第187話 家に帰るまでが旅


「要するに、ザグナルは人族とドワーフ族の境界線を守る防人のような役目を負っていてな、彼の紹介なしにドワーフ族の領域に足を踏み入れることは侵攻に等しい行為になってしまうわけだ」


 あれから。

 ドワーフのザグナルの予言通りに、本当に真夜中に戻ってきたジョルクさん。

 勝手知ったるジュートノル近くの森ですら、夜の移動はあれだけ怖かった俺にとって、ジョルクさんの夜間の単独行はとても理解の及ばない離れ業にしか思えなかった。

 そんな、一人で唖然としている俺の動揺が収まる余裕もなく、ランタン一つが頼りのザグナルの家での小休止を終えたジョルクさんは、


「昨日のうちに帰路に就いているパーティもいるだろうからな。こっちは表向きの行程以上に時間をかけたわけだが、最後に帰還して無駄に目立つわけにもいかん。早速出発するぞ」


 一番疲れているのは自分のはずなのに、早々にジュートノルに戻ることになり、木々を間引いた空き地の端まで、ザグナルが見送ってくれた。


「ザグナル、世話になったな」


「……小僧、そろそろこのような危ない橋を渡るような仕事は辞めろ。どうやら、昨夜は向こうでもかなり脅されたらしいな」


「引退ができる状況なら、今頃こんなところにはいない」


 俺達が泊まっていた間にどうやって知ったのか、ザグナルは山の方へ向かってからのジョルクさんのことを把握しているらしかった。

 これも、ドワーフ謹製の魔道具の力なんだろうか?


「だが、忠告はありがたく受け取っておく。ザグナルと会うのも、これが最後になるかもしれんからな」


「はてさて、そこはどうなるか……」


「どういうことだ?」


「ふむ、どうやら小僧は本当に親書の中身を知らんらしいな。まあ、アドナイ王国の王都がアンデッドのものとなり、ますます混迷の度合いを増してきた時代だ、あまり先々のことに目を向けても詮無い。小僧、達者で暮らせ」


 最後に別れの言葉を残したザグナルはジョルクさんに背を向ける直前に、俺のことを一瞥した。

 そしてそのまま自分の家に向かって歩き出すと、二度とこっちを振り返ることはなかった。






 往路に消費した食糧の分だけ荷物が軽くなり、復路の行軍速度は上がるのは当然のことだ。

 この分だと昼過ぎにはジュートノルに帰れそうだと、パーティリーダーであるジョルクさんの御託前が下ったところでちょっと気が緩みそうになったけど、そういう時はそういう時で、なにかしらのアクシデント的なものがが出てくるものだ。

 例えば、


「ジョルクさん、今俺達は、脇目も振らずにジュートノルに向かって一直線に進んでいますよね」


「そうだが、それがどうした?」


「本当の任務のためにこうして急いでいるのは分かるんですけど、じゃあ表向きの任務の方はどうするんですか?そっちはそっちで大事なはずですけど」


「大丈夫だ。すでに報告書をでっち上げる支度は整っている」


「は?……ちょ、でっち上げるって」


「あ、あのね、テイル君。誤解しないでほしいんだけど、ジョルクが言っているのは別にウソの情報でギルドを騙そうっていう話じゃなくてね?」


「ジョルク!!お前の言い方が悪い!!万が一にもテイルが公王陛下に直接告げ口したら、降格になってもおかしくないんだぞ!!」


「不正は不正だ。実際に見もせずに報告書に嘘八百を並べ立てるのと、他のパーティに俺達のルートの一部を肩代わりしてもらうのと、どっちも任務に反することは間違いない」


「違うのテイル君!これはね、ジョルクの陰謀なのよ!」


「ギャグ?」


「エルの言う通りだ!決して俺達がギルドから処罰されて合法的に元の鞘に収まるためにテイルに密告させようと画策しているわけじゃないぞ!すべてジョルクの単独犯だ!」


「そうなんですか、ジョルクさん?」


「……そんなわけがないだろう」


「だったら、そんな忌々しそうな顔をするのはやめてくださいよ」


「ちっ」


「舌打ちもやめてください」


 なんてことがあったり、他にも、


「あー、もうダメ、一歩も動けない。テイルくーん、アタシ疲れちゃった。おんぶしてー」


「エル、あと少しでジュートノルが見えてくるところまで来たんだ。それに、テイルはポーターだ。お前を背負って歩けるわけがないだろう?自分で歩け」


「なによ!アタシの体力なんかお構いなしにどんどんスピード上げたくせに!おかげでアタシの体力はすっからかんよ!荷物だったらジョルクが持てはいいでしょ!」


「だったら俺が背負う。それで文句はないな?」


「文句あるに決まってるでしょ!筋肉オバケのジョルクの背中じゃ、あちこち固くてこっちの体が持たないのよ!いいからテイル君の若い背中を堪能――コホン、背中に乗せるように命令しなさいよ!」


「……すまんテイル。荷物はこっちで持つから、ジュートノルまでエルを背負ってやってくれないか?」


 パーティリーダーのジョルクさんがメンバーのエルさんの言うことを素直に聞くという、珍しいものが見られたりと、退屈だけはしない復路だった。






 そんなわけで、冒険者ギルドの調査任務の最後の旅程は、ポーターとして荷物じゃなくてメンバーのエルさんを背負っての移動だったわけだけど、ジュートノルがはっきりと視界に収まるようになってくるのと同時に、嫌な予感が首をもたげてきた。


 ――この状況、ターシャさんやリーナに見られたら、なんて説明しよう?


 やましいことをしているわけじゃないことは、確信を持って言える。

 ただ、できるだけ急いでジュートノルに戻る必要があった以上、エルさんとはしっかりと体を密着させる必要があったわけで、その間に色々とドキッとする瞬間の二つや三つ、なかったとは言えない。

 あと、時々背後から聞こえてくる「おねーさんの体は好き?」とか「ヒップラインは自信があるんだけど、どう?」とか、そういうつもりがなくてもそういう気分にさせられるエルさんのセリフの数々に、ちょっと心がグラついたのも間違いない。

 前門のターシャさんとリーナ。後門ならぬ背中のエルさん。

 まさに追い詰められて逃げ場がない心境で、一日ぶりにジュートノルの門に帰って来た時、予想外の結末が俺を待っていた。


「お帰りなさい、ジョルクにテイルさん。早速ですが、公王陛下が執務室で吉報が届くのをお待ちです。お二人にはこの足で政庁までご同行願います」


 ターシャさんでもなくリーナでもなく。

 冒険者ギルドの調査任務を終えた俺達を出迎えてくれたのは、元商業ギルド員で今はジオの――ジオグラッド公国公王の秘書をしているロナルドさんだった。


 俗に、故郷に辿り着いても家に帰るまでが旅だという人がいるけど、そういう意味では、俺の旅はまだ終わっていないらしい。

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