第207話 ゴブリン侵攻対策
力が弱く、足が遅く、知能も高いとは言えない、単体としては最弱の部類に入る魔物、ゴブリン。
衛兵どころか鍬を持った農民にも負けるだろうと言われながら、それでも人族の脅威とされているのは、ひとえに他の追随を許さない繁殖力にある。
諸説あるけど、ゴブリンのつがいが一月に生む子供の数は、実に百匹。
さらに一月、血の濃淡など気にしない兄妹同士が子作りに励めば、およそ五千匹。
半年後や一年後に膨れ上がる数なんて、想像するだけで恐ろしい規模だ。
もちろんこれは、ゴブリンの生活環境が万全で外敵の存在を無視したあり得ない仮定なわけだけど、逆に言えばそれなりの条件が整えば爆発的に生息数が増加するという意味でもある。
それだけに、この世界で最大の勢力を誇る人族にとってゴブリンの討伐は、最優先で行うべき使命といえるわけだ。
「我が領地はアドナイ王国屈指の広さを誇り、領民の数もふさわしい規模だ。それでも手付かずの自然が多く存在し、魔物が生息する余地が多分にある。そのため、人の手が多く入ったジュートノルやかつての王都よりも魔物討伐の重要性が高いのだが、欲得でしか動かぬ冒険者に任せていては人里の安全は保てぬ。その難題を解決したのが先々代マクシミリアン公、偉大な我が祖父だ」
と力説する現マクシミリアン公爵であるリーナのお兄さんに、リーゼルさんが感心した声を上げる。
「騎士団を増強するとともに、怪我や死亡への補償を充実、遺族の生活をも保障するした結果、領内の安全が飛躍的に高まり、領地経営の手本とまで呼ばれるようになったそうですね」
「お爺様の偉大なところは、派閥や貴族や騎士への配慮に留まらず、平民の暮らしや商人の損得にまで深い理解を示していた点にあるわ。私が小さかった頃は、なんでそんなことまで知っているのかと、ただただ尊敬していただけなのだけれど……」
「私が生前の父上から聞いた限りでも、お忍びと称して平民の暮らしをつぶさに見て回っては、悪事を見つけて身分も弁えずに相当な暴れっぷりだったとか。おかげで、幼少期の私が先々代を見習おうとすると側近達が総出で阻止にかかるので、市井を覗くこともままならなかった」
「お兄様の場合は、勉強や訓練をこなさずに城を抜け出して、その度に家庭教師や騎士団長を困らせていたからではありませんか」
「と、アンジェリーナの言う通り、どうやら私には先々代ほどの器量はないらしくてな。他の貴族領から越境してくるゴブリン共の相手で手一杯だ。貴族院の後輩のそなたが使者、さらには可愛いアンジェリーナの口添えゆえにそちらの顔を立てる意味で会うだけ会ったが、とても公王陛下の期待に応える余裕など微塵もないのだよ、リーゼル」
そう言って、リーナのお兄さんはさっきと同じ拒絶の言葉を繰り返した。
「アルベルト様、私も子供の使いでミリアンレイクまで足を運んだわけではないのです。せめて、具体的な脅威度と被害のほどを提示していただかないことには、公王陛下への申し開きもままなりません」
お前の領地の敵の数と死者を教えろ。
言葉こそ丁寧なリーゼルさんだけど、中身はほぼ暴言に等しく、俺だけじゃなくリーナもぎょっとしている。
だけど、
「この一月だけでも、他領から攻め込んできたゴブリンは約一千、その結果、領境の集落が三つ全滅した。そして翌月はほぼ間違いなく、報告数が数倍に達するだろう」
淡々と、それでいて軽さなんて微塵も感じないお兄さんの言葉。
直後に固唾を飲んだ音が聞こえたと思ったら、無意識のうちに俺自身が喉を鳴らしたせいだった。
「現在、我が騎士団が総力を挙げてゴブリン討伐を進めているのでそれ以上の被害は免れているが、所詮は付け焼刃にすぎん」
「なぜです?ゴブリン討伐は拠点を叩くのが常道です。むしろ、無数に湧いて出てくる下級ゴブリンをいくら減らしたところで、兵の補充で劣るこちらに勝ち目がないことは分かっているはずでしょう?」
「いくらゴブリン討伐のためとはいえ、他領の貴族の了解もなしに越境することなど、たとえ王都が陥落して混乱の最中にあろうともあり得ん話だ。ましてや、正式に越境討伐の要請を断られたのならなおさらだ」
「それこそ、ゴブリン討伐という大義名分と、マクシミリアン公爵家の意向をもってすれば大抵の貴族は……、まさか、他領の貴族とは……!?」
「烈火騎士団の俊英と呼ばれる割には、随分と察しが悪かったな、リーゼル。いくらマクシミリアン公爵家といえど、同格のガルドラ公爵家の拒絶を無視するわけにはいかん」
ガルドラ公爵家。
いくら貴族の世界にうとい俺でも、その名前だけはしっかりと覚えている。
俺の同期で、リーナの仲間だったレオンを、次期当主として養子に迎えた大貴族だ。
俺と同様に平静を保とうとして失敗し、震える手をぎゅっと握り込んだリーナを一瞥したお兄さんが、
「ガルドラ公爵領のどこかにあるらしいゴブリンのコロニーだが、どうやら奴らの関心は豊かな土地が多い我が領地にあるらしくてな。様々な意味で厳しい土地柄のガルドラ公爵家にはほとんど実害がないらしい」
「ですが、いざ他の貴族軍を受け入れて本格的な魔物討伐となると、監視の意味も含めてそれなりの規模の兵を派遣しなければならない。となれば、自領の戦いに参戦しないわけにもいかない。ガルドラ公爵家はその損害を渋っているわけですか……」
「平時ならばアドナイ貴族にあるまじき行為だ。だが、王都失陥の非常時の折と言い張られてしまえば引き下がるしかない。それに、一応は味方のガルドラ公爵家をあまり刺激したくはない」
「かといって、このままゴブリンに好きに攻められるわけにもいかない。ううん……」
前門の虎、後門の狼。
というには、片方は同じ人族なわけだけど、ガルドラ公爵家の次期当主が次期当主なだけについそんな考えに陥ってしまう。
リーゼルさんも似たような心境らしく、最初の余裕はどこへやらですっかり頭を抱えてしまった。
リーナも困り顔の中、一人で向かい合ったソファに陣取るお兄さんだけが違う目をしていた。
「そこでだ、そこの盗人。お前の知恵を借りたい」
「……え、俺?」
平民ごときはまだしも盗人呼ばわりされる覚えはないとちょっと一言文句を言ってやろうかと立ち上がりかけた膝を、懇願するような目をしたリーナが押さえてきたので、何とか我慢する。
「ジオグラルド公王陛下がわざわざ王都まで連れるほどの秘蔵の
どこまでも上から目線で、最後の方は本気で盗人扱いしているとしか思えない物言いで、お願いというか命令してきたお兄さん。
貴族だけが三人の応接間に、平民の中で俺だけが残された理由はそこにあったかと納得する一方で、
「リーナ、本当にそんな手紙を送ったのか?」
「ちゃ、ちゃんと、ジオ様の検閲を受けてからお兄様に手紙を送ったのよ!お兄様からは手紙を出せと矢の催促だったし、むしろお兄様の関心を引くためにも、ある程度の情報は流せとジオ様に言われていたから……」
そのリーナの言葉で理解した。
やっぱり今回も奴の仕業かと怒髪天を突きそうになっていっそのこと嘘八百を並べ立てて迷惑の一つでもかけてやろうか、と悪だくみをしたのは一瞬だった。
ここで俺が馬鹿な真似に出れば、顔を潰されるのはジオじゃなくてリーナだと、思い直す。
それに何より。
自分の城である白いうさぎ亭を守るのだけで手一杯になっている俺に大貴族の領地をゴブリンから守れるわけがないと言いたいところだけど、天のお告げか悪魔の囁きか、一つの方法を思いついてしまったものをそのまま飲み込んで押し隠すなんて、やり通す自信は微塵もない。
「討伐が難しいなら、守りやすくすればいいんです」
三人の貴族が注目してきてさらに言いづらい雰囲気の中、一度吐いた言葉も二度と呑み込めないと覚悟して続きを話した。
思い出したのは、オーガの群れを迎え撃った時の砦だ。
「壁を作りましょう。ガルドラ公爵家の領地に添って、延々と」
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