第212話 兄として


 ミリアンレイクに戻ってきて、旅装から身なりを整えて前回と同じ応接間に通され、マクシミリアン公爵ことリーナのお兄さんに帰還のあいさつが終わった後でのことだった。

 悲しそうな目をしたお兄さんが、リーナに向けて叱り始めたのは。


「アンジェリーナよ。いくらなんでも護衛騎士を置き去りにするような真似を見過ごすことなどできんぞ」


「……申し訳ございません、兄上」


 いつもなら、「そこはお兄様だろう!!」と怒鳴りつけてくるのがリーナのお兄さんだと思っていたけど、さすがは公爵様、時と場所は弁えていた。

 俺の背中に体を預けていた時の楽しそうな雰囲気は一変し、大人と呼んで差支えのない年になってお兄さんに怒られて項垂れているリーナの姿は、自業自得とは言ってもちょっと気の毒になるくらいだった。


「いくら冒険者に身をやつそうとも、マクシミリアンの血筋と立場までは消えるものではない。ましてや、公爵令嬢としての力を利用している最中に、護衛騎士を出し抜くなどあってはならない。アンジェリーナ、言っている意味は分かるな?」


「はい。誠に返す言葉もございません……」


 そのお兄さんも、あまりお小言を長引かせるつもりはなかったみたいで、一通りの訓戒のようなことを述べた後で、短くため息をついてから、


「それで、ゴブリンの侵入の阻止は目途が立ちそうなのか?」


「はっ、では、私から報告させていただきます」


 と答えたのは、お兄さんと向かい合わせに座る俺とリーナの背後に立つ細身の騎士。

 俺達の土レンガ造りの日々と、ゴブリンの大集団の出現の一部始終を聞いたお兄さんは、


「それで、魔法で作ったというレンガの強度と耐久性はいかほどか?」


「私自ら試しましたが、靴のかかとで数度踏みつけただけではびくともしませんでした。角の方も破損することはなく、それなりの年月において形状を保てると思われます」


「少なくとも、並のレンガよりは丈夫ということか。派遣した甲斐はあったな」


「ゴブリンの大集団の死体も我らで念入りに後始末を済ませましたので、ひとまずの脅威は去ったかと」


「とはいえ、再びこの規模で越境されれば守り切れる保証はない。壁の建設を急がせろ」


「はっ!!」


「お兄様、そろそろ私達を呼び戻した理由をお聞かせくださいませ。報告だけでしたら、そこのレーゲンだけで十分でしょう?」


 相変わらず尊大な態度のお兄さんに、しびれを切らせたリーナが文句を言う。

 だけど、甘い対応に変わるかと思っていたお兄さんの表情は厳しいままだった。


「そんなことはどうでもいい。それよりもアンジェリーナ、そこの男と共に急ぎジュートノルに戻れ」


「えっ……、どういうことですか?せっかくの機会ですからお義姉様達にテイルを紹介しようと思ったのですけれど。そのために呼び戻したのではないのですか?」


「私もそのつもりだった。もっとも、家族の団欒はともかく、そこの盗人を奥らに会わせることだけは全力で阻止するつもりだがな。だが、状況が変わった。ガルドラの手の者がお前の存在を嗅ぎつけたのだ、アンジェリーナよ」


「私の?……まさかレオンが!?」


 眉間にしわを寄せたお兄さんの言葉に、過剰に反応するリーナ。

 だけど、俺は妙に納得してしまった。お兄さんにじゃなくて、ここまでしてリーナを手に入れようとしているレオンにだ。

 あいつなら、そのくらいのことはやりかねない。


「そこまでは分からん。だが、最近城の周辺で何人かの間者が捕らえられ、尋問にかけさせたところ、全員がガルドラ公爵領から来たと自白した。目的がアンジェリーナの居場所だということもな」


「なんで、なんでそこまで……」


 呆然としているリーナに声の一つでもかけたいところだけど、俺は俺で考えないといけないことがある。

 これだけの貴族同士の内情を話しているのに、なんでお兄さんが俺の同席を許しているかという疑問を。


「気をしっかりと持て。本題はここからだ」


「え?」


「今回捕らえた者共は全て、ガルドラ公爵家が外部の闇ギルドに依頼したと吐いている。おそらくはその数倍が、未だミリアンレイクに潜入していると推測される。それほどの監視の目があれば、早晩、お前が戻ってきていることがガルドラ公爵に知られるだろう。そうなれば、ガルドラ公爵家がどう動くか、王都でのお前が誘拐の憂き目に遭ったことを考えれば、どのような手に打って出てくるのか想像に難くはなかろう」


「まさか、私を攫うためだけに、このミリアンレイク城に襲撃を仕掛けてくるというのですか!?」


「無論、関与の証拠など残さない形であろうが、アンジェリーナの身柄さえ押さえてしまえばどうとでも言い分は立つ、ガルドラ公爵家はそう考えているのだろう。例えば、冒険者として放浪していたところを領内で保護した、などだ」


「そんな!私はずっとジュートノルに居たのですよ!」


「昔から貴族社会に馴染まなかったお前にはわからぬかもしれんが、それが貴族の力だ。体裁さえ整えば、平民共がどれだけ束になろうとも貴族の証言一つであっさりと覆り、真実となる。忘れるなアンジェリーナ、今のお前は貴族ではなく、冒険者として存在しているのだ」


「で、でも、兄上ならガルドラ公爵家にも対抗できるのですよね?」


「確かに、同格の公爵として、我が愛しのアンジェリーナを守るためにガルドラ公爵家に正式に抗議することも、大義名分さえあればよしみを通じている他の貴族に追討の号令をかけることもできる。だが、そうなればお前は生涯貴族令嬢としての身分に縛られ、政略結婚の道具としての責務を全うしてもらうことになる。それでもいいのか?」


「そ、それは、兄上がずっと私に望んでいたこと、ではありませんか……」


 辛辣を極めるお兄さんの追及に、徐々に小さくなっていくリーナの声。

 だけど、俺にはお兄さんの言葉が、まるでリーナの意思を確かめているかのように聞こえていた。

 それを証明するように、お兄さんの表情がわずかに緩んだ。


「冗談だ。お前を籠の鳥にする気などない。それが父上の遺言だからな」


「お父様の……!?」


「王都守護に殉じられる直前、私に向けて書かれた遺書が先日届き、その中にアンジェリーナは自由の身に、とあったのだ。貴族にとって歴代当主の言葉は絶対。私の代でそののりを超えることはできぬ」


「お兄様……」


「わかったなら、もう行け。リーゼルには六頭立ての馬車を貸し出して、先に支度をさせてある。今頃は裏門でお前達を待っているはずだ」


「で、ですが、お兄様は、お兄様とは……」


「私を誰だと思っている?それに、これが今生の別れとはなるまい。近い内にまた会うことになるだろう」


 とお兄さんがおもむろに立ち上がってテーブルを回り込むと、リーナの頭に優しく手を置いた。


「アンジェリーナ、とうとう私の思い通りには育たなかったな。だが、家にいた頃よりは良い顔をしている。父上は、そんなお前の気性にいち早く気づいていたのだろうな」


「いえ、いえ、いつも私を気にかけてくれていたお兄様の心遣い、忘れたことは一度もありません」


「アンジェリーナよ、例え家を出ようともお前が私の妹であることに変わりはない。困ったことがあれば遠慮なく頼ってくれ。父上の分まで、私にお前を見守らせてくれ、愛しのアンジェリーナよ」


「お兄様、お兄様」


 見たこともないほどやさしく微笑むお兄さんと、衣装のすそにすがりついて肩を震わせるリーナ。

 そして、お兄さんの目が俺に向いたかと思うと、小さく、だけど確かに頷いた。

 その意味は、言葉にしなくてもはっきりと俺に届いた。

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