第219話 料理人見習いルミル


 ジュートノル屈指の料理人なだけあって、ダンさんはとにかく仕事に厳しい。

 朝起きて厨房に立ってかまどに火を入れて、従業員用の朝ご飯を作り終えたらランチのメニューの仕込みをして、ランチのラッシュを捌いたら今度は夜の宿泊客用のディナーを支度して、一段落したら明日以降の準備や道具の手入れをしているうちに一日が終わる。


 そういうダンさんの完璧主義の一面を知らずに、一時期は弟子志願の料理人がよく白のたてがみ亭の門を叩いていたそうだけど、そのほとんどが厳しすぎる修行に耐えきれずに辞めていった。

 例外があるとすれば、当時の主であるゴードンに目をかけられていた二人組くらいだろう。とはいえ、ダンさんも主に歯向かうほど浮世離れしていなかったってだけで、上辺だけの師弟関係だったらしい。

 まあ、あいつらは全く別の理由で、永遠にダンさんから離れていったけど。


 ちなみに、俺のことは参考にならないと思う。

 ダンさんに注意されて、怒鳴られて、追い出されて、クビと言われて。それでもゴードンとの契約の関係でなんとか食らいついた末にやらせてもらえるのは、ひたすら皿洗いと野菜の皮むきだけ。

 今でこそ、火の番や下ごしらえの一部を任されているけど、それでも肝心の料理には一切手を付けさせてくれない。これを料理の修行だと納得する人はまずいないと思う。


 だから、ルミルが厨房で働きたいと言った時にはどうなることかと、内心ハラハラしながら見ていたんだけど、


「どうですか?」


「……塩が薄い。今日は日差しが強いから客は汗をかいてからうちに来る。そのことを考えながら調整してみろ」


「はい!」


 なんと今、ルミルはダンさんの指導の下で、今日の日替わりメニューであるツノウサギのソテーのソース作りを任されていた。

 そんな二人を眺めながら出入り口近くで芋の皮むきをしていた俺に、店の清掃を終えたばかりのターシャさんが近づいてきて、


「すごいよね、ルミルちゃん。料理人見習いになった人で、ダンさんがあそこまで認めたのは初めてじゃないかな」


「はい。俺なんか完全に追い越されちゃいましたよ」


 ルミルの挨拶&気絶騒動から一日経って。

 早朝、改めて弟子入りを志願したルミルに、朝の仕込みを始めていたダンさんが一瞥した後、


「なんでもいい、お前の得意料理を一品作ってみろ。食材はここのを好きに使っていいし、かまども一つ空けてやる」


「な、なんでもいいんですか……?」


「ああ。上客向けの洒落たものなんて意識しなくていい。とにかく、お前が一番自信がある料理を見せてみろ」


「わかりました!」


 この時のルミルの輝くような表情と言ったら、恋する乙女っていうのはこんな感じなのかと、思わずまじまじと見てしまうほどだった。

 ちなみに、当のダンさんはというと、少なくとも表面上は何の変化もなかった。ひょっとしたら何か思うところはあったかもしれないけど、だとしても料理人としてのプロ意識が勝ったんだと思う。


 そんなこんなで、いつも通りにダンさんが仕事をする隣で、調理場に籠ったルミルが作り上げた料理は、何の変哲もない野菜のスープだった。

 だけど、ランチの後の合間を縫った試食の機会を作ったダンさんが一口味わってしばらく黙り込んだ後、野菜くずの一つも残さずに食べ切った後で、


「明日のランチのスープを任せる。俺が指定する食材で作ってみろ」


「あの、それって……」


「早くしろ。今すぐに仕込みを始めてもギリギリだぞ」


「あ、はい!」


 そんな短いやり取りで、見事ルミルがダンさんの助手の職を射止めたというわけだ。


「それにしても、ルミルの腕前がダンさんが認めるほどだったなんて、思ってもみませんでしたよ」


「テイル君はルミルちゃんから聞いてたんじゃないの?」


「聞いてたって言ったって、実家で料理していたって話くらいですよ。まさか、ダンさんが認めるほど上手だなんて思ってもみませんでした」


「でも、こんなにおいしいの食べちゃったら、納得なのよねえ」


「そうなんですよね」


 先に済ませたリーナとティアと交代で、今日の昼のまかないの芋とベーコンのスープをターシャさんと同じタイミングで口に入れて、同じタイミングでため息を漏らす。

 実は、ルミルが最初に作った野菜のスープを俺達も試食させてもらったんだけど、肉の下ごしらえや野菜の面取りなど、丁寧に作られた印象はあっても、特別美味しいとは感じなかった。

 それが、寡黙だけど熱心なダンさんの指導を受けるようになってわずか三日目の今日、ルミルの料理は別人かと思えるほどの進化を見せていた。


「ちょっと具材のバランスと塩加減を変えただけだってルミルちゃんは言ってたけど、こんなにおいしくなるものなの?」


「……考えてみれば、魔導士のルミルと料理の相性の良さは、割と予想できたんですよね」


 四つの基礎ジョブの中で一番なり手が少ないと言われている魔導士だけど、その理由は、はっきり言って馬鹿には務まらないからだ。

 体内の魔力の操作の感覚を掴むのはもちろん、各種詠唱の丸暗記や効果の想定、二次被害の防止など、魔導士が覚えるべきことは多い。

 つまり、しっかりと理論を学んだ上で常に理性的に魔法を使えないと、一人前の魔導士として冒険者ギルドに認められないのだ。


「完成するまで一切気を抜かないって点で、料理と似ている気がしませんか?」


「っていうよりも、魔法よりも料理の方が、ルミルちゃんの性に合っているんじゃないかな」


 とターシャさんに言われて、調理場でダンさんの隣に立っているルミルを見る。

 そこには、深くはない付き合いの中で想像したことがないくらいの、生き生きとした一人の女の子の姿があった。






 ルミルという見習いをゲットしてダンさんが調理に専念できるようになり、俺がジオに呼び出されて人手不足に陥る気配もないおかげで、さらに評判が高まってきた白いうさぎ亭。

 だというのに、今度は客の方に異変が起き始めていた。

 といっても、別に客足が減ったというわけじゃない。むしろ席の回転率は上がっている。

 上がり過ぎているのが問題なんだ。


「最近、常連客達が慌ただしいわね」


「常連客っていうか、衛兵限定だけどな」


「あら、違うわよ。色々なギルドの職員や政庁の役人も、最近じゃそそくさとランチを食べていくだけで、ほとんど会話していかないわ」


「……ギルド職員?役人?そんな客層がいつの間に?」


「ああ、テイルには全然心を開いていないのよね、あの人達。だから印象に残っていないのよ」


「なんでだよ!いや、なんとなく理由は分かってるけど」


 そんな、ダンさんの料理と並んでリーナ達看板娘との触れ合いを目的の一つにしているはずの常連客が、最近つれない態度をとるらしいのだ。


「やっぱり気になるわね。ちょっと探りを入れてくるわ」


 と夜の営業の直前にもかかわらず、接客係の制服を着替えて手前勝手に飛び出して行ってしまったリーナ。

 おかげで、リーナの分まで俺に雑用が回ってきてしまったけど、最近暇を持て余しがちだったから、まあそれはどうでもいい。

 どうでもよくないのは、しばらくして帰ってきたリーナがもたらした情報だった。


「大変よ!ジオ様が、近日中に建国式を執り行うそうよ!」

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