第226話 政庁前の儀式
参加者ではなく通行人として、手を繋いで前を行くティアとリーゼルさんの後をゆっくりと追いながら改めて建国祭を見る、って言ったらちょっと偉そうだけど。
あくまで噂だけど、今日の建国祭はジュートノルだけじゃなく近隣の村々にも広く告知がされていて、大勢の祭りの見物人と物売りががやってきているそうだ。
しかも、いつもならジュートノルに来て物を売るとかかる税が今日だけは免除されているとあって、毎年一番のお祭りである豊穣祭の数倍の人出が、建国祭の大通りを賑わせている。
特に最近は、王都の陥落や魔物の目撃の急増とかで何かと暗い話題が多かったから、これまでのうっ憤を晴らすように活気のある声がそこら中から響いている。
だけど、何事にも例外はある。
この場合に限って言えば、お祭りで高揚した気分で羽目を外しそうになった人たちに冷や水を浴びせる存在――例えばティアの手を引いて俺の前を行く騎士様は特にそうだ。
「テイル見て!あの人、下手な炎魔法で口から火を噴いているように見せているわ!」
「そうですね。でも、そういうことは小声で言わないと、周りのお客さんが引いちゃいますよ」
「?」
魔法の知識は人一倍あっても、場の空気は読めないあたりはティアも子供だってことなんだろう。
さっと目をそらしながら去っていく数人の見物客と、悲しみ九割怒り一割でこっちを恨めしそうに見てくる大道芸人を見ないようにして、すでに興味を失くしているティアと苦笑するリーゼルさんに追いつく。
「ティア、いくら下手でも、大道芸人さんに客の前で恥をかかせるようなことを言っちゃだめだ」
「だって、わたしのほうがずっとうまくできるんだもの、あ、そうだ」
とティアがおもむろに小声で何かを呟くと、手を添えた口元から鮮やかなオレンジ色の炎が飛び出して一輪の花を形作って、キラキラと火の粉を散らしながら空へと消えていった。
「んなっ……!?」
「ね、上手でしょう?」
そのあまりに幻想的な光景に、ティアに釘付けになる俺と、突然空に炎の花が咲いた瞬間を目撃した周りの通行人が何人も立ち止まってしまった。
そんな状況がもう少し続けばちょっとした騒ぎになっていただろうけど、「テイル殿」と俺の背中を押して歩くように促したリーゼルさんが、
「看板娘さん。確かにあなたの魔法は見事なもので、先ほどの大道芸人とは比べるべくもない腕前ですが、一つ大事なことを見落としていますよ」
「え、なにかしら?」
「それは、かの大道芸人があの拙い魔法で生きる糧を得ているのに対して、看板娘さんのそれは仕事の余興でもない、ただの手慰みで行ったに過ぎないということです。それは、日々を必死に生きる平民への侮辱にほかなりません」
「あ、う、ごめんなさい……」
「看板娘さんは素直で賢いのですね。では、自らの過ちを正しに行きましょう」
そう言ったリーゼルさんから耳打ちされると同時に手に何か握らされたティアが頷くと、二人してきた道を戻っていった。
またも置いて行かれそうになって慌てて追いかけると、
チャリン
ちょっとしょんぼりとしていた大道芸人の前に置かれた樽の中に、ティアが手にしていた銀貨を投げ込んでぺこりと頭を下げていた。
それを見て満足そうに頷いたリーゼルさんが追いついた俺に気づくと、パチリときれいなウインクをして見せた。
――いや、何が言いたいのかわからないし、俺に色目を使うなよ。
結局、ティアにとってはいい経験にはなっても、当のリーゼルさんの意図が分からないまま俺達は大通りの雑踏をかき分けて進み、建国祭会場の端にたどり着いた。
その先の政庁に通じる道を封鎖している騎士にリーゼルさんが何事かを告げると、俺とティアはあっさりと立ち入り禁止区域へと通された。
そのまま、路地を塞ぐように立っている何人かの騎士に誘導されて一本道を進むと、政庁前の広場に仮設の円形舞台が出来上がっていて、その周りを取り囲む階段状の客席に案内された。
「ふう、何とか儀式に間に合いましたね」
客席にはジュートノルのお偉いさんや役人らしき姿がちらほらと見える中、俺とティアを目立たない最上段に近い席に座らせたリーゼルさんは、自分は立ったままで安堵の声を漏らした。
そして、眼下の円形舞台では、寸分の狂いもなく等間隔の長方形で整列した数十人の衛兵が、漆黒の杖を手に白い法衣を纏っている神官の言葉を拝聴している最中だった。
「汝ら、病に倒れようとも、明日の糧に困ろうとも、ノービス神に信仰を捧げて永久に崇め、人族のためにその命を燃やし尽くすことを誓いますか?」
「我ら五十名、衛士の誇りを胸に神の御意思に従うことを誓います!!」
高位だってことを示すためだろう、金銀の装飾が施された神官の法衣は目元以外をすっぽりと覆っていて、その顔を見ることはできない。唯一の手掛かりは声だけど、せいぜい若い女性ということくらいしか分からない。
その神官が衛兵の代表の宣言に頷いたように見えた後、かすかに口元の布が揺れた。
「ここに、ノービス神の新たな申し子が生まれました。神よ、どうかその御力をか弱き眷属にお与えください」
多分、五感を強化した者以外には聞こえなかっただろう神官の祈りが紡がれた直後、漆黒の杖からあふれ出た黒光が目の前の衛兵だけを照らすという、不思議な現象が起こった。
「ふむ、やはり、儀式に参加した者以外には、ノービスの加護は与えられないようですね」
と呟いたリーゼルさんの視線の先を追ってみると、客席の最前列にいた人達が両手をかざして黒光に触れようとして警備の騎士に止められていた。
だけど、自分達に黒光が宿り始めている衛兵と違って、その体に何の変化も起きていないことは一目でわかった。
と、その時、
「テイル……」
これまで儀式を大人しく見物していたティアが怯えた目をしながら俺の服の裾を掴んできた。
「どうしたティア、気分でも悪いのか?」
「ううん、でも、あの光が……」
「光が?」
「魔法とは全然違う、けれど、とても強くて、悲しい光……」
「テイル殿、出ましょう」
その時、これまでずっと温和な態度で接してきていたリーゼルさんが厳しい表情になっていた。
「本来の目的は、この後に行われる衛士隊の演習を看板娘さんにお見せすることだったのですが、どうやら気分がすぐれない様子。これ以上体調が悪化する前に、どこか休める場所にお連れするべきです」
「そうですね。行きましょう」
こうして、儀式をほとんど見ることのないまま、どんどん顔色が悪くなっていくティアを俺が背負って、リーゼルさんの先導で舞台を後にした。
「参りました。騎士の叙勲を受けて以来、いえ、父の付き添いで社交界に出て以来の大失態です。こうなることはある程度予測できていたというのに、見通しが甘すぎました」
「どういうことですか?」
今俺は、平民の立ち入りが禁止されて人気のない路地をリーゼルさんの案内で足早に、それでいて負ぶってすぐに眠るように気絶したティアを起こさないことを最優先に、白いうさぎ亭へと向かっている。
実は、舞台を出る前は政庁の一室を借りて休ませようという話だったんだけど、ティアの正体はできるだけ隠しておきたい事情から、リーゼルさんと話し合った上でティアが精神的に一番くつろげる場所に、ということになった。
そんな中で、リーゼルさんの口から洩れた内容に聞き捨てならないものを感じて問いただすと、
「テイル殿は、姫殿下が魔導士の上位ジョブ、ブラックキャスターであることはご存じですよね。これは魔導士系ジョブの中でも稀なことなのですが、鋭すぎる魔力の知覚能力を持つがゆえに、本来なら人族が気づきようのない神霊の類を感知することがあるそうです」
「じゃあ、ティアは」
「おそらく、高位の神官しか感じえない、ノービス神の御意思をその身に受けてしまったのでしょう――四つの基本ジョブに対する憎悪の御意思を」
「そんなものが……」
アイツの恨みの矛先が冒険者にも向いていることは、俺も知っているつもりだった。
それなのに、ノービスのジョブの恩恵を授ける儀式だと知った時点で、多少強引にでもティアを連れ出さなかった俺にも責任はある。
「さて、これ以上私が同行するといろいろと目立ちますので、ここから先はお二人で。すぐに治癒術士をよこしますのでそれまではご辛抱を。それと、事が事ですので、ティアエリーゼ様への謝罪は後日ということにさせてください」
「あ、はい。ありがとうございました」
結局、かなり責任を感じているらしいリーゼルさんは、立ち入り禁止区域の端まで送り届けて俺達の前から去って行くまで、最後まで厳しい表情を崩すことはなかった。
その落ち込んだ姿が気にならないわけじゃなかったけど、最優先はティアの具合だと思い直して、白いうさぎ亭への最短ルートを静かな歩みで戻った。
当然、帰ってきた白いうさぎ亭には、店長以下従業員が全員出払っているので誰もおらず、とりあえずティアを自分の部屋のベッドに寝かせて、汲んできた水に浸して固く絞った清潔な布をその小さな額に乗せる。
とはいえ、俺が着替えさせるわけにもいかないし、できれば近所の子供を世話して勝手が分かっているターシャさんの手を借りたいところだけど、ここには俺一人しかいない。
とりあえず、ティアには少しの間辛抱してもらって、近所の戸を叩いてダンさんたちがいる屋台に伝言を頼もうかと考え始めたその時だった。
三度、表の戸が叩かれたのは。
「突然の訪問ごめんなさいね。騎士リーゼルの要請で参りましたの」
その落ち着いた声色と内容から、リーゼルさんが連れてくると言った治癒術士がもう来たのかと、ちょっとびっくりしながらティアの部屋を後にした。
そして、店の表に出てきてその治癒術士の顔を見て二度目の、空前絶後の驚きが俺を待っていた。
「あ、あ、あああ、貴方は……!?」
「こちらに小さな患者さんがいらっしゃると聞いてきたのですけれど、間違いなかしら?」
三人いる治癒術士の先頭に立っている、質素な白の法衣を高貴に着こなすご婦人、アドナイ王国中央教会ミザリー大司教の姿があった。
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