第217話 証言者ルミル
レナートさん率いる衛士隊の援護もあって、ガルドラ公爵が放った冒険者の集団からリーナを守り切ることができた。
その後は何事もなく順調にジュートノルに帰った――とは、さすがにいかなかった。
襲撃がマクシミリアン公爵領で起きたことで、後始末の必要があったからだ。
「まったく、騎士は殺すわ、正体を隠す気はないわ、ガルドラ公爵も何考えてんのかね」
そうぼやいたレナートさんの指示で、夜明けとともに衛士隊が周辺を捜索した結果、関所に吊るされていた騎士の他に八人の衛兵の遺体が見つかった。
そこから、宿場町の役人に連絡を取って、ミリアンレイクから騎士を派遣してもらい、報告書の作成に協力して(俺も証言した)身の潔白を証明してから、ようやくジュートノルへの帰路に就いた。
当初の予定よりも三日遅れての出発だった。
白いうさぎ亭に帰ってからの数日は、特になんて事のない日常が続いた。
まあ、リーナが時々ジオに呼び出されたり、そのリーナとの微妙な距離感の変化に敏感に察したらしいターシャさんが時々ふくれっ面をするようになったり、ますます接客術に磨きがかかって三人目の看板娘らしくなったティア目当てのロリコ――客が増えたり。
その一方で、街の外から来る商人や旅人の数が少なくなったり、魔物に襲われて村一つ滅んだなんて物騒な噂が増えて来たりと、不穏な空気が漂っている気がする。
それでも、俺の周りには特に変化もなく、このままの暮らしが続けばいいなと漠然と考えていたところに、俺達に遅れる形でジュートノルに帰ってきた衛士隊の隊長さんを通じて、ジオから呼び出しがかかった。
「そんなに警戒しなくても、今日はただの事後報告だよ。旅に出されて貴族の暗闘に巻き込まれて、事の次第も知らされずにそれでおしまい、って言うんじゃあ、さすがに後味悪いだろう?」
「いや、別に」
例のごとく別邸で、出された茶菓子に舌鼓を打ちながら、そっけない風を装ってジオに答える。
本当は気になることがないわけじゃないけど、こうでも言っておかないとまた面倒ごとを押し付けられるかもしれない。
それくらいには、ジオのことをわかってきたつもりだ。
「まあまあ、さすがに公爵同士の争いのあれこれを話すつもりはねえよ。ただちょっと、お前が知っておくべきだろうって情報が色々と出てきたんでな」
そうジオの横から口を出してきたのは、ここで見るのは初めてのレナートさん。
その眼の下にくっきりとしたクマができていることから、ジュートノルに帰って来てからも忙しく過ごしているらしい。
眠気覚ましのためか、さっきから茶にもお菓子にも手を付けずにメイドに持ってこさせた水ばかりを飲みながら、もう片方の手にある報告書らしき紙の束に目を落としている。
「俺と関わりがあることっていうと?」
「決まってるじゃあないか。ガルドラ公爵家次期当主、レオンのことだよ」
「やっこさん、冒険者の頃からずいぶんと無茶をしてきたみたいだな。騎士の家の出らしいが、実家がある王都でヤンチャし過ぎてジュートノルに流れてきたっていうのは、かなり控えめな表現だな。暴行、傷害、恐喝、詐欺、その他諸々。奴の周りじゃ数件の不審死も確認されてるが、実家の権力がなきゃとっくの昔に監獄行きだろうぜ」
「そ、そんな奴が冒険者に……?」
「テイルも知っての通り、レオンには天武の才があった。実家が庇い続けたのも、そのあたりが理由だろうね。もっともこれは、先日捕虜になったルミルという魔導士から得た証言をもとに情報を洗い出してわかったことだ。公爵家次期当主を糾弾する証拠としてはいささか弱いね」
レナートさんからのレオンに関する衝撃の事実を聞かされて受け止められずにいると、ジオが助け舟を出してくれた。
どうやら、レオンの悪行が暴かれたきっかけは、ルミルの証言みたいだ。
「それでも悪行は止まらず、実家でも庇いきれなくなったんだろう。ほとぼりを冷ますためにジュートノルにやって来てからのレオンは、しばらくの間は大人しくしていたようだよ。悪い噂は特になく、むしろ冒険者学校時代はすぐに頭角を現して同期からの信頼も厚かったようだ」
「それで更生してくれりゃあ良かったんだがな、お前も巻き込まれたダンジョンの一件で過去の悪行が掘り返されて、居場所を失くしたレオンは仲間と共に王都に戻ったわけだが、さすがに早すぎた。半ば勘当された実家からは梨の礫で、王都の冒険者ギルド総本部にもいつジュートノルから手配書が回るか分からず、にっちもさっちもいかなくなっていたそうだ」
なにしろ、レオンに直接同行していたルミルからの情報だ。ジオとレナートさんが俺やリーナも知らなかったことを見てきたように言えるのも当然だ。
だけど、今さらレオンの素行の悪さを知ったところで何になるんだろう?
そんな俺の疑問が吹き飛ばされたのは、すぐだった。
「そんな中だ、王都の上空に大型ドラゴンが姿を現したのは」
「ドラゴン!?それってまさか……」
「お前も知ってる、レオンが撃退したとされる個体だ。ただし、その実態は想像してたのとはかなり違うがな」
そこでレナートさんは、心底うんざりしたという表情をして、紙の束のページをめくった。
「そもそも、大型ドラゴンはただ上空を飛んでいただけで、王都を襲う意思は見られなかったと、複数の監視所から冒険者ギルドに報告が届いていた。それを、仲間の魔導士に狙撃させて怒った大型ドラゴンが降下してきたところにレオンが斬りつけ、手傷を負わせたってのが真実だそうだ」
「話だけ聞くと簡単そうに聞こえますけど、そんなにあっさりと上手くいくものなんですか。ドラゴンなんでしょう?」
鋼の剣を通さない鱗、大魔法並のブレス、矢も届かないほどの高さを飛べる翼。
特に大型と呼ばれるドラゴンは、人族の手には負えない怪物とされている。
「物を知らない蛮勇なのか、それともよほど自分の力量に自信があったのか。ともかく、レオンの無謀な行動は天上から落ちてきた糸が針の穴に通るような確率で成功した。成功してしまった」
「その後の大型ドラゴンの行動の一部は、お前も知ってるだろう。手傷を負わされ驚いた大型ドラゴンは王都から逃げ去ったが、腹の虫がおさまらなかったのか近隣の村を襲い、さんざんに炎のブレスをお見舞いして丸ごと黒焦げにした」
「それが本当なら、レオンがやったことって……」
「まさに迷惑以外の何物でもないわな。俺が王都の騎士団長だったらその場で捕らえて、処刑台に送ってやるところだ」
「冒険者ギルドのグランドマスターが何を言っているんですか……」
「馬鹿野郎、統括する立場だからこそ、闇夜に乗じて暗殺するならともかく、冒険者を処分するにはややこしい手続きが要るんだよ。白昼堂々とドラゴンにちょっかいかけたんだぞ、関係各所の協議なしにどうこうできる問題じゃなかったんだよ」
「それで、ようやく話がまとまったタイミングで、ガルドラ公爵家に横からレオンの身柄を攫われてしまったというわけかい?こう言ってはなんだけれど、王都の無能ここに極まれり、だねえ」
「仕方がないでしょう。俺達が衛兵隊や騎士団と必死こいて調整していたところを、向こうは派閥の貴族を巻き込んでドラゴンバスターの英雄に祭り上げて、レオンに手出しできなくされちまったんだから。おかげで、ドラゴンの移動の順番とか、ドラゴンの方が先に襲ってきたとか、隠蔽と改ざんの片棒まで担がされる始末だ」
レナートさんのぼやきで、あの残忍なレオンの性格を改めて知るとともに、まるでおとぎ話の英雄のように出世していく姿に、うすら寒いものを感じる。
あの横暴さは実力に裏打ちされたものだったことは確かだけど、次期侯爵という立場まで手に入れたレオンが一体何を企むか、考えるだけでも恐ろしい。
いや、きっともう企みは動き始めているんだ。
「王都でレオンの話題が出た時にも言ったけれど、何人もの有力候補を出し抜いて次期当主に躍り出たことで、ガルドラ公爵家では混乱が続いたようだけれど、テイル達がマクシミリアン領で体験した数々を考慮するに、どうやら公爵家内の意思統一は図られたようだね。でないと、自領で発生したゴブリンをマクシミリアン領に押し付けるなんて大胆な真似ができるはずもない」
「にしちゃあ、リーナ嬢誘拐の手際は最悪でしたがね。騎士は殺すわ、奇襲はお粗末だわ、指示役に徹するべきオーグはしゃしゃり出てくるわ。あれだったら、その辺の盗賊団に依頼した方がよっぽど成功率は高かったでしょうよ」
「その辺のちぐはぐさは、さすがに意味がわからないね。ドラゴンの件は、魔法を打ち込んだ当人からの証言で詳細が分かったけれど、さすがにガルドラ公爵家の命令系統までは、レオンから切られかけていた身では知りようもなかったようだからね」
「ちょっと待ってください!ルミルがレオンから切られかけていた?ていうか、ルミルがドラゴンに攻撃したんですか?」
「ルミル本人の証言を信じるならな。まあ、英雄はレオン一人の方がガルドラ公爵家にとって都合がいいから、ルミルの役割自体が無かったことにされているがな。それなりの口止め料がレオンから支払われたそうだが、それでも安心できなかったんだろう、次第に遠ざけられていたらしい」
「その結果、リーナ誘拐のメンバーに加えられて、見事に見捨てられたってことか。でもそれ、なんかおかしくないか?」
想像するのも嫌な話だけど、俺がレオンだったらルミルを手元から離さない。
いくら口止めしてあるとはいえ、知らないところでドラゴン撃退の真実を話されたら気が気じゃなくなる。
それとも、大貴族の次期当主ともなれば、一平民の言葉なんて無視しても問題ないんだろうか?
そんな邪推をしていると、
「まさにそこだよ。確かに、ルミル一人がいくら騒いだところでレオンには何のダメージもない。けれど、例えばこの僕がルミルの証言を信じて、ガルドラ公爵と敵対する貴族に噂を流せば、話は変わってくる」
「平民なら戯言で済んでも、貴族がそれなりの理論武装とセットで主張すれば、さすがのガルドラ公爵家でも無視はできんわな。何を考えてか知らんが、オーグの奴も馬鹿なことをしたもんだ」
「……これから、ルミルはどうなるんだ?」
さすがにお人好しじゃないかと自嘲しつつも、リーナのことも考えてルミルの今後を聞いてみる。
話を聞いた限り、ジオがガルドラ公爵家のことを良く思っていないことは間違いない。
その攻撃材料として、ルミルが重要になってきているのもわかった。
その一方で、ルミルがガルドラ公爵家にとって邪魔を通り越して危険な存在になっているということでもある。
ジオグラッド公国とガルドラ公爵家にの間に挟まれて、ルミルの命は風前の灯火になっているように、俺には思える。
「そこでテイルに相談だ。というより、これが呼び出した本題でもあるんだけれど」
「ルミルのことは心配するな。襲撃された宿場町でちょっとした小細工をしといた。俺達が始末した冒険者は近くの墓地に埋葬したんだが、そこに遺体の無い墓を一人分余計に作っといた。ガルドラの間者の目はそっちに向いてるはずだ。今のところはな」
嫌な予感がするジオの切り出しに続いて、レナートさんが知りたくもない情報を耳に入れてくる。
すでに話の行き着く先に確信を持ちながら、せめてうんざりした表情を作っての精一杯の抵抗を試みるもあえなく、
「テイルのところでルミルを預かってくれないかな。なあに、王女や公爵令嬢に比べたら軽いものだろう?」
いや、重いよ。責任の重さに押し潰されそうだよ。
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