第221話 白いうさぎ亭の危機(ある意味で)


 人族が一番優れている能力は、我慢強いことだと思う。

 獣のようにその場しのぎの餌しか食べるわけじゃなく、火を通して腹を下しにくくしたり、干して保存が利くようにしたり。

 ゴブリンのように後先考えずに突っ込んだりせず、罠を張って獲物がかかるまで耐え忍ぶことができる。

 ただし、我慢するだけで生きていけるわけじゃない。

 時には武器を手に魔物の群れと戦ったり、感情に任せて突撃しなきゃいけない時もある。

 行動することでしか得られない道もあるってことだ。

 そんな人族の行動における基本的な二択。この判断が難しい。

 かつての失敗者達もこの二択を間違えたから歴史のかなたに消えていったんじゃないだろうか。


 さて、俺の前には二つの道がある。

 遠路はるばる人の迷惑も考えずに突然やってきたリーナのお兄さん――マクシミリアン公爵とその護衛騎士一行による白いうさぎ亭の不当な占拠を、じっと我慢して状況が好転するのを待つか。

 それとも、お忍び姿とはいえ公爵様に対して「営業妨害だ、出ていけ」と毅然とした態度で立ち向かうか。


 非常に悩ましい問題だ。






「うむ。下賤の料理かと思っていたが、思っていたよりは風味があるではないか。そこの娘、パンとスープの追加を。一、二、……五人分だ」


「はい、ただいま!」


 又聞きの又聞きくらいの知識だけど、出された料理を優雅に食べるのが貴族のマナーで、自分からお代わりを要求する行為ははしたないと思われるそうだ。

 そんな中で、白いうさぎ亭の席についてすさまじい速度で早めのランチを食べると同時に、護衛騎士の分までお代わりを要求する、リーナのお兄さんことマクシミリアン公爵が確かに目の前にいた。

 ちなみに、俺が配膳に取り掛かろうとしたところ、「男の給仕など虫唾が走る」と随分な言い様の御断りがあったので、今はターシャさんが一人で大車輪の働きを見せている。

 しかたなく、厨房の前で突っ立っていることしかできない俺の背中に、


「おい、テイル、まずいぞ。今日の分の残りが半分を切った」


「本当にまずいじゃないですか」


 普段は客に対してもしかめっ面で応じているダンさんが、珍しく焦りの色を見せていた。


「一応、予備の干し肉を引っ張り出せば今日のランチを捌けるが、あくまで今の在庫が残ったらの話だぞ。これ以上食材が減ったら臨時休業にせざるえん」


「だからって、あの人達にこれ以上お出しできません、って言うつもりですか?」


「それをお前に聞いて、……まさか、本当にお貴族様なのか?」


「聞かないでくれますか?俺も言いたくないので」


 白いうさぎ亭のランチを食べに来る客層は、独身の男が多い。

 家族持ちならよほどのことがない限りは家に帰って食べてくるか弁当を持ってくるから、本当にここを頼りに腹を空かせてくる常連客は多い。

 だから、ダンさんが焦る気持ちはよくわかるし、あの食欲の化け物達を止めたいのは俺も同じなのだ。

 だけど、まさか公爵様がお忍びで今そこで昼餉を頂いている、なんてダンさんにありのままを打ち明けたら、どんな反応が返ってくるだろうか。

 いつもの通りしかめっ面のまま無反応、だったらと願わずにはいられないけど、平民のダンさんに一軍の将みたいな胆力を期待する方がどうかしている。

 リーナのお兄さんの素性はターシャさんにもダンさんにも明かさない。そう決めたことに間違いはないはずだ。


 こうなると、頼みの綱はマクシミリアン公爵の実の妹であるリーナなんだけど、昨日の夜から例のごとく外出していて、帰ってくる気配はない。

 多分、建国式の情報を独自の伝手で集めているんだろうから、白いうさぎ亭の仕事のサボりをこれまで特に注意したことはなかったんだけど、この緊急事態に関しては見事に裏目に出た。


 まさに万策尽きた、このまま食材が空になるまで料理を出し続けないといけないのか、と思ったその時だった。

 救世の女神が眠そうに眼をこすりながら、奥の女子部屋からとことこと歩いてきたのは。


「おはよう……、え、私、ひょっとして寝坊しちゃった?」


「ティアエリーゼ様!!」


 電光石火、疾風迅雷とはこういうことだろうか。


 今さっきまで、速度はすさまじく、だけど器には一滴の汁、一欠けらの野菜くずすら残さず、一心不乱にきれいに平らげていたリーナのお兄さんと護衛騎士達が、制服姿にもかかわらずティアの姿を認めるなり、一斉に席を立って跪いた。

 ――この動作の犠牲になって吹き飛んだ椅子の破損具合によっては、しっかりと弁償してもらいたいと思う。


「あら、貴方、もしかしてアルベルト殿?ああ、マクシミリアン公爵家を継承された方に失礼だったわね」


「いえとんでもない!ティアエリーゼ様におかれましてはご壮健のようで、このアルベルト、これに勝る喜びはございません!」


 王女のティアがいるからこそ、初めて見るリーナのお兄さんの恭しい態度だけど、貴族特有の一通りの挨拶が終わった直後に俺に向けられた目は、「なぜティアエリーゼ様がここに?聞いていいないぞ」という感じの、恨み言の一つも聞こえてきそうなものだった。

 もちろん、リーナのお兄さんがティアの事情を知っているかどうかなんて、完全に俺の守備範囲外だ。無茶を言わないでほしい。


「ところで、アルベルト殿はなぜここに?見たところ、お忍びのようだけれど」


「申し訳ありませんが、用向きは申せません。ただ、ジュートノルを訪れる際には、ぜひ一度我が妹アンジェリーナが厄介になっているという食事処を訪れたいと常々考えておりまして、此度こうして参上した次第でございます」


「そう、それはいいのだけれど……、事前にテイルにその旨を知らせたのかしら?」


「い、いえ、なにぶん、極秘の密行でしたので」


「それにしては、ずいぶんと白いうさぎ亭の料理を堪能しているみたいじゃない。貴族社会でも、料理の支度にはそれなりの手間と時がかかることくらい、アルベルト殿はよくご存じよね?まさか、平民が食べる分を横取りしに来たわけじゃあないと信じたいのだけれど」


「滅相もない!!我ら、どうやら長居しすぎたようですな。アンジェリーナに会えなかったのは痛恨の極みですが、またの機会にするとします。では、これにして失礼!!」


 そんな文言を一言一句噛まずに早口で言い切ったお兄さんは、護衛騎士の一人に目配せしてテーブルに拳大の袋を置かせると、ティアに一礼して疾風のごとく去っていった。






「ほんっとうにごめんなさい!!まさかお兄様がここに現れるなんて予想していなかったのよ」


「まあ、俺達もティアに助けられた身だし、リーナに罪があるわけじゃないから、謝る必要はないさ。ただ、一つ文句を言わせてもらうなら、今日のランチには居合わせてほしかったかな」


「ごめんなさいごめんなさい!!」


 その後。

 いつもの調子でちょっと悪いことをしたかな?くらいのテンションで帰ってきたリーナが、ランチという名の激戦を乗り切って疲労困憊で休憩していた俺に事情を聴き、平謝りされている今に行き着くわけだけど。

 緊急事態は、お兄さん達が帰った後も続いたのだ。


「リーナ、お兄さんと次に会う機会があったらこれを返しておいてくれないか。といっても、料理代と椅子の修理代は引いてあるけど」


「なにこれ、……って大金貨じゃない!こんなものを平民相手に渡したの!?」


 俗に、金貨十枚があれば四人家族が一年暮らせると言われている。

 そして、大金貨は金貨百枚分に相当する。平民四十人が一年生きていける計算だ。

 当然、平民が大金貨を目にすることはまずありえない。せいぜい、大商人が貴族相手に取引する時に使用されるくらいだ。

 少なくとも、大金貨を白いうさぎ亭で支払いに出されても、使い道どころか両替にすら困る代物だってことは間違いない。


「それがいっぱいに詰まった袋を見たターシャさんが卒倒してな。おかげで、今日のランチはダンさん、ティア、俺の三人で回さないといけなくなった。しかも、お兄さん達が食べた分の仕込みをやり直す手間のおまけつきだ」


「本当になんて言ったらいいのか……。謝罪の言葉も見つからないわ」


「一応、初めての客が多い時のために予備の食材は常備しているんだがな、あの量を食べられるとちょっと……。次からは、事前に手紙なりで知らせるように言っておいてほしい」


「わかったわ。この足で……、って、人手が足りないのよね」


「俺やダンさんはともかく、ターシャさんとティアは休ませておきたいから、ディナーの時はリーナに働いてほしいのが本音だな」


「わかったわ。とりあえず、夜営業の準備でいいわよね?」


 最近は居ないこともあるけど、さすがに仕事の手順は覚えたらしく、準備の頃合いを察して奥へ行こうとしたリーナ。

 その足が不意に止まって、俺の方に振り返った。


「でね、これはちょっとした不確定情報なんだけれど……。いえ、今確定したっていうか、でも、本人に質さないことにはなんとも……」


「なんだよ、いやにもったいぶるじゃないか」


「お兄様がジュートノルに来たっていうことは、それしかないわよね」


 と、俺にではなく自分に言い聞かせるように言ったリーナが、改めて俺に向き直った。


「どうやら、ジオ様とお兄様は同盟を結ぶみたい」

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