミングを見計らったかのように、緊張の面持ちの隊長さんとその部下に護衛された、いかにも両家の坊ちゃんが平民の格好をしました的なお忍び姿のジオだった。


「な、な、な……」


 とはいえ、変装しようが身分にそぐわない陽気な挨拶をしようが、見る人が見ればジオグラッド公国公王陛下であることには変わりがないわけで。

 ジオの顔を知っている極一部の常連客や、俺とティアがあまりのアクシデントに思わず硬直してしまい、この状況があと少し続けば店中大騒ぎになりかねない、そんなギリギリのタイミングで、


「ご予約のお客様ですね!奥の一室にお席を用意してありますから、お連れ様が来られるまでそちらでお待ちください!」


 百戦錬磨の接客係であるターシャさんが奥から出てきて、とっさの機転でジオ達を奥へと通した。


「テイル君、ティアちゃん、こっちは私が何とかするから、奥をお願い」


 そして、帰ってきたターシャさんは他の客に愛想笑いを振りまきながら俺とティアに小声で指示すると、そっと背中を押して奥へと押しやられた。

 もちろん、異存なんてあるはずがない俺は、早くも騒がしくなっていた奥の一室にティアと入って、起立している衛士達に囲まれて部屋に備え付けの小さな椅子に座っているジオに、二言三言いや十言くらいはクレームをつけてやろうとしたところ、


「悪いけれどティア、お茶を頼めるかな。護衛の分は気にしなくてもいいから、テイルと合わせて二人分で」


「な、なんでお兄様に私が!?」


「もちろん、保護者として妹がきちんと平民の中に溶け込めているかの見分が目的さ。それとも、今すぐ不合格とみなして問答無用で連れ帰ってもいいのかい?」


「もう!お兄様の意地悪!」


 とジオの挑発にぷりぷりと怒ったティアはそっぽを向くと、扉の前の衛士を押しのけるように部屋を出ていった。


「はっはっは、あの元気が出るということは本調子になった証だね。なによりだ」


「……お前な、お見舞いに来たんならもうちょっと言い方ってものがあるだろ」


「いいんだよ。王家という形に縛られて家族の情というものを知らずに生きてきた僕達にしては、上出来な部類さ。ティアが誰にはばかることなく暮らしていると知れただけで、目的の一つは果たしたようなものだ」


 俺の注意も飄々と受け流すだけで、まるで聞く気がないように見えるジオ。

 だけど、こいつの言うこともわかる。

 特に、俺達には一度も見せたことがない、不満いっぱいのティアの表情を見た直後じゃ、ジオの言う家族の情っていうものも信じるしかない。


「ところで、他の目的ってなんだよ。ていうか、建国式をやって、正式に公王としての仕事が始まっているっていうのに、随分と暇なんだな」


「まあ、暇か暇じゃないかと言われれば僕の場合は明らかに後者なわけだけど、別に抜け道がないわけじゃあない。例えば、僕の護衛騎士たるセレスが定位置から動かないように策を講じて、リーゼルのような手ごろな身代わりを置いておけば、こんな風にお忍びで街を散策することも難しくはないんだよ」


「その散策が悪いことなんじゃないかっていう議論をしたいところだけど、お前の帰りを待ちわびているセレスさんに免じて許してやる。だからさっさと本題に入れ」


「そうかい?じゃあ、単刀直入に、ひとつ補足させてもらおう。ミザリー大司教がジュートノルにやってきたのは、彼女が僕の要請に応えてくれた証――僕の兵である衛士隊の本格的な運用、その第一段階として、ノービス神官を提供するためなんだよ」


 いつもいつも、ジオの言うことは突拍子もないことばかりだけど、今回はとびきり忘れられなくなりそうだ。

 そんな予感がした。

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