第220話 近づく建国式
ジュートノルの街が、王都壊滅以来の喧騒に包まれていた。
あの時、王都からの避難民の最後尾につく形でリーナと帰ってきたからピークのときことはほとんど又聞きだけど。
未熟な治癒魔法で生じる痛みに絶叫する負傷兵や、腹をすかせた子供の泣き声や、離れ離れになった家族の行方を捜す父親の声とか。
ジュートノルにはアンデッドの一体も襲ってきてはいなけど、王都の戦場の空気をそのまま持ち込んだような騒ぎだったらしい。
ダンさんも、同業者と持ち回りで炊き出しの手伝いをして貢献したそうだけど、ターシャさんはほとんど白いうさぎ亭で留守番していたそうだ。
あの、愛想が良くて気が利いて働き者のターシャさんが?と思ったけど、理由を聞いて納得した。
――ターシャさんの人気が出すぎて、避難民と受け入れるジュートノル側の両方の動きが止まってしまって、ひと騒動に発展してしまったそうだ。
話が逸れてしまった、本筋に戻そう。
今回の騒ぎの主役は衛兵だ。彼らが何をやっているのかというと、
「まあ、なんていうか、砂漠から一本のナイフを見つけ出すようなものだな」
疲労、といっても気疲れの表情で、いつもとは時間帯をずらしてランチに現れた隊長さんが愚痴をこぼした。
「建国式のために警備レベルが強化されたんだが、僅かな違和感も見逃すなとの上からのお達しで、家一軒、路地一つに至るまで、全て点検して回っているんだ。もちろん、衛兵隊総動員でな」
「どうしてそこまで?政庁とか、貴族がいる区画は普段から厳重なはずですよね」
「そこまでは知らされていないが、安全を高めるっていうんなら、それにふさわしい身分の方々が出入りするためだろう。具体的には、他領の貴族とかな」
「他の領地の貴族が来るんですか?」
王都が壊滅して大変な時に自分の領地を離れるのか?という意味を込めた俺の言葉に隊長さんは、
「いや、実際には、貴族の子息とか使者とかの代理だろうな。それでも、受け入れる側としては貴族並みのもてなしをせんといかんから、万が一にも不快な思いをさせないように、と上は考えているんだろう」
「そうなんですね。教えてくれてありがとうございます」
あくまで世間話の一環として、丁寧に説明してくれた隊長さんに軽く頭を下げたけど、どうやら話は終わっていないようだった。
「それとな、警備の強化と並行して衛士隊の増員が急ピッチで行われている。おそらく式典当日までには、衛兵隊全員が恩恵を得ているはずだ」
「っ!?……どうして、っていうか、なんで俺に?」
思わず言ってしまったところで、すぐに気付いた。
こんな重大な話を、隊長さんの考え一つで俺に漏らすはずがない。言わせた人物――ジオの姿が頭に浮かんでいた。
勘づいた俺の顔を見て頷いた隊長さんは、
「上の、さらに上の方からの指示だ。理由は聞くなよ。直答など許される相手ではなかったのだ、上つ方の考えなんかわかるものか」
命令を聞かされた時の苦労が想像できる、苦い顔の隊長さん。
それと同時に、回りくどい方法を使ったジオが俺を別邸に呼び出す余裕がないくらい多忙を極めているんだろうと推測できる、とある昼下がりの客との会話だった。
そんなわけで、白いうさぎ亭にも近い内に衛兵隊の臨検があるのかと思っていたけど、「あの店のことは何人もの衛兵が良く知っているから今さら調べる必要はない」との、どこかの隊長さんの口添えがあったとかで、ありがたくも特例による免除となったみたいだ。
俺達はいいけど、これって公私混同っていうんじゃ?と思ったのは内緒だ。
平常通りの営業を続けている白いうさぎ亭とは裏腹に、ジュートノルの街は徐々に緊張感が高まっていく。
特に変化があったのは、大通りを中心とした、各所に設けられた検問だ。
「荷物を改める!……これで全てだな。通ってよし!」
簡素だけどそれなりにしっかりとした造りの即席の検問所に、衛兵隊の装備をした四人組が通行人を改めている。
といっても、挙動に不審なところがないか観察したり、荷物の中身を確かめるくらいで、ほとんどの人はそこまで負担を感じていない。
大変なのは、外から来た旅人、特に荷物が多い商人だそうだ。
「何度も身元を確認されて、荷物も前もって申告したもの以外が見つかったら、悪くすると何日も詰め所に泊まらされることがあるそうよ。今の時期に来た商人さんは可哀そうよね」
「その割には宿泊客は減りませんよね。今日も満席ですよ」
建国式まであと十日程となったある日、夕食後のお茶をターシャさんと楽しみながら、ランプで薄暗く映る天井の向こうを透かすように見る。
「よその領地から貴族様が来るって本当だったのね。噂を聞きつけて、いつもより商人さんがいっぱい来ているのよ」
「別に、貴族に会えるってわけでもなさそうなんですけどね」
建国式の日が近づくにつれて、政庁とその周辺の警備はますます厳しくなっている。
一部の区画に至っては、平民が通行できる時は限られていて、まるで自分たちの街じゃなくなったみたいだと、あちこちから不満が聞こえてくる。あくまで陰で、だけど。
「でも、今でも実質的にジオグラッド公国になっているのに、俺達平民に関係あるんですかね?」
「なんでも、当日には沿道に屋台がたくさん出て、お祭り騒ぎになるらしいわよ。ダンさんが出店のメニューを考えてるみたい」
「お祭り?そんなことできるんですか?今だってこんなに行き来が難しいのに」
「街壁に近い区画は、当日開放されるらしいわよ。その代わり、中心地はほとんど立ち入り禁止になっちゃうみたいだけど」
「それなら、よその商人も俺達も稼ぐチャンスがありますね。最近外出が多いけど、当日はリーナにも手伝ってもらわないと」
と建国式当日は忙しくなりそうだと段取りを考え始めていると、ついさっきまでニコニコだったターシャさんの視線が俺を値踏みするものに変わっていた。
「ねえテイル君、最近リーナさんと仲良すぎない?前はもっと遠慮してたでしょ」
「いえ、そんなことはありませんにょ」
「うっそだー。今夜はリーナさんとお近づきになった話を聞くまで逃がさないからね」
この日は、そんな他愛もない話でターシャさんと盛り上がって、ちょっとばかり夜更かしをした。
後から思えば、これが平穏な日常の終わりだった。
異変が起きたのは翌朝だった。
朝食を食べ終わって、いつも通りにランチの準備にみんなが忙しく動き回っていたところに、閉じられた表のドアから激しいノック音が聞こえた。
「……よそ者だな。この辺の連中なら、用があるときは裏口から来るはずだ」
ダンさんの言う通り、あまりあってほしくはないけど、よそ者がいきなり訪ねてきて無理難題を言ってくることは、たまにある。
もちろん、対応するための手順もだ。
「ターシャさん」
「わかってる。ティアちゃん、ちょっと奥に行こうか」
「う、うん」
ひとまず、女性陣二人を玄関から見えない厨房に行かせる。何か起きた時に、裏口から逃げて衛兵隊の詰め所に駆け込むためだ。
そして、ダンさんと目を合わせてからゆっくりと玄関に近づいて、ドアの向こうの気配を探る。
その時、
「この店の主に用がある!!疾く開門せよ!!」
お城と、慎ましやかな平民の宿屋兼食事処を混同しているのはともかく。
高圧的な物言いからして、物取りじゃなさそうだと一安心する。とはいえ、危機が去ったとは言い切れない。
なにしろ、強化された聴覚がドア越しに拾ったのは、複数の屈強な男の気配だったからだ。
「早くせよ!!御館様を待たせるとはなんと不届き千万なことか……!!」
その声とセリフを聞いた瞬間、嫌な予感が嫌な予感に変化した。
――いや、冗談で言ったんじゃない。全身にのしかかる緊張感から、背中にじっとりと冷や汗をかく種類の感覚に変わっただけだからだ。
大きく深く、一度だけ呼吸して、ドアのカギを外す。
「おい、テイル」
「大丈夫です、知り合いですから。悪いことに」
当たってほしくない予感なので曖昧にダンさんに告げて、ドアを開ける。
そこにいたのは、
「久しぶりだな、盗人。我が愛しのアンジェリーナとは、とっくの昔に契ったのだろうな?」
この世でリーナの本名を呼び捨てにする唯一の人、マクシミリアン公爵が、白いうさぎ亭の表で護衛騎士を引き連れて仁王立ちしていた。
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