第196話 新たな加護


「ちょっと待った。なんでそこで、治癒術士が出てくるんだ?」


 おそらくは地中深く。ノービス神が座す神殿の中。

 一人と一柱による長い語りが一区切りついたところで、口を挟む。

 いや、きっと一区切りついていなくても口を挟んだと思う。

 それくらい聞き逃せない内容だった。


 そんな俺の視線を受けたソイツは、


「災厄と戦う日々の中で、四人の仲間の中で唯一、彼女だけが功名心に興味を示すことが少なかった。その少ない機会の中でも、最高議会議員の娘という立場ゆえに仕方なく、という印象を持っていた」


「他のジョブと違って、治癒術士が直接戦闘に参加することは少ないからね。自然、仲間の三人とは違う意見を持っていたとしても、僕は驚かないよ」


 祭壇の上から悠然と見下ろすソイツと、膝立ちで畏まるジオの言葉で、そんなものかと思う。

 冒険者学校で、パーティの基礎知識やフォーメーションは学べても、ジョブごとの立場や意識の違いなんで考えたこともなかった。


「恋仲となっていた戦士と結婚し、アドナイ王国の初代王妃――僕達の国母となったことからも、消極な姿勢が窺えるんだ。その気になれば、婚約を解消して一国を打ち建てることも可能だったろうに」


「……僕がそのことに気づいたのは、神に成ってから随分と後のことだった。幸いなことに、考える時だけは悠久に等しくあったからな。もっとも、彼女の優しさと苦悩に気づいたのはその死後だったが」


 愛する人が仲間を裏切り、卑怯にも後ろから斬りかかって殺す。

 その一部始終を見届け、それでも骨の一部を持ち去って供養しようとした治癒術士。

 かつての仲間の悲しみと苦しみを分かち合うように、自嘲しながら話すソイツの姿は、未だに人としての感情を十分に残しているように見えた。


「その一方で、治癒術士の行動は僕の運命を大きく変えることになった。神の権能を現世に現すきっかけとなったのだ」


 ご神体。

 神々がこの世界に力を及ぼすには何かしらの縁がないとできない、と当の本人がさっき言っていた。

 ソイツの場合、裏切った仲間達によってあらゆる痕跡が次々と抹消されたから、現世に手出しできなくなったはずだった。

 その運命が、治癒術士の苦悩の末の行動で大きく動いた。


「そこから先は、長い時をかけた戦いだった。わずかに残った権能を使って縁の繋がった武具を回収し、巨人族の装備の一部を活用してご神体を保護、隠匿した。そして、生命神から下賜された加護の力で少しづつ地脈を整えていき、出入り口の存在しないダンジョンをここに形成していった」


「ご、五千年も、かけて……?」


「今の僕程度の力でも全力を出せば、この規模のダンジョンなら数年で完成する。だが、これは最初で最後の機会だ。可能な限り、自然現象に紛れ込ませる要があった。万が一にも地脈を乱して、四神教に悟られるわけにはいかなかった。ご神体を保護したと言っても、しょせんは信徒の一人もいない弱き神の悪あがきだ。発見されれば全てが水泡に帰すことは目に見えていた」


 五千年にもわたるソイツの苦心が何のためにあったのか。言うまでもないだろう。

 その成果の中に、今俺達はいるんだから。


「たかだか神殿一つ創るために五千年もの時をかけたのかと、笑ってくれても構わない。だが、僕には絶対の確信があった。愚かにも神々の怒りを買って滅亡寸前まで自らを追い込んだ先史文明をそのまま引き継いだ四神教が、かつての人族の栄華を取り戻した時、再び災厄は起きると。そしてその時、真に生き残る意思がある者に加護を授け戦う力を与えるために、僕は備え続けてきた」


 途方もない。

 そんな簡単な言葉で片付く話――神話じゃないことは分かっているけど、それ以外に表現する方法が思いつかなかった。

 神になるほどの英雄の覚悟なんて俺には持てそうもないし、それこそターシャさんやリーナのためとなった時に初めて悩めるくらいだ。

 それでも、例え不老不死が約束された神になると分かっていたとしても、目の前のノービス神が歩いた道の千分の一も歩めるかどうか。


 そんな思いが言葉にもならずに俺の中でぐるぐると渦巻いている中で、


「では、その御力を、私にも与えていただけないでしょうか?」


 跪いた姿勢のまま顔を上げたジオが、ソイツに願った。


「……愚か者達の末裔が僕の加護が欲しいだと?もう一度、相応の覚悟を持って言ってみろ」


「私に、テイルと同じようにカナタ様の加護を頂きたいのです」


 ――瞬間、ジオの右肩が裂けて血しぶきが上がった。


「……覚悟は分かった。だが、裏切り者の子孫に背中を預けるつもりはない。今なら、その傷に悲鳴を上げなかったことに免じて、無事に地上に帰してやる。言っておくが、僕の意志一つでその鎧は即座に首を刎ねるぞ」


「ならば、なぜこの私を神殿に招いたのですか?」


 怒りを露わにするソイツに、ジオはあくまでも毅然と応じる。

 騎士鎧に剣を突き付けられて、右肩を血に染めてもなお、その意思は揺らがない。


「御身の神意は、私をこの場に呼び寄せました。それは、御身の加護を得たテイルを通じて、私の意志と計画を知っているからだと、私は愚考します」


「なぜ僕が、お前の計画を知っていると思うのだ?」


「私の計画はあくまで二番煎じだからです」


「……ならば、その計画とやらをここで説明して見せろ。できなければ、わかっているな?」


「御身の命とあらば」


 そして、ジオは語って見せた。

 これまで知っているのはおそらくセレスさんだけ、それ以外は世界の誰も知ることのなかった、ジオグラッド公国公王ジオグラルドが、半生をかけて練り上げた計画を。


 静寂。


 ジオの言葉が終わって沈黙の時が流れた後、その間は一切口を挟まなかったソイツが、


「貴様、世界を敵に回すぞ?」


「それが御身の望みであり、私の本懐を遂げる手段であると信じています」


「……いいだろう。――テイル、その愚か者を殺したくなければ助けてやれ」


 手を出す、どころか口を出す暇もなかった。

 俺だけじゃなく、五人の衛兵も同じ有様だったから、やっぱり誰にも止められなかったんだろう。

 気づいた時には、騎士鎧の剣がジオの胸を背中から貫いていた。


「公王陛下!!」


 衛兵達が一斉にが叫ぶのとほぼ同じタイミングで、俺はジオに駆け寄る。

 剣を引き抜かれて、今度こそ致死量の血が噴き出そうとしているジオの胸に加減する余裕もなく叩きつけるように手を押し当てて、


『使用者の意志を観測、ギガンティックシリーズ、ヒールスタイルに移行します』


「ファーストエイド!!」


 最速記録でスタイルチェンジして、癒しの力を全力で注ぎこむ。


「わ、悪いねテイル……。うかつにも、加護付与の儀式のことを失念していた。これは、セレスを連れてこないで本当に正解だった……」


「喋るな馬鹿!!」


 生死の境を彷徨っているのにもかかわらず、それでも口の減らないジオに本気で怒鳴る。

 そんな俺の背中に冷めた視線を送っていたソイツが、


「貴様の望みは叶えた。だが、僕を裏切った戦士の末裔という罪を見過ごすわけにはいかない。ゆえに、一つ枷をつける。まさか貴様も、テイルと同じ扱いを受けるとは思っていまい?」


「あ、ありがたき、しあわせ……」


 そこで、俺の視界の端で頷いたソイツは、


「ならば、疾く去れ。あいつの面影を残す貴様がここにいるのは、これ以上は我慢がならん」


 その吐き捨てるようなセリフと共に、俺の視界が再び黒く塗り潰され始めた。


『よりにもよって、僕の願いを最も理解した者が、今世で最も憎むべき相手の一人とは。業腹にも程がある』


 そんな呟きを敏感になっていた聴覚が聞き取って、ソイツから遠く引き離される感覚に陥った。






 視界を取り戻した時に、そばにあったはずの祠の姿は見えず、ただただ夜の空すら覆い隠す森のどこかに飛ばされていた。


「ありがとうテイル。おかげで命拾いしたよ」


「あ、おい、まだ起きるな」


 転移中にも治癒をやめなかったおかげか、すくっと立ち上がったジオに注意すると、


「僕としてもしっかりと休養を取りたいところだけれど、事は一刻を争う。すぐにジュートノルに戻って計画を進めないとならない」


「それはまあ、あの話を聞いた今なら分かるけど……」


「それよりもテイル」


 心配する俺を無視しているのかいないのか、手前勝手にジオは、


「やっぱりこの姿で帰ったら、まずいよね?」


「……まあ、確実にお説教だな。それも長時間」


 背中と胸の部分の布地が大きく裂けている状態のジオは、神と会ったことも忘れたように、セレスさんに怒られることだけを恐れていた。

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