第201話 ミリアンレイクに行く前に


 マクシミリアン公爵領について、知っていることはほとんどない、というより皆無と言っていい。

 偶然、あるいはどこかの王子の陰謀で、今回マクシミリアン公爵家に関わることになったから、公爵なら広大な領地を持っているんだろうな、くらいの知識しかない。

 そんな、縁もゆかりもないに等しい場所に使者を送るのに、なんでジオが俺を選んだかというと、


「とてつもなく今さらなことを言わせてもらうけれどね、公爵や次期当主の面体を知っているというだけでも値千金の価値があるのに、直答を許された者なんて貴族以外じゃあ、それこそ片手で数えられるくらいしか存在しないんだよ。そんなこと、王家が命令したってそうそうできるものじゃあない。君はもう少し、自分の価値を見直した方がいいね」


 なんて、褒められているのかけなされているのかわからないお言葉を公王陛下からありがたく頂戴して、しぶしぶ頷くことになったんだけど。

 問題はその後だった。


「むー。またテイル君は私に黙って決めるんだから」


「あ、あの、はい、すみません……」


 その後すぐにジオから解放されて、別邸を後に。

 なんとか約束の夜営業までには白いうさぎ亭に帰りつけたんだけど、一つ大事なことが頭から抜け落ちていると裏口を通るまで気づかなかった。

 約束をしたのはダンさんだけで、ターシャさんの了解は取っていなかったのだ。


「テイル君、ちょっとこっちでお話し合いをしよう?」


 裏口の前でに目が笑っていない笑顔でターシャさんに出迎えられて、奥に。

 気の毒そうに眼をそらしたダンさん、目を丸く開いているリーナとティア。

 その誰もが助け舟を出してくれないまま休憩室へと連行されて、一部始終を白状させられてしまい、今に至る。


「それで、公王様の頼みを断り切れずに旅をすることになっちゃったわけね」


「出かける前にはこんなことになるとは思っていなかったので……、すみません」


「あのね、私は旅に出ることを怒ってるんじゃないんだよ?テイル君が私に相談もしてくれなかったことを怒ってるんだよ。この前だって、何も言わずに一日帰ってこなかったし」


「本当にすみません……」


 一言一句ターシャさんが正しいので、ただただ謝ることしかできない。ジョルクさん達との調査任務も、状況に流されたとしか言いようがないので、反論の言葉もない。

 と、俺が項垂れていたその時、


「テイル君は、どこかに行ったりしないよね?」


 テーブル越しに話してきていたターシャさんがいつの間にかに回り込んで、俺の側に跪くと両手を包み込んできた。


「王都に行っちゃった時はそれなりに時間があったからまだ我慢できたけど、最近のテイル君はあっちに行ったりこっちに行ったりで、ぜんぜん私の話を聞いてくれなくなっちゃった」


「ターシャさん……」


「わかってはいるの。王都が大変なことになっちゃって、ジュートノルが公王様のお膝元になって、テイル君が大事なお手伝いをしているんだってことは。でも、テイル君がそのうちどこかに行ったっきり帰ってこなくなりそうで、心配なんだよ?」


「そんなこと!!……大丈夫です。何があっても、どれだけかかっても、絶対にここに帰ってきますから」


「テイル君」


「ターシャさん」


「……まったく、そこは『あなたのところに帰ってきます』くらい言えないの?このヘタレ男」


「うわあ!」 「きゃああ!?」


 完全に二人だけの世界に入っていたところに声をかけられて、心臓が爆発したようなショックを受けながらターシャさんと一緒にドアの方を見ると、制服姿のリーナがあきれ返った顔をしていた。


「ターシャもターシャよ。テイルが奥手なのはわかっているんだから押していかないと、いつまでたっても手を出してこないわよ」


「リ、リーナ!?仕事中じゃないの!?」


「奥に引っ込んだきり戻ってこないから、ダンに見て来いって言われたのよ。まあ、余計なお世話だったみたいだけれどね。それと、途中から話を聞かせてもらていたけれど、心配はいらないわよ」


「どういうこと?」


「だって、私もテイルに同行するもの」


 この直後、ターシャさんと二人してさっきよりも大きな叫び声をあげてしまったことは、不可抗力だと主張したい。






「妹が兄に会いに行くのに誰の許可がいるっていうの?」


「いや、使者の護衛をしての旅らしいから、私情を挟むとジオがなんて言うか……」


「あのねえ、私が同行するって言い出すことくらい、ジオ様が予測していないと思うの?特に釘を刺されなかった以上、黙認したのと同じことよ」


「そんなものか?」


「そんなものよ」


 そんな感じで、兄妹の当然の理屈に納得したっていうか、貴族令嬢の交渉術で上手いこと丸め込まれたというか、なし崩し的にリーナの同行を許してしまった数日後の夜明け前。


 俺はいつもの黒の装備でリーナは久しぶりの冒険者姿で、待ち合わせ場所になっている白いうさぎ亭に一番近い衛兵隊の詰め所に着くと、


「おう、来たなテイル。と、そちらはまさか……」


「敬礼は不要よ。今回同行させてもらうけれど、お忍びという扱いでお願いするわ」


「りょ、了解した。さる御方からも、あなたが一行に加わるだろうと助言を頂いている。よろしく頼む」


 俺の隣を見るなり、四人の部下と一緒に敬礼しようとした隊長さんが当のリーナに制止されて、口調を元に戻す。

 そして、決して広くはない詰め所には、もう一人。


「それで、そちらは?」


「ああ、こちらは――」


「初めましてテイル殿、それにリーナ嬢はお久しぶりですね」


 隊長さんたちを表に立たせて、一人で詰め所の中で寛いでいたのは、旅姿ながら平民とは一線を画した装いと立ち振る舞いで近づいてきた若い男。

 服のグレードの割には実用的な剣を帯びていることから、騎士の雰囲気もある。

 それよりも、謎の男のリーナに対する言葉遣いが気になって横を見ると、


「お久しぶりね、リーゼル殿。今回の使者は貴方ということかしら?」


「本来ならば、公王陛下の側近である父が向かうべきところなのですが、あいにく今回は極秘かつ迅速さが求められる使命です。そこで、キアベル家の嫡子であり、ミリアンレイクへの強行軍にも耐えうる私が代理として赴くことになりました」


「テイル、こちらはリーゼル殿よ。ジオ様の側近のキアベル子爵の御子息で、今は烈火騎士団の騎士を務めているわ」


「リーゼルです。テイル殿、護衛の任、改めてよろしくお願いします」


 そう爽やかに笑って見せたリーゼルさんからは、貴族特有の尊大さやいやらしさは少しも感じられなかった。

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