第204話 宿場町の酒場で


 商業都市のジュートノルは物流の集積地でもあるんだけど、そのためには各都市に繋がる、整備された街道が必須だ。

 その維持のために冒険者や騎士団が定期的に見回って、魔物の侵入を防いでいるのは周知の事実だけど、今は王都が陥落した影響でどこの冒険者ギルドも各領地の騎士団も、自分の領地を守るので精一杯になっているらしい。

 そうなれば当然、危険が増した街道を行き来する旅人や商人も減る。

 そこで困るのが、街道沿いに存在するいわゆる宿場町だ。


「ここは烈火騎士団御用達の店でしてね。酒も料理も旨いのでいつもなら客も多いんですが、今はこの通り開店休業状態なので知り合いに聞かれる心配もないんです」


 カウンター越しに嫌な顔をする店主に構わずそう言ってのけたリーゼルさんに連れてこられたのは、この宿場町の目抜き通りの一角にある酒場。

 その言葉の通り、夕方前とはいえ俺達の他に客はいない。

 入ってきた時点で用意していたんだろう、仏頂面の親父が俺達が奥の席に座るなり、酒とつまみの芋とハムの炒め物を無言で置いて、奥に戻っていった。


「ここの酒は宿場町にありがちな混ぜ物はないんですよ。まずは一杯」


「いや、別に酒に付き合うつもりでついてきたわけじゃないんですけど……」


「わかっていますよ。一つ、私の個人的な話を聴いてもらおうと思いましてね。テイル殿も気になっているでしょうし」


 飲食業のたしなみとして付き合い程度に酒を飲んだ後で(確かにレベルは高かった)本題を急かすと、リーゼルさんは軽く肩をすくめてからいきなり核心をついてきた。


「テイル殿が私についてきたのは、リーナ様との関係が気になっているからですよね?」


「ま、まあ、その通りです」


 これまでのリーナとリーゼルさんの話しぶりが引っかかったのは紛れもない事実だ。

 貴族という狭い世界とはいえ、それにしてはお互いのことを妙に知っているなと頭の隅に引っかかっていた。


「簡単な話です。その昔、リーナ様と私は許嫁の約束が交わされていたことがあったのですよ」


「はああっ!?」


 精々幼馴染程度の関係だろうと高をくくっていたところに正面突破の一撃を食らって二の句が継げないでいると、


「ふふふ、あはははは!!いや、失敬。許嫁は遠い過去の話ですよ。それも、母親同士の口約束程度のもので、私程度の婚約者候補は他にもいたはずです。いわゆる泡沫候補ですから、今の私に思うところはありませんし、リーナ様も同じ心持のはずです。それに」


 と俺が心の立て直しに必死なところを無視するようにリーゼルさんは、


「代替わりしたマクシミリアン公爵の為人をよく知るリーナ様の存在は、密使としてこれほど心強いものはありません。確かにリーナ様の美貌と血筋は貴族にとって垂涎の的ですが、わざわざ両人と関わりを持つテイル殿の心を騒がせてまでアプローチをかけるつもりはありませんよ」


「べ、別に、リーナの恋路を邪魔するつもりなんて……」


「わかっています。貴族の嫡男である私に対して、テイル殿はそう言うしかないのでしょう。ですがテイル殿、どれほどの身分差があろうとも、言うべき時に言うべきことを言えないということにはしないように。これでも私は、陰ながらリーナ様の幸せを願う一人ですので」


 そう勝手に話を締めくくった後、コップに残っていた酒を一気飲みしたリーゼルさんは、


「それに、今の私の許嫁はティアエリーゼ様ですので」


「ブフォ!?」


 とんでもない威力の火魔法を打ち込んできた。


 視界の端にこっちを睨んでいる親父と目が合ったので、謝りながら布巾を借りて思わず口から噴き出してしまった酒を拭いて。

 お詫び代わりに酒とつまみを追加した後、話を仕切り直した。


「今度もお得意の冗談なんですか?」


 半ばそうあってほしいと願望も含みながらそう言ってみると、リーゼルさんはにこやかな笑顔を浮かべながら、しっかりと首を横に振った。


「残念ながら事実です。先日、公王陛下と我が母との間でそのような話になったそうです」


 となぜか他人事のようなリーゼルさんの話によると、あらましはこうだ。


 貴族としての立ち回りをしくじり、当代で家名断絶の憂き目に遭うことがほぼ決まっていたキアベル子爵家。

 その対策として、嫡子のリーゼルさんに騎士の教育を施してなんとか存続を図ろうとした、というところまでは聞いた。

 その風向きが変わったのが王都陥落だ。

 王太子の凋落と相対的に、ジュートノルという地盤を手に入れていたジオの評価が急上昇して、それに伴って側近のキアベル子爵家の存在感が増しているらしい。

 それと同時に、ジオと行動を共にしている(ように対外的に思わせている)実の妹のティアの価値が一気に高まったそうだ。


「あくまで母経由の話ですが、公王陛下の下にはティアエリーゼ様との縁談話がいくつか届いているそうです。それも、即座に断ることが難しいほどの家柄から。ちなみに私にも、少し前までのキアベル子爵家でしたら望むべくもない良縁が、数家から舞い込んできているというわけです」


 平時だったら、より取り見取りの縁談話に喜び勇んでお見合いのはしごをしただろう。

 しかし、縁談を申し込んできた貴族家の狙いは、ジオグラルド公国が独自に持っている伝手や権益を狙ってのことだと、リーゼルさんは断言した。


「そこで、公王陛下と母との間で利害が一致し、ティアエリーゼ様と私の婚約話がまとまったのです」


「それは、もうティアに伝わっているんですか?」


 疑問というよりは確信に近い思いでリーゼルさんに質す。

 少なくとも、出発の直前までのティアに、年の離れた婚約者ができた素振りは見えなかった。

 リーゼルさんの年恰好から、ティアとの年の差は大体二十くらいだろうか。

 平民ならあり得ないけど、貴族の間ではその程度のハンデは大して問題にならない、そのくらいの知識は俺にもある。

 だけど、これまでよりも苦笑交じりの笑みでリーゼルさんは、


「いえいえ、ティアエリーゼ様にはまだ伝わっていませんし、伝える気もありません。私との許嫁の約束はあくまで他の貴族の縁談を断る口実にするためであって、今のところは体裁以上の意味はありません」


「今のところ、ですか?」


「今やジオグラッド公国の重鎮となったキアベル子爵の嫡男と、公王陛下の実の妹であらせられるティアエリーゼ様との家柄のつり合いはそれなりに取れているということですよ。本当の許嫁になっても困らない程度のちょうどいい相手、それが私の役割というわけです」


 そして、とリーゼルさんが初めて表情を引き締めた。


「公王陛下直々にここまで評価していただいた私の今回の密使の役目がどれほど重要なものか、十分に理解していただけると思います。キアベル子爵家の恥ともとれる内輪の話をしたのも、テイル殿の信頼を得たいがためです」


「……そういうことですか」


 ティアのことはともかく、たかが平民の俺にどうしてリーゼルさんがここまで下手に出ているのか、ようやく理解できたところで、


「というわけでテイル殿、今夜は大いに飲み明かしましょう。この店なら多少の融通は利きますし、帰りが遅くなることはすでに隊長に伝えてありますので。親父、もう一杯だ!」


「いや、俺、そんなに飲めないんで」


「何をおっしゃいますか。先ほどからの飲みっぷり、なかなかの酒好きとお見受けしましたよ。さすがは衛兵に評判の食事処を経営されるだけはある」


「それは別に関係ないっていうか……、それよりも、俺のことを殿呼びするのやめてくれませんか?」


「またまた御冗談を!公王陛下の御友人たるテイル殿に敬称をつけないなど、次期キアベル子爵の体面に関わります!何より、あのリーナ様とティアエリーゼ様に慕われる器の大きさ、このリーゼル=キアベルにぜひとも見習わせていただきたい!!」


「ちょ、声が大きいですから!!」


 結局、どんどんハイペースで飲み始めたリーゼルさんに付き合わされる形で杯を空け続けた結果、宿屋に帰るなり「この酔っ払い男!!」と口汚く罵られる(誰とは言わない)ほどに泥酔してしまった。

 もちろん、翌日に影響が出まくったのは言うまでもない。

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