第209話 領境まで

「壁を作りましょう。ガルドラ公爵家の領地に添って、延々と」


 という、ゴブリンの侵攻に対する俺の適当極まる提案のせいだとはいえ。

 リーナと衛士隊と計七人でミリアンレイク城の正門まで戻ってきて、さてここからどうしようと軽く途方に暮れたところで、思わぬ救いの手が差し伸べられた。


「お待ちしておりました!ここからは不肖、マクシミリアン公爵家近衛騎士団所属、レーゲンがご案内――ぬっ、貴様は!?」


「ん、……あ、あんた!?」


 あっちはすぐに、こっちは少し間があってから気づいた。

 正門に横付けされていた二台の馬車の前に立っている背の高い騎士が口上を述べている最中に、俺と目線が合うなり我を忘れたように叫んできた。

 ――顔以外はまったく知らないけど間違いない、リーナの婚約者候補の一人だ。


「おのれ、まだアンジェリーナ様に付きまとって――」


「お役目ご苦労様。案内してくれるかしら?」


「は、は!ではアンジェリーナ様、こちらにお乗りください。お付きの者らは後ろの馬車に」


「あらそう。じゃあテイル、乗りましょうか」


「あ、ああ、うん」


「ア、アンジェリーナ様?」


「あら、なにかしら?」


「い、いえ、何でもございません……」


 騎士の勧めを無視するように、俺の手を取ったリーナ。

 慌てて止めようとしてきた騎士だけど、リーナの一言とあまり見たことがないお嬢様スマイルで、すごすごと引き下がった。


 考えてみれば、このマクシミリアン領でリーナに本気で意見できる人なんて、それこそ公爵その人であるお兄さんぐらいしかいないはずだ。

 そんな、とんでもない身分のご令嬢に手を引かれているんだと改めて思い、喉を鳴らさないように唾を飲み込んでいると、


「どうかしたの?」


「い、いや、なんでもない」


「変なテイルね、ふふっ」


 そんな俺の考えを読んだように声をかけられて、思わず騎士と同じような返しをしてしまう。

 するとリーナは騎士に向けたものとはまるで別人のような自然な笑顔で、俺に微笑みかけてきた。






 特に考えもなく勧められるがままに(個人的にはちょっと違うけど)馬車に乗り込んだのは、ちょっと早まったかもしれない。

 強いて言うなら、馬車が公爵令嬢を乗せるにはやけに実用的な造りな上に街中を走るには大げさな六頭立てだったことと、途中から二台の荷馬車と護衛の数騎の騎馬が加わった時点で、ミリアンレイクの外に出るつもりなんだと気づいて質問するくらいのことはできたと思う。

 だけど、まさか城を出たその足で領境まで直行するなんて誰が思う?そもそもこの準備はいつやったんだ?


「リーゼル殿が言っていたじゃない、マクシミリアン公爵家は軍備が充実しているって。うちではとっさの事態に備えて、いつでも領内を移動できるように必要な物資や馬車が常備されているのよ」


 リーナの言う通りだったとしてもそれにしては用意が良すぎやしないかと思うけど、そこは公爵直々の命令ということで最速で旅の支度が整えられた、ということらしい。

 そんなわけで、ミリアンレイクまでと思っていた旅は思わぬ形でその先に足を延ばすことになったんだけど、何事もなく目的地に到着しました、なんていうのは報告書の中だけの話だ。


「ねえテイル、実は私、ジュートノルを発つ前から考えていたことがあるんだけれど」


「な、なんだ?」


「ほら、せっかくミリアンレイクまで帰って来たんだから、お兄様にちゃんとあいさつした方がいいじゃない」


「ま、まあ、兄妹の再会なんだから、当然じゃないかな?」


「そうよね。そのついでと言ったら何なのだけれど、テイルのこともちゃんと紹介したいのよ」


「しょ、紹介?」


「そう、紹介」


 紹介。

 その言葉自体はとてもよく使われていて、例えば友人、あるいは商売上の取引相手に共通の知り合いを通じて仲立ちをしてもらう、人と人を繋ぐ時に必要な儀式といえばいいだろう。

 そして、主な使用例がもう一つ、恋人や結婚相手を家族に披露する時にも使われたりする。


「そんなに大げさにするつもりはないの。ただちょっと、お兄様とお義姉様と甥姪たちに挨拶して、晩餐の一つでも囲めば、それで最低限の義理は果たせると思うのよね、フッ」


「あふっ」


 ただ、向かい合わせのソファがある広々とした馬車の中で、肩がくっつくほどに身を寄せてきて囁くように話すリーナを見て、他の「紹介」の可能性は完全に消えてしまった。

 ちなみに、最後に自分でも思うくらいに気持ち悪い声を上げてしまったのは、リーナが言葉の切り様に耳の穴に息を吹きかけてきたせいだ。

 断じて、断じて感じてしまったなんてことはあり得ない。


「考えておいてね、テイル」


 そんなやり取りがあったりなかったりした二日後、四つくらいの町を経由しながら旅は粛々と進んで、ようやく馬車はジュートノルから見て反対側の領境に一番近い村に到着した。


「これはアンジェリーナ様!?ようこそおいでくださいました――き、貴様は王都での!?」


 薄々そうじゃないかと思っていたけど、村で出迎えてくれたガタイのいい騎士もまた、王都で会ったお兄さんの側近、つまりリーナの婚約者候補の一人だった。

 とりあえず、ミリアンレイク城の正門と大差ないやり取りがあって、リーナが公爵令嬢の貫禄で黙らせた後、ようやく村で一番大きな家に俺とリーナだけが通された。

 そこで二人の騎士が奥に引っ込んで、お茶を出されて二人でしばらく待った後、


「お待たせしました。事のあらましはレーゲンから聞きました。なんでも、ガルドラ公爵領との境に長大な壁を造り上げるとか。失礼ながら、本当にそのようなことが可能なのでしょうか?」


 リーナの手前態度には出さないけど、半信半疑といった体でガタイのいい騎士が聞いてきた。

 まあ、いくら公爵の妹が連れてきたとはいえ、よそ者がいきなり難題を解決しますと売り込んでくれば、俺だって警戒する。

 そんな不安を払しょくするようにリーナは、


「私は戦闘系以外の魔法にあまり詳しくないから確認しておきたいのだけれど、騎士団の方で似たような案は出なかったの?」


「無論です。問題の核心であるガルドラ公爵家領に立ち入ることができない以上、いかに領内にゴブリンを入れないかを考えるのは防衛の基本ですので」


「では、そうできない理由があるのね?」


「最大の課題は、資材の確保です」


「なるほど、この辺りには森も山もないものね」


「仰る通り、近郊では石材も木材も確保が難しく、輸送しようにもどこでゴブリンと出くわすか分からない以上、貴重な運び手と馬車を最前線まで呼ぶのは難しいのです」


「輸送隊に護衛をつける手も考えたのですが、膨大な資材の輸送に毎回同行させる人的余裕が、今の騎士団にも衛兵隊にもありません。また、それほどの労力と時間を支える予算を編成するとなると、公爵家の財政に差し障りが生じるため、やむなく諦めた次第です」


 二人の騎士から実現不可能だと言い切られたリーナは少し考えこんだ後、ぽつりと言った。


「……もし、資材の確保と輸送の手間を省けたら、その時はどうかしら?」


「は、……あとは工夫とその護衛を都合すれば、ということでしょうか?それでしたらまあなんとか」


「領境には至るところに騎士団と衛兵隊からの援軍が布陣しておりますから、護衛の手間は大幅に軽減できるでしょうが……」


「決まりね。じゃあテイル、お願い」


「お前そんな簡単に、……まあやるけど」


 ここは、他人事なのに安請け合いしてしまったリーナに文句の一つでも言ってやるべきなんだろうけど、何かと否定的な二人の騎士に見栄を張りたかったのかと思うと、こっちも安請け合いするしかなかった。

 それに、今回は切った張ったの命がけにはならないみたいだ。少なくとも最近に比べたら軽いものだ。

 問題は、俺の魔力量くらいなものなんだから。

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