第197話 因縁の訪問
王都に帰ってきた頃は、ようやく春の陽気が訪れて街が活気づき始めてきたと思ったら、今は種まきも一段落して夏の暑さに備えるなんて話がちらほらと出始めている。
白いうさぎ亭でも、そろそろ煮込み料理から麺類や冷めても美味しいスープなどにメニューを切り替えようかと、話が盛り上がっているところだ。
そう、盛り上がれるくらいに、俺の周りは平和だ。
「平和だなー」
「ちょっとテイル、そこの計算間違っているわよ」
「え、まさか、完璧に合っているだろ?」
「どこがよ。最初のところでミスしているじゃない」
今俺は、ランチと宿屋の営業の合間を縫って、リーナに教えてもらいながら計算を勉強している。
「経営者なんだから収支計算くらいできないと話にならないでしょう?」と、俺の冒険者系に偏りまくった教養に異議を唱えたリーナが、自ら教師役を買って出てくれたのだ。
そんなわけで、森から帰ってきてからというもの、毎日のように客のいないテーブルで数字と格闘しているわけだけど、
「テイル君、頑張ってて偉いわね。はい、ご褒美の果実水よ」
「ちょっとターシャ!気が散るから邪魔しないでって言ったじゃない!」
「えー、でも、最近暖かくなってきたし、水分はこまめに取らないとダメよ?」
「だからって勉強中に三回もいらないでしょ!それに私には持ってきてないじゃない!」
「大丈夫よ。テイル君が計算できなくても、ここの経理は私がちゃんとやってるから。あ、リーナには今すぐ水を持ってくるわね」
「なんで水なのよ!果実水を持ってきなさいよ!」
とまあ、あんまり勉強が進んでいる実感は掴めていない。
ちなみにこの間、俺は一言も口を出さない。
最近急激に仲良くなった二人だけど、俺に自立心を持たせたいリーナと、至らないところを何かと補ってくれるターシャさんの、両方の言い分はどっちも納得できる上に、片方の肩を持った時点で白いうさぎ亭に嵐が巻き起こるのは目に見えているから、じいっとしているに限る。
「ふぁあ~あ……、みんな、おはよう」
「おはようティアちゃん。今日はエラちゃんと約束があるって言ってたわよね?」
「うん。ターシャお姉さま、リーナお姉さま、テイル、行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい」
寝ぼけ眼をこすりながらお昼寝から起きてきたティアが、そのまま俺達の横を通り過ぎて表から出ていくティア。
「ティア様もすっかり慣れたわね。でも、一人で遊びに行かせて本当に大丈夫なの?」
「大丈夫だろ。エラちゃんの家は俺達もよく知っているご近所だし、この辺は裏路地とは思えないくらいに治安が良いからな」
ジオが影警護をつけてくれていることもあるけど(時々感じる気配だけで姿は見たことがない)、衛兵が毎日出入りする区域で、そうそう悪いことは起きない。
起きるとすれば、その衛兵が悪事に加担している場合だけど、白いうさぎ亭に関してだけは杞憂にしかならないと嫌というほど知っている。
ティアがちょっと見ないような美人だってことは間違いないけど、安全を気にしすぎてあまりがんじがらめにしても、それはそれでティアに市井の生活をさせようとしたジオの心遣いに水を差すことになってしまう。
「まあ、あまり気負い過ぎずにみんなで少しづつ、ティアのことを見守っていけばそれでいいんじゃないか?」
「……そうよね。それが一番よね」
俺の提案に、妙に実感がこもった声色でリーナが返してくる。
大貴族の令嬢としての生活が嫌で王都を飛び出したリーナには、身につまされるものがあるんだろう。
「そういえば、最近隊長さんが来なくなったわねえ。お仕事が忙しいのかしら?」
「ちょっと前までは毎日来ていたのにね。確か、テイルがジョルクに連れていかれて帰ってきた辺りからじゃないかしら?」
そしてもう一つ、この辺りを担当している衛兵隊の隊長さんがあまり顔を見せなくなった。
その理由は知りすぎるほどに知っているけど、ここで明かすつもりはない。
ターシャさんとリーナには悪いけど、隊長さんの安全と名誉のためにも、このまま知らないふりをしている方がみんなにとって都合がいいはずだ。
――ただまあ、俺にだけわかるように意味ありげな視線を送ってきているあたり、リーナには早晩誤魔化せなくなりそうだけど。
冒険者の勘でも働いたかな?
噂をすれば影、ということわざは本当にあるらしい。
とりあえず夏のメニューはもう少し様子を見てから、ということになった次の日、相変わらず行儀のいい常連客を捌いてランチタイムも一息付けたと思った頃合いに、
「ターシャちゃん、いつものあるかい?」
最近お見限りだった隊長さんが姿を見せた。
ただし、
「え……、隊長さん!?その体どうしたの!?」
「ははは、任務中の秘密なので、できれば聞かないでくれると嬉しい。そ、それと、肩をゆすらないでくれないか?まだ怪我が治りきっていないものでね……」
「ああっ!!ごめんなさい!!」
真っ白い布で覆われた額を始めとして、隊長さんの体にはあちこちに包帯が巻かれていた。正直、素肌の部分がほとんど見えないくらいだ。
とにもかくにも、癒えかけの傷口を開きかけたターシャさんが平謝りしながらの給仕でランチを、いつもよりゆっくりと食べた隊長さん。
そこに意図があったと気づいたのは、最後に水で口の中をすすぎ終えて、自分の他に客がいないと確認した後だった。
「ターシャちゃん。それにテイルも聞いてくれ。今日の私は客として来ただけではない。ある御方の内密の使者として、訪問の許しをもらいに来た」
と、畏まった言葉遣いで口上を述べる隊長さん。
その口から飛び出した、思いもよらなかった名前に、感情が揺れずにはいられなかった。
「その御方――サツスキー男爵が正式に謝罪したいということなのだ」
「ターシャ嬢は貴族の礼儀に通じているとのことだが、あえて単刀直入に言わせていただく。生前の父が犯した所業の数々、誠に申し訳なかった。特にターシャ嬢には先日の一件といい、本当に済まないことをしたと思っている」
翌日。
相手が相手なので、やむなく臨時休業にせざるを得なかった白いうさぎ亭。
約束の時間に現れたのは、いかにも貴族のお忍びらしい、平民を装っただけで服の高級さは隠せていない、細身の賢そうな男。
男に付き添ってきた隊長さんの昨日の言葉を信じるなら、彼がサツスキー男爵――先代ジュートノル代官でジオによって断罪された、サツスキー子爵の息子だということになる。
正直、そうと言われないと親子とは思えないほど似ていない。
確か、父親の方は小太りの中年だったはずだ。母親の血を濃く継いだようで、ちょっと羨ましいくらいにすっきりとしたスタイルに整った顔立ちだ。
「あ、あの、どうか顔をお上げください。お貴族様に謝罪されるようなことは何もないですから」
「いや、愚かな父は貴族の身分を悪用して王国の法を幾度も犯し、結果多くの平民を不幸にした。代官という責任ある立場に居ながら、守るべき民から搾取していたのだ。さらに、私自身も危うくターシャ嬢に愚かな真似をするところだった。どうか、私の謝罪の言葉と誠意を受け取ってほしい」
そこまで一気に言ったサツスキー男爵は隊長さんに目配せして、テーブル越しに困惑しているターシャさんに重そうな袋を差し出した。
「男爵様、これはなんでしょうか?」
「私なりの誠意だ。前回のような失礼にならないよう、貴族も平民も等しく欲するものにするべきだと、さる御方から助言を頂いた。ここに金貨千枚を用意した」
「き、金貨千枚!?そんなのもらえません!!」
「そう言われるだろうと思って、支出元にも配慮した。もちろんこれも、その御方からの助言だ」
「どういうことですか……?」
サツスキー男爵の言葉の中に気になる部分があったけど、今にも卒倒しそうなターシャさんの介抱は調理場から飛び出したダンさんにお願いして、俺の方から聞くべきことを聞く。
サツスキー男爵に助言した「さる御方」というのが俺の知っている奴なら、ある意味で悪辣な方法で用意した大金に違いないからだ。
「先日、ターシャ嬢とテイル殿と関わりのある商人が、私に対して極めて無礼な態度をとった。その賠償として接収した金だ。もちろん、その商人に気づかれないように経理上の処理はしてあるし、私の名誉にかけて誰にも文句は言わせない」
「その、その商人って、まさか……」
今となっては口にするのも憚られる、悪い意味で俺の全てだった男。
サツスキー子爵の件にも絡んでいるあの男の名を、その息子はためらいなく告げてきた。
「ゴードン。公王陛下側近たる私への不敬罪で、奴から財産の九割を没収した」
……気になることを聞くのは、後回しにしないといけないみたいだ。
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