第186話 冒険者ギルドの調査任務 下


 一口に森と言っても、生息する植物と生物が違えば、それだけでもう別の世界だと断言できる。

 それに、森の中は人族を拒む領域だ。二足歩行だからすぐに木の根っこや草に足を取られるし、体毛がほとんどないから怪我しやすいし虫に刺されやすい。しっかりと装備を整えてはいったとしても、素人だとちょっと奥に進んだだけですぐに遭難する。

 そんな、安易に入ってはいけない森の中を、パーティの先頭を行くジョルクさんはまるで自分の家の庭のように迷いなく歩く。

 俺だって伊達に何年も狩りをやってきてはいない。森の中での視線ひとつ、歩き方ひとつで分かることもある。


「ジョルクさん、ひょっとしたらこの森にきたことがあるんじゃないですか?それも何度も」


「毎日森で狩りをしている奴は、さすがに目の付け所が違うな」


「やっぱり。地図を見せられた時からそうだと思っていたけどね」


「エルさん、どういうことですか?」


「ジョルクはもちろん、俺とエルもこの森に何度も来たことがあるってことだ。それも依頼でな。テイルも、ジョルクが行く道に踏み固められた跡があることに気づいたんだろう?」


「はい」


 草も生え放題で見ただけじゃ中々違いなんて見つけられない、森の中。

 それでもわずかに風とは違う向きに揺れる植物の列を注意深く見れば、その先に獣道があるかどうかくらいはわかる。

 ましてや、そこにくっきりとした靴跡が見つかればなおさらだ。


 でも、分からないことが一つ、いや二つある。


「こんな道を見つけるくらい通うなんて、この森に何の用があったんですか?それに、人族のものとは明らかに違う、深くくっきりと残った靴跡もありました。ジョルクさん、ここは一体どこなんですか?それに、本当に俺達は調査任務をやっているんですか?」


「調査任務自体は本当だ」


 疑いを次々とぶつける俺に対して、簡潔に肯定の意思を送ってきたジョルクさん。

 でも、「ただし」とその口から続いたことで、俺の推測は証明されることになった。


「調査任務はあくまでついで。公王陛下直々に俺達に与えられた真の任務は、この先に住まうドワーフ族との交渉だ。当然、命がけの任務となる。全員、改めて気を引き締めてくれ」






 俺からしたら青天の霹靂のようなジョルクさんの暴露だったわけだけど、意外にもエルさんとケーネスさんは平然と真の任務を受け入れたみたいだった。


「しょっちゅうってわけじゃないけど、報酬の良い依頼だと、こういうことはそこそこあるから。だって、調査任務の相場の五倍も提示されたらねえ?」


「それでなくとも、ジュートノルを出発してからのジョルクの態度が微妙に固かったからな。山の麓までという調査ルートといい、ドワーフ族の勢力圏に向かう時点で、ああこれは何かあるとは思っていた」


 どうやら暢気に構えていたのは俺だけだったらしい。


「そういえば、テイル君はドワーフ族のことはどれくらい知ってるの?会ったことある?」


「いえ、全く。ただ、ジオのお供で王都に行った時に、ドワーフ族が造ったっていう橋を渡りまして、そこにまつわる因縁みたいなものは聞きました」


「それを知っているなら、アドナイ王国とドワーフ族の関係が険悪だと分かっているな。十分だ」


「ドワーフ族は人族よりはるかに長く生きる。俺達にとっては遠い過去でも、彼等にとっては親や親戚が受けた恨み程度に身近に感じているかもしれない。他種族という違いを抜きにしても、常に警戒は怠るな。特に、ここから先はな」


 先頭を歩いていたジョルクさんのそのセリフを聞くまでもなく、目的地に着いたことが分かった。

 自然の只中に突然現れた不自然な空き地に、丸太を組んで作られた建物が見える。

 獣道に入ってからここまでの行程で、魔物の襲撃どころか姿一つ見なかったことから言っても、この一帯が何者かの影響下にあることだけは間違いない。


 と、


「なんじゃ、曲者かと思ったら人族の小僧か」


 丸太の建物に一つある、人族のそれより正方形に近い頑丈そうな扉。

 ゆっくりと開いた扉の向こうから現れたのは、人族の大人より低い背丈に、逆に倍くらいありそうな太さの手足、茶褐色の顔下半分を覆いつくす髭面。

 噂で聞くそのままのドワーフが、身に寸鉄も帯びずに立っていた。


「また貴族共の使い走りか。モノが欲しければ、この前のようなはした金では話にならんぞ」


「いや、今日は、近くアドナイ王国内に新たに誕生する、ジオグラッド公国ジオグラルド公王陛下からの親書を託された密使としてやってきた。グラシアナ氏族族長への取次ぎを頼みたい、戦士ザグナル」


「なんじゃそれは?……まあお前一人ならよかろう。どうせ判断するのは向こうだ。せいぜい坑道で生き埋めにされんようにうまく立ち回って見せろ。わしを口説き落とした時のようにな」


「有り難い。感謝する、ザグナル」


「ふん、礼は帰って来てからにしろ。どうせいつものごとく時がないのだろう、すぐに知らせておくから、その足でとっとと向かえ。荷物と仲間はここで預かってやる」


「助かる」


 ドワーフとの話が付くなり、ジョルクさんは俺達に何の説明もないまま、ケーネスさんに荷物を預けると、その足で森のさらに奥深くへと分け入ってしまった。






「人族の好みは知らん。この森で採れる薬草茶だ、飲め」


 ジョルクさんがたった一人で行ってしまった後。

 小屋というには大きすぎる丸太の建物に招かれた俺、エルさん、ケーネスさんは、ザグナルと呼ばれたドワーフからお茶の接待を受けていた。


 ――お茶の感想は……、まあ、薬草茶という時点で察してほしい。


 俺達がお茶を飲んでいる様子を確認したザグナルは、丸太の壁に飾られた装飾品の数々に近づくと、その中の小さなベルを手に取って数回鳴らした。


 チリーン チリーン チリーン


 小さく鳴っただけのはずのベルの音は、なぜか強化していない俺の耳にもしっかりと届き、長く余韻を残した。

 聞いたこともない、それでいて一番澄んだ、綺麗な音色だった。


「魔道具よ。たぶん今頃は、遠くにある対になっているものが鳴っている頃じゃないかしら?」


「予め符丁を決めておくことで、何種類かの知らせを即座に届ける仕組みだな。なんでもドワーフにしか作り出せない特別なものだと聞いた」


「はー、そんなものがあるんですね」


 俺の視線に気づいたエルさんとケーネスさんの説明に感心していると、


「ふん、かつてはドワーフの工房で作られた物が、一定数アドナイ王国にも流れていた。それを失ったのは、お前達の祖先の自業自得だ」


 そう、蔑むように俺達を見たザグナルが、俺を見た瞬間に瞳孔が開いた。


「な、なんですか?」


「その装備……、いやそんなはずはない。盗もうと思って盗めるはずは無し。ましてやそれを平然と纏うなど……」


 全身に緊張をみなぎらせるザグナルに声をかけるけど、まるで聞こえていないように俯いて独り言を言い続ける。

 やがて、自我を取り戻したように顔を上げたザグナルにエルさんが、


「あの、ザグナルさん?どうかしました?」


「わしのことは単にザグナルと呼べ。人族の礼儀などでドワーフを縛るな。――何でもない、少し昔を思い出しただけだ」


「はあ、すみません……」


「それよりも貴様ら、茶と寝床くらいは提供するが、備蓄に余裕はないで、食事は出さんぞ。もちろん自前で用意しておるだろうな?」


じろりとこっちを睨んできたザグナルに俺が言葉に詰まっていると、エルさんが、


「え、ええ、もちろん。今日は野宿のつもりで用意してきましたから」


「ならばさっさと食って寝ろ。おそらく、あの小僧は用事が済み次第、夜通しかけてここまで戻ってくる。夜半にはここを発つつもりでいた方が賢明だぞ」


「は、はい。では、御言葉に甘えます。……それで、厨房をちょっとの間お借りしてもいいですか?」


「好きにしろ」


「あ、エルさん。俺がやりますから、ケーネスさんと休んでいてください。俺はここまで歩いただけですから、これくらいはやらせてください」


「え、そう?でも……」


「エル、テイルに任せよう。こいつは食事処の雑用をやっているんだ、少なくともお前の絶望的に気が滅入る飯よりはましだろう」


「誰がろくに料理もできない行き遅れの年増よ!!」


「いや、そこまでは言っていないが……」


「……とりあえず、支度してきますね」


 建物の中に入って安心したのか、他人の家で遠慮のない会話劇を繰り広げ始めたエルさんのケーネスさんのとばっちりを受けないように、できるだけ静かに厨房のありそうな奥へと、荷物に入っていた食料を持って移動し始めた。


 その俺を、じっと見つめるドワーフの視線があることは分かっていたけど、あえて気づかないふりをした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る