第192話 ソレ再び


 合縁奇縁、なんて難しい言葉は滅多に使わない。

 だけど、ノービス神の神殿の行きと帰りでどっち時も気絶すれば、そんな風に考えたくもなる。






「さてさて、この積年の恨みをどうしたものかな。ねえ、テイル」


 全身の前半分から体温を奪っていく石畳の感触と、それに匹敵する凍り付くような声を聞いて、目が覚めた。

 どうやら黒い光に包まれた後で気絶してしまったらしい。

 これまでの記憶を辿りながら体を起こすと、そこにはすでに何かが起きた後だと確信できる光景が広がっていた。


 苔むした石材で組み上げられた、床、壁、天井。

 纏わりつくような湿気。

 正面にはあの時見た祭壇が、時が止まったかのように何一つ変わらずに鎮座している。

 そして、その上に割られた兜と一緒にいるのは、やっぱりあの日と変わらずに胡坐をかいている男。


 ノービス神カナタと名乗った、ソレだ。


「これが人族だったころの僕だったら、復讐の権利は当然のものだった。いや、五千年も前の出来事に対してどれだけしつこいんだよとか、普通に引くとかいう考えもあるけど、こと貴族や王族といった者共に対しては、話は別だと思うんだ。だって、こいつらは『家』を脈々と継承することで、己が権威を誇示し続けてきたんだ。ならば、祖先の罪をあがなうのは子孫の責務だと言えるわけだ」


 傲岸不遜にも、王族や貴族を奴隷のように扱う物言いに違和感がないわけはないんだけど、一方で、ソレの立場を考えればむしろへりくだる方がおかしいとも思う。


 ――違う違う、そんなどうでもいいことを考えるために、危険を冒して夜の森を歩いてきたわけじゃない。


 未だにはっきりとしていない意識を覚醒させるために頭を振って、ようやく自分以外の存在に思いが至ってその姿を探すと、


「だから、僕を騙し討ちにした挙句、死体をバラバラに分解して護国地鎮の礎として各地に埋め、縛り付けたアドナイ王家の血を受け継ぐ者は、僕からどんな目に遭わされても文句が言えないと思うんだ」


 俺をソレと挟み込む形で後ろにいたのは、一様に跪いた姿勢でピクリとも動かない、ジオと衛兵隊の五人。

 だけど、ジオ一人だけが決定的に違った。もちろん、身分の差なんて目に見えないものじゃない。


「私としましては、神の御意志に従うのみにございます」


 いつものジオならあり得ない、おふざけ一切なしの殊勝な言葉。

 それもそのはず、衛兵たちと同じ姿勢を取りつつも、その上からあの首無し騎士鎧が剣を突き付けているとなれば、今か今かと処刑を待つ罪人にしか見えなくなってしまうのは道理だ。


「知っているかな、ジオグラルド?今、君に突き付けているその剣は、かつて君の祖先らと共に探し求め、多くの魔物を討ち人族の守護に貢献した聖剣の一振りだ。僕を殺して全てを奪った彼らだが、僕の魂と結びついたこの装備一式は奪えなかった。まさに君の首を落とすにふさわしい武器だとは思わないか?」


「それがお望みならば、いつでもこの首を差し出しましょう。ですが、御身の目的が人族の存続にあるのならば、私の命に利用価値があることを認めていただけるはずです」


「……気に食わないな」


 その瞬間、動く騎士鎧の剣が閃き、ジオが衛兵たちの方へ吹き飛ばされた。


「気に食わないな、その声、その落ち着きぶり。命を差し出すようなことを言っておきながら、その実自分が今死ぬなどとは微塵も思っていない」


「ジオ!!このっ」


「やめるんだテイル!僕は問題ない」


 ソレのあまりの言い草に、石畳に置いたままだった黒の剣を拾おうとしたその時、無事だったらしいジオの叫びが俺の動きを封じた。


「わ、私はただ、カナタ様の英明を信じているだけで――ゲホッ、ゴホッ」


 衛兵に助けられながら体を起こすジオ。

 どうやら騎士鎧の攻撃が当たったのは刃の部分じゃなかったらしく、咳き込んではいるものの、血を流している様子は見られない。


「僕の名まで知っているのか……?」


「少ない手がかりをもとに、膨大な考察を経た果てのわずかな功績の一つですが。推測交じりでよろしければ、人族が消し去ろうとして消しきれなかったカナタ様の生涯を語ることはできるかと思います」


「ふうん、面白い。人族だったころの僕という存在がどれほど現世に残っているのか、少し興味がわいてきた。せいぜい語ってみせるといい。その如何で、お前の言葉を聞くかどうか決めようじゃないか」


「ありがとうございます」


「ちょ……、ちょっと待った!!」


 立ち位置としては挟まれている形なのに、完全に俺のことなんか無視して話を進めようとするソレとジオに、思わず声を上げてしまう。

 当然、神と公王から同時に見つめられることになるわけだけど、視線というものがこれほど恐ろしいと思ったことはない。そう確信できるほどに、間に挟まれたプレッシャーは尋常じゃなかった。

 でも、物理的にも状況的にもとても逃げられそうにないし、吐いた唾は呑めない。


「ジ、ジオのご先祖様が、そいつを殺したっていうのは本当なのか?」


「少なくとも、僕が調べ上げた限りでは、そういう仮説が一番信憑性が高かった。そして今、最も真実に近しい御方からの証言を得たことによって、仮説は確証へと変わったわけだ」


「四神教の祖たる四人の冒険者は神の座を得るに至ったが、その子孫は人族を統べる権力者として、今もなお血脈が保たれている。その一つ、戦士の血を受け継ぐ一族が、アドナイ王家だ。もっとも、過去の罪を隠すためなのか、今代ではその事実を知る者は限られているようだがな」


さっきまでとは打って変わって、まるで示し合わせたように話を繋いでいく一人と一柱。

その張り詰めた空気を知ってか知らずか、ジオは話を続ける。


「アドナイ王家でも、知っていたのは国王である父。あるいはその後継者の長兄も――という可能性はあるけれど、確証はないね。もちろん僕も、ある時期まで一切知らなかった」


「じゃあ、ジオはソイツに殺されるかもしれないってわかっていて、俺に案内させたっていうのか?」


「まさしく。世に愚者は数多いると言われているが、こいつは極め付けだと認めよう」


侮蔑の視線を向けているソイツに、あくまでもジオは逆らわない。

逆らわずに、語り出した。


「その危険を冒してでも、カナタ様の許しを請い、加護を得る要が、僕にはあるのさ。それじゃあ、そろそろ始めようか。僕の半生をかけて研究した集大成。一人の英雄がいかに人族を救い、その人族から抹消されたのか、その歴史を」

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