第218話 ルミルのこれから


 ルミルを白いうさぎ亭で預かってほしいというジオとレナートさんの要請を、最初はいつもの厄介ごとの押し付けと思っていたけど、よくよく話を聞いてみるとけっこう切実なお願いだった。


「一番確実なのは、政庁なり冒険者ギルドなりで一室を用意して厳重な警護をつける手だが、予想以上にルミルの心の消耗がひどくてな、半ば監禁状態に置くのは危険だと判断した。そこで、ジオグラッド公国とは直接のかかわりがなく、さらにルミルが安定した生活を送れる場所を検討した結果、白いうさぎ亭が最適だという結論になった。もしお前が断ったら、か弱い女子が日夜屈強な男たちに監視され続ける生活を強いられるわけだ。それでもいいのか?」


 そんな公権力を悪用した脅しに、何をおいてもルミルとリーナの意思次第だとなんとか二人を納得させて、白いうさぎ亭に戻り、リーナに相談すると、


「別にいいわよ」


「いいのか?リーナが一人でジュートノルに残った時は、ケンカ別れみたいな感じだったんだろ」


「向こうはそうだったかもしれないけれど、私に思うところはないわよ。むしろ、あの時は話が途中になってしまった部分もあるから、この機会に誤解が解けるといいと思っているくらいよ」


 とリーナからの快諾の直後、


「モグモグ――ああ、ルミルから聞いてきたぞ。ここでしばらく厄介になると決めたそうだ。一応、執行猶予中の罪人という扱いで、白いうさぎ亭の主が身元引受人という感じで記録を残すからそのつもりでな。それから、冒険者としての資格を停止したうえで杖は取り上げるから、滅多なことは起きんと思うが、お前とリーナ嬢でしっかり見張ってくれ。もしまた事を起こしたら、公王陛下の恩情に仇で報いたことになる。極刑も止む無し、ってやつだから十分に注意しろよ――ああ、パンのお代わり頼む。それにしても旨いな」


 報告に来たのかランチに来たのか分からない、白いうさぎ亭に顔を見せたレナートさんを通じて、ルミルの意思を確認した。

 ちなみに、レナートさんの顔と正体を知る、その場に居合わせた一部の衛士がずっと畏怖と緊張でプルプルしていたのは、本人たちの名誉のために黙っておこうと思う。


 そんなわけで数日後の朝、旅の間の不在を取り戻すような狩りを終えた後でルミルを迎えに行くことになった。

 指定された場所の冒険者ギルドで待っていると、


「やあテイル君、待たせたかな」


 冒険者や依頼人で溢れていた玄関ホールがざわついた。

 それもそのはず、新しくギルドマスターになったばかりのフレッドさんが、気さくな態度で俺の目の前まで来ていたからだ。


 他の街のことは知らないし、俺の勝手な印象も混ざっているけど、冒険者ギルドマスターっていうのは相当に偉い人だ。

 正式な身分こそ平民だけど代官に直接面会できる権限を持ち、冒険者がもたらす全ての利益を管理する、限りなく貴族に近い存在だ。

 そんなギルドマスターになったフレッドさんが、言い方は悪いけど一平民の俺ごときの前にノコノコと姿を現していた。

 案の定、


「ギルドマスター!?あれだけ奥にいてくださいと口を酸っぱくしてお願いしたばかりじゃありませんか!!さあ、未決済の書類も溜まっているんですから、早く執務室に戻ってください!!」


「いやしかしだな、せっかくテイル君が足を運んでくれているというのに、私が知らぬふりをするというのも……」


「言伝なら私が聞きますから!お願いですから一般職員の業務を邪魔しないでください!さあ戻って戻って!!」


「う、うむ、テイル君!またの機会に!!」


 結局、何をしに来たのか分からないままにフレッドさんは奥へと戻っていき、後に残ったのはフレッドさんを怒鳴りつけていたギルドの制服を着た女性と、


「テイル、久しぶりね」


「ルミルか?」


 魔導士らしい杖を持ったローブ姿から一転、暖色に染められた半袖のシャツに紺のロングスカート、白のスカーフで頭を覆った町娘そのものの姿は、今までのルミルのイメージからは想像もつかないほどに可愛らしかった。


「その、この間は本当に――」


「待った。ここで話を始めたら長くなりそうだ。あんまり目立ってもなんだから、場所を変えよう」


「う、うん、そうよね」


 とりあえずちょっと強引に予定を決めて、付き添ってくれた?職員さんにお礼を言ってから、ルミルの先導をする形で冒険者ギルドを後にした。






 最初は、どこか喫茶店かバーにでも入ろうと思っていたんだけど、「人が多いところは落ち着かない」とルミルが怯えた目を見せたので、白いうさぎ亭までの道をゆっくり歩くことにした。

 それなりに距離があるし、人に聞かれたくない話をするなら街の雑踏に紛れるのが一番だと思い直したからだ。

 果たして、ルミルの第一声は謝罪から始まった。


「ごめんなさい。テイルには本当に悪いことをしたと思ってる。この間のことも、その前のことも、全部……」


「別にいいさ。それに、俺は昔から嫌なことは忘れる質だから、ルミルに何かされたって記憶はないんだ。まあ、どっちかっていうと、レオンのことが強烈に焼き付いているせいだけどな」


「で、でも……」


「俺のことなんかより、リーナにちゃんと謝ってやってくれよ。あれから、けっこう落ち込んでいたみたいだから」


「うん、それはもちろん」


「あ、そこの角を右だ」


「うん」


 と右に曲がりながら、横目に町娘姿のルミルを見る。

 さっきはあまりの変身ぶりについ服装と顔に目が行ったけど、ここまで背が低かったかと、今さらながらに自分の記憶に自信を無くす。

 考えてみれば、ルミルを見る時はいつもレオンの後ろに立っている姿ばかりだった。

 いつも威圧する態度をとってくるレオンばかり見ていたせいで、ルミルのことを歪めていたのかもしれない。

 そう考えると、ルミルに対して過去のあれこれを突き付ける気も失せてしまう。


「それで、本当にテイルのところに行ってもいいの?何かの手違いじゃないの」


「ん、ああ。確かにルミルを預かると言ったよ。リーナにも、ターシャさんやダンさんにも了解は取ったから、安心して住んでもらっていい。ただし、うちは働かざるもの食うべからずだから、ルミルにもちゃんと働いてもらうけどな」


「うん、それはもちろん。これでも実家は普通の農家だったから、小さい頃は親の手伝いをしていたから頑張る」


「そうか。で、うちの女性陣は全員接客係をやっているわけだけど、ルミルもそれでいいか?」


 できれば女同士の方がいいだろうと気遣ったつもりが、それまでおどおどしながらもしっかりと受け答えしていたルミルの顔が一気に青ざめた。


「あ……、こ、こんなこと頼める立場じゃないことは分かってるけど、あんまり人目につくような仕事は勘弁してくれないかな?テイル達にも迷惑かけちゃうかもしれないし……」


「いや、俺の方こそ悪かった。そうだよな、接客はまずいよな。じゃあ、後は雑用か、厨房でダンさんの手伝いってことになるけど……」


「それなら、厨房でもいい?これでも私、料理には少し自信があるんだ」


「そうか。じゃあ、白いうさぎ亭に着いたらさっそくダンさんにお願いしてみるか」


「うん、お願いね」


 そう言ったルミルの血色が戻ったのを見て内心ほっとしたのもつかの間、もう白いうさぎ亭に着いてしまった。

 当然、表には白いうさぎ亭の制服を着たリーナが待っていて、


「ルミル……」


「リーナ……、ごめんね、ごめんね、ほ、本当に……」


 謝っている途中から嗚咽が混じり、それ以上何も言えなくなってしまったルミル。

 その小柄な体に歩み寄ったリーナが、ゆっくりと両腕で包み込んで優しく抱きしめたところまで見届けて、俺は裏口に回った。






「で、こいつが料理人助手志望のルミルです。ルミル、こちらがダンさん。ジュートノルで三本の指に入る料理人で、白いうさぎ亭の店長だ」


 その後、リーナと和解して気持ちを落ち着けたルミルが改めて裏口から来て、ダンさんに挨拶に来ていた。

 とりあえず仲立ちくらいはと、なぜか緊張しながらお互いの紹介をしていると、


「ルミル、なんか顔が赤いぞ。ひょっとして風邪か?」


「え……?い、いや、そんなんじゃなくって――そ、そんなことはないわよ?」


「なんで疑問形なんだよ。ていうか、言葉もおかしいぞ。もしかして本当に――」


「どれ、見てやる」


 そこで、ふいにダンさんがルミルに近寄ると、白くて小さな額に無骨な手を当てて熱を計り始めた。

 すろと、


「……ひ」


「「ひ?」」


「ひあああああああああ!?」


 バタン


 最初は、風で裏口のドアが閉まったのかと思ったけど違った。

 そして視線を元に戻すと、この一瞬で顔中に汗が噴き出したダンさんと、顔を真っ赤にして仰向けに倒れ込んだルミルの気絶した姿があった。


 その後、急いでターシャさんを呼んだり、リーナが俺とダンさんに何をしたのかと詰め寄ったりと、ちょっとした嵐が白いうさぎ亭に吹き荒れたりしたけど、とりあえずルミルが狭い厨房で頭をぶつけなくてよかったということにしておこう。


 驚天動地吃驚仰天の大事件、ルミルがダンさんに一目惚れしたらしいとターシャさんから聞かされたのは、翌日のことだった。


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