第198話 ゴードンの転落


 翌日の朝。


 買い出しの最中にも頭の中をよぎり続けたせいか、気が付いた時にはいつもの帰り道から随分と遠回りして大通りを歩いていた。

 目的はもちろん、


「おい、テイルじゃないか。久しぶりだな」


「あ、どうも」


 たくさんの人が行き交う中、肩が触れそうなくらいにすれ違いかけた顔に見覚えがあった。

 この近くの小麦問屋の店長さんだ。


「前はよく顔を合わせていたのに、珍しいな?噂じゃ別館の方の主になったらしいが、本当か?」


「ええまあ、はい」


「ほー、何だか知らんがうまくやったじゃないか。まあ、ゴードンの旦那のお前への仕打ちは尋常じゃなかったからな。あれくらいはもらわんと割に合わんか」


「あはは……」


 一気にまくし立てられているせいもあって、上手く言葉を返せない。

 今は気さくに声をかけてきているけど、前は随分と高圧的な態度だった気がする。俺の立場が変わったからか?


「それにしても、こんなところで会うのは奇遇だな。――ははあん、わかったぞ。あれを見に来たんだな」


 と、訳知り顔に笑った店長さんが、一つの建物に目を向けた。


「やっぱりわかりますか」


「わからいでか。ちょっと前までは客やら取引先やらが大挙して押し寄せたが、当の本人は雲隠れしちまってたから大騒ぎになってな。まあ、売掛金を踏み倒された俺もその一人だったわけだが。あー、今思い出しても腹が立つぜ!」


「わかります。ご主人――あいつは、そういう奴でしたから」


 ここまでは曖昧な返事しかできなかったけど、店長さんの怒りにはっきりと頷いて同意する。

 俺は、入り口にバツ印の形で板が打ち付けられた、「白のたてがみ亭本館」の無残な姿を眺めていた。






 昨日のサツスキー男爵の話によると、事件のあらましはこうだ。


 先代の所業の数々によって家名断絶の危機にあったところを、第三王子ジオグラルドの恩情で爵位降格だけで済んだサツスキー家。

 その恩義を返そうと、新たに当主になったサツスキー男爵はジオに先行する形でジュートノル入りすると、代官だった先代のコネを活用して精力的にロビー活動を始めた。

 すると、先代は悪行によって処刑された反面でジュートノル発展の功労者でもあるわけで、政庁に自室を確保したサツスキー男爵が面会の予約を開始したところ、それこそあらゆる方面から申請が殺到したという。

 まさに玉石混交の中で、面会希望者の情報をできるだけ集め、一人一人の為人を見極め、相手の真意を探る作業は至難の業だったそうだ。

 そんなある日、政庁の役人から抜擢した秘書が、困り顔で一枚の面会申請書を差し出してきた。


「これは?」


「ゴードンという商人の申請書でございます。予約開始直後に一二を争う早さで提出されたのですが、面会に値する人物ではないと担当部署で判断されてその旨を本人に通告しました。それでも三日に一度はこうして届く始末でして……」


「ならば、衛兵隊なりをその者の下に派遣して、注意すればいいことではないか?私に判断を仰ぐ理由はなんだ?」


「それが、数日前に衛兵隊の方に報告を回してそれとなく注意させたのですが、『自分は前代官と入魂の者だ。衛兵隊ごときが手を出していい身分ではないのだぞ!』と、逆に脅しをかける始末でして……」


「なんだそれは?その商人は、どこぞの貴族の隠し子なのか?」


「いえ、生まれも育ちもジュートノルのようですし、親の代ではまっとうな小商い程度の力しかなかったと確認済みですが……」


「……先代の名前をこうも堂々と持ち出されては、お前達では手出しが難しいか。仕方がない、私が直に会おう」


 そんなやり取りの後、貴族の物差しとしては急遽予定が組まれて、やってきたゴードンとの面会当日。

 さすがに最低限の礼儀は心得ていたらしく、貴族流の挨拶の間は殊勝な態度でかしこまっていたゴードンだったけど、面会のお礼の贈り物をサツスキー男爵が受け取った辺りから、傲慢な口調に変貌した。


「聞いてくださいませ!私は嵌められたのです!」


 ゴードンの言い分によると、自分は真っ当な商売をしながら前代官の手助けをしていただけだったのに、突如代官代行を名乗る輩が非道の限りをつくしたのだ、ということだった。

 もちろん、これはゴードンが創り出した妄想話だし、万が一正鵠を得ていたとしても、その代官代行を務め、今は公王の座にあるジオグラルドと、たかが一商人とどっちの話を信じるかなど、サツスキー男爵にとって言うまでもない。


「とにかく、御父上に卑怯な手を使って濡れ衣を着せ代官を僭称する反逆者を、サツスキー様の手で誅していただきたいのです!そう、私の忍従の日々はこの時のためにあったのですとも!」


 この時。

 自己陶酔に浸りきったゴードンに、怒りを通り越して血の気を失い白くなっていたサツスキー男爵の顔色をうかがう余裕は微塵もなかったようだ。

 後ろを見てみれば、控えている秘書も顔を真っ青にして震えている。どうやら、前代官の名を出されてしぶしぶ面会を許したものの、ここまでの愚か者だとは思ってもみなかったらしい。


 後に分かったことだけど、この時のゴードンは、今のジュートノルを取り巻く状況をまるで理解していなかった。

 情報が命の商人がそんな馬鹿な、と俺も思うけど、どうやら前代官の処刑を始めとした政変に連座したゴードンは、日頃の傲慢さも災いして商業ギルドから事実上追放されてしまったらしい。

 それでも、方々に頭を下げればまだ再出発の目もあったようだけど、あれだけ悲惨な目に遭っておきながら、改心どころかろくに下調べもせずに貴族のところに直接乗り込んでしまった。


 だけど、この時点ではサツスキー男爵もそんな事情は知らないし、たとえ知っていたとしてもこうなっていただろう。


「……貴様、本当に商人なのか?」


「何を仰いますか!?私の白いたてがみ亭は貴族の方々をお招きするに相応しい超一流の宿ですぞ!!今はあの反逆者のせいで不遇を囲っておりますが――」


「もういい。衛兵、公王陛下を侮辱するその痴れ者を拘束して、即刻この薄汚い口を塞げ」


「サ、サツスキーさモガッ!?ムグウゥ!!」


 あまりの暴言の数々に予め身構えていたんだろう、サツスキー男爵の命令とほぼ同時に衛兵によって椅子から引きずり降ろされたゴードンは、すぐさま猿轡をかまされた。


「この場でそのよく回る舌を切り落としたい思いだが、公王陛下から賜った執務室を痴れ者の血で汚すのは憚られる。沙汰は追って下す。とりあえず牢屋に放り込んでおけ」


 頭痛でもしているかのように右手で額を押さえたサツスキー男爵は、残る左手を振りながらゴードンの連行を命じた。

 そして十日間、政庁地下の牢屋でジオへの恨み言を延々と言い続けたゴードンは、「痴れ者の戯言」として死刑は免れたものの、財産の九割を没収された後で釈放されたそうだ。

 財産没収の処分を言い渡された時に罪状も聞かされたゴードンは、ようやく自分の愚かさに気づいたらしく、白のたてがみ亭に戻るなり一割にまで目減りした財産をかき集めてから従業員に一方的に解雇を宣言、彼らの怒りや悲しみの声に一切耳を貸すことなく雲隠れしてしまった。


 それから、事態を知った売掛金を回収し損ねた取引先がゴードンの行方を探しているけど、未だに見つかっていないそうだ。






「それで、ゴードンが踏み倒した給料や債権の回収のために被害者の会が結成されて、今も奴を探している、ってわけですか」


「なあ、ひどい話だろ?」


 さすがに通りの真ん中で話す内容じゃなかったので、近くにある小麦問屋まで移動して、俺が聞いた話と店長さんの体験談をすり合わせる。

 被害者の会なんてものができていたのは予想外だったけど、彼らが諦めきれないくらいの売掛金をゴードンが踏み倒しているのは想像がつく。


「そのうちの一人が衛兵隊にコネがあってな、どうやらまだジュートノルを逃げ出したわけじゃなさそうなんだよな。なあテイル、あのクソ野郎がどこに隠れているのか心当たりはないか?」


「勘弁してくださいよ。俺の仕事は雑用であって、ゴードンの裏の顔なんか分かるわけないじゃないですか」


「それもそうか。いや、悪い悪い。いやなこと思い出させちまったな」


「いいですけど、二度と話題にしないでくださいよ」


 と、苦笑いしながら店長さんのそれ以上の追及を封じたけど、それと同時に、もしかしたら接客係として上客と接していたあの人なら?とターシャさんの顔を思い出す。

 ゴードンがジュートノルを出て行ったならまだしも、どこで何をしているのかわからないということは、白いうさぎ亭やターシャさん、ダンさんに逆恨みの矛先が向かないとも限らない。


 ――この間の調査任務の借りを返してもらう意味も込めて、ジョルクさんに調べてもらおうか。


 そんな風に手を打っておこうと心に決めて、店長さんに辞去を告げようと口を開いた。

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