第191話 黒い祠とご神体


 俺が狩場としているジュートノル近くの森に、名前はない。

 近くには他にないこともあって、特に名前を付ける必要がないせいもあるけど、一番の理由は、街の住人のほとんどが森に関心がないからだ。

 アドナイ南部の流通の中継都市として、材木を始めとして大抵のものが手に入るし、食料ならジュートノルの周囲に広がる平原を耕せば事が済む。

 だから、森に出入りするのは、適度に魔物の間引きをする初級冒険者か、俺みたいな物好きな狩人もどきくらいだ。

 昔、王国全土の地図を見たことがあるけど、この森がかなり小規模なことも関係しているのかもしれない。


 とはいえ、森は森。

 訪れる人が少ないからほとんど整備されていなくて、人族が分け入るには獣道を通るしかない。

 もちろん目的地に向かって一直線、なんてわけはなく、わずかに拓かれた土の道を頼りに、あっちにフラフラこっちにフラフラと、少しずつ近づく以外に方法がない。

 そうなると気がかりは、獣道の本来の通行者である魔物とのエンカウントだけど、


「いやあ、王族の危険を未然に防ぐために作られたものだと聞いていたけれど、まさか自ら危険に飛び込むために使われることになろうとは、制作者も思いもよらなかっただろうねえ」


 とまるで他人事のようにのたまいながらのんきに歩くジオの手には、精緻な装飾が施された銀製のランタンが提げられている。

 要所要所に宝石が散りばめられていて、一見して高価な逸品だと分かるけど、重要なのはそこじゃない。

 本来なら周囲を明るく照らすはずのランタンに、おどろおどろしい紫色の炎が宿っているからだ。


「アドナイ王家に代々伝わる秘宝、『退魔の紫焔』という魔道具だよ。この紫の炎は、魔物が本能的に嫌がる波動を発しているといわれていて、よほど敵意を持つ相手以外を退ける効果を持っているんだ」


 自分以外の注目を集めていると知ったジオが、そう説明する。当然、寝耳に水の話だ。

 となると、とてもじゃないけど公王陛下相手に口を利けない衛兵達のためにも、とっさに浮かんだ疑問をぶつけざるを得ない。


「今、アドナイ王家の秘宝って言ったよな?」


「言ったよ。それがなんだい?」


「それなら、本来の持ち主は国王陛下ってことになるんだけど、どうやって手に入れたんだ?」


「ああ、それなら――」


「いや、やっぱり答えなくてもいい。むしろ答えるな」


「大丈夫だよ。無断だけど一応宝物庫に借用書は書き残したし、栄えある烈火騎士団の手を煩わせたから目撃者にも疑われてはいないはずだ」


「だから言うな!!」と叫びたくなる衝動を何とか抑えながら、夜の森を進む。


 ――王家の秘宝の窃盗罪の連座か。……もし、衛兵達と一緒にしかるべきところに密告したら、罪に問われないんだろうか?


「テイル、物思いにふけるのは結構なんだけれど、時と場所を考えてくれないかな?本当にこの道で合っているのかい?」


 ジオへの反逆を半ば本気で考え込んでいるのを背中越しに感じ取ったんだろう、文句をつけてきたジオに、さすがにむっとした。


「馬鹿言うな。ほとんど中には入らないとはいっても、この森には毎日来ているんだぞ。外周部を何度も回れば、中の様子もそれなりに把握できるさ」


「本当かい?それにしては手こずっているようだけれど」


「主にジオの足を心配して、歩きやすい道を選んでいるからだ。それに、文句を言わなくても――」


「言わなくても?」


「ほら、着いた」


 この森を見ることにかけてはそれなりの経験があると自負しているし、とっさの時でも必ず通った道の植生は記憶して、迷わないための目印を頭の中でつけている。それが今回役に立った。

 そういうわけで、俺が指さした先には、森の闇の陰にひっそりと佇む小さな祠が、確かにその姿を現していた。






「なるほど。ひょっとしたら、テイルが偶然積み上がった石を見間違えたのかと危惧したけれど、これはまごうことなき祠だ」


 月明りを遮る森の薄闇の中でも艶やかな光沢がわかる祠を、ジオが嘗め回すように観察している。

 五人の衛兵も、周囲への警戒を続けながらもちらちらと見ていて、自然の中の不自然な存在に戸惑いを隠せていない。


「さてさて、ここまでしっかりとした造りならご神体も残っているんだろうけれど、果たしてどんなものかな?」


「あ、おいジオ!!」


 一通り外観を見終わったのか、今度は罰当たりにも内部をのぞき込もうとしたジオの行動に、あの時の記憶が蘇って、我を忘れて叫ぶ。

 だけど、前に突き出していたランタンの灯りがふっと消えた瞬間に、ジオの動きも止まった。


「ジオ……」


「……うん、驚いた。何が驚いたって、驚天動地の出来事が同時に二つも起きたことが、何よりも驚いた」


 とつぶやいたジオがじりじりと後ろに下がると、そこで観察が終わるのを待っていた俺にランタンを手渡して、「すまないけれど、火を点けてくれないか?」と頼んできた。


「これ、魔道具なんだろ?どうやって着火するかなんて知らないぞ」


「魔力を込めるだけで点く、便利で簡単な魔道具さ。ついでに言うと、戦闘中だろうが水の中だろうが、滅多なことでは消えない特殊な灯りなんだ」


「そうなのか。……ん?でも今――」


「唯一の例外は、紫焔を上回る退魔の力に触れた時だけだ」


「それって、この祠が……?」


「明かりが消える寸前の一瞬だけ見えたよ。正確には、祠のご神体である『骨』の力だね」


 あまりにもあっさりと、しかし深刻な事実を告げたジオに、俺を含めた六人の視線が集中する。


「早速だけれど、前言を撤回しよう。たぶんこのご神体の力は、退魔の加護だけじゃあない。今日まで破壊の手から逃れてきた事実から見て、四神教の信徒を遠ざける効果もあるに違いない」


「そうなのか?じゃあ、俺達がここに来れたのは……」


「俺達、じゃあないね。テイル、君がこの一行に同行したからさ。それより、お呼びのようだよ」


 と、唐突に俺の方を指さすジオ。

 その方向をよく見てみると、俺の腰にある黒の剣――夜の森だからこそわかる程度の弱い光が鞘の隙間から漏れていた。


「これは……!?」


「ほらテイル、あっちも」


 ジオに言われるがままに目を向けると、同じ色の朧げな光が祠の内部をぼんやりと照らしていた。


「これってつまり……」


「そういうことだろうね」


 言葉にしなくてもジオと意見が一致したところで、ゆっくりと黒の剣を鞘から引き抜くと、刃に宿った黒い光がさっきよりはっきりと見えた。


「なるほど、弱い光じゃあなくって、見えにくい色の光だったわけか」


 完全に他人事のジオをよそに、恐る恐る剣を祠に近づけて行く。


 近づけるほどに強くなる黒光。

 その変化についつい剣の止め時がわからなくなった結果、


「あ」


 切っ先が祠のご神体である骨に触れた瞬間、暗い闇ならぬ黒い光に視界を塗りつぶされた。

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