第182話 新人採用の内幕


 新しく白いウサギ亭の接客係になったリーナとティアだけど、もちろん俺の独断で決まったわけじゃない。

 しかるべき相手、特に未成年のティアの保護者とも言うべき存在に相談してのことだ。


「ティアの扱い?そっちに任せるよ。王族としての待遇なんても求めないし、酷いことにさえならなければ平民として扱ってくれても構わない」


「いや、さすがに平民扱いは構うだろ」


 日時は、例の挨拶回りをした日の夕方。ロナルドさんの案内で代官執務室改め、ジオグラッド公国公王臨時執務室に通された時の、ジオとの会話だ。

 耳を疑うような公王様の提案に対して、俺の文句は真っ当すぎるくらいだと思ったけど、「わかっていないなあ、テイルは」と前置きした上で、ジオは言った。


「確かに筋というのなら、実の兄であるこの僕がティアを引き取り、生活の面倒を見るべきなんだろうね。けれど、その様子を具体的に想像してごらんよ」


「王族の暮らしなんか、想像がつくわけないだろ」


「いいや、想像がつかないわけはない。テイルに限って言えば、ティアが王都にいた頃の日々がどういうものだったか、すでに聞き知っているはずだよ」


「あ、ああ、そう言えば……」


 確かに、ジオにそう指摘されれば思い当たる節もある。ついつい自分とは違う世界の出来事だと思って、記憶から消していた。

 でも、だからどうだとも言いたい。

 仮にも王族の暮らしだ。具体的なところまでは知らないけど、平民なら誰もが憧れる上げ膳据え膳の毎日を送っていたことだけは間違いない。

 だけど、「やっぱりわかっていなかったか」と嘆息したジオは、


「それは全て、側仕えであるアレクがいた頃の話だろう?」


「あ……」


 今度こそ、完全に失念していたと認めざるを得ない。

 それくらい、俺の記憶がポンコツだと証明できる決定的な違いだった。


「アレクは、ティアが生まれる前、つまり王妃のお腹の中にいた頃から側仕えとして仕えていた忠臣でね。それこそティア本人が言葉にせずとも以心伝心で望みをかなえるほどに、ティアに関して精通していた。その唯一無二の側近であるアレクが居れば、遠いジュートノルの地であっても、ティアに王族に相応しい暮らしをさせてやれただろう」


「でも、使用人くらいはここでも募集できるだろ?」


「……まあ、百歩譲って、片田舎の平民ごときを王族の住まう屋敷で働かせるとしてもだ、使用人達に指示を与えて主の体面を守る人材となると、そうはいかない」


「そんなものなのか?」


「ちょっと例えが違うけれど、僕がセレス無しに公国を率いていくようなものさ」


「それは無理だろうな」


 セレスさんのいないジオなんて想像がつかない。まさに手足を失ったと言っても過言じゃない。

 今も無言でジオの後ろに控えながらも、護衛としての役目を立派に果たしている凛々しい姿を見て、そう思う。


「それでも、僕のところでティアを引き取れないわけじゃあないけれど、人目につかない屋敷で一日中独りで過ごさせることしかできなくなってしまう。側仕え無しでは、外出は元より、人に会うこともままならないんだ」


「それはもう、囚人みたいなものだろ」


「王女と囚人を一緒にするのは酷すぎるけれど、自由がないという意味では間違いじゃあないんだよね」


 そこで、出されていたお菓子を一つまみして、お茶で喉を潤したジオが「そういうわけで、テイルのところで預かってもらおうと思ったんだよ」と切り出した。


「ティアを王族の身分に縛り付けずに思うままに暮らさせるのなら、タイミングは今しかない。ジュートノルまでの旅で体調を崩して静養中と発表すれば、しばらくの間は不在を誤魔化せる」


「そんな簡単に言うけどな、ティアの正体を隠すなんて無茶すぎる。それに護衛はどうするんだよ?いくらなんでもつけないわけにいかないだろ?」


「リーナと血縁関係があると匂わせるだけで構わないさ。孤高の冒険者って立場を確保しているリーナの親戚なら、そうそう詮索されることもないだろうしね。護衛についても心配はいらない。レナートにでも適当な冒険者を見繕わせて、密かに守らせるから。それに、テイルのところの常連客が悪い虫よけという意味で頼りになりそうだ」


そう言われて、白いウサギ亭で生活するティの姿を想像してみる。


「……ターシャさん、子供が好きだからな」


「はははっ!それを了承の返事と受け取らせてもらうよ」


 こっちの考えを先回りして満足そうな笑みを浮かべたジオ。

 その表情が、これで話は終わったとばかりに一気に引き締まった。


「さて、余談はこれくらいにして、本題に入ろうか」






 本題という割にはその内容はとても短く簡潔で、しかもそこそこ先の予定だから今は置いておこう。

 そうと決まったら、何を置いてもまずはティア本人がどうしたいのか確認するのが先だ。

 そう思って実の兄に居所を聞いてみると、


「僕のところにはいないよ。多忙すぎて、様子を見に行くこともままならないからね」


 自分のところにいるような体で言ってなかったか?と首をかしげながら、教えられた住所へ行ってみる。

 結論から言うと、ティアがお世話になっていたのは一度来たことのある場所、リーナが滞在している商人の屋敷の離れだった。


「テイル、どうしたの?こんなところに来るなんて、明日は季節外れの雪でも降るんじゃないの?」


 まるで珍獣でも見たようなリアクションでリーナに迎えられて、挨拶もそこそこにジオとの話の内容を説明すると、


「確かに、ジオ様の言うことも一理あるわね。ジオ様の紹介状と私の口添えもあって、ティア様はここで下にも置かない生活を送っておられるんだけれど、この屋敷の主に聞くと、時々沈んだ表情を見せているそうなのよ」


「それならいっそ、周りの環境を変えるのも一案だよな」


 アレクさんの死が暗い影を落としているのは分かっていたけど、ティアの普段の生活に支障が出ているなら、白いウサギ亭で引き取って、新しい環境に置いてみるのもいいのかもしれない。

 少なくとも、俺とジオの考えは一致している。


「でも、テイルの方は大丈夫なの?いくら身分は隠すと言っても、高貴な家柄の出くらいには匂わせるんでしょう?ティア様を受け入れられるの?」


「ターシャさんに任せておけば心配ないと思う。白のたてがみ亭時代は貴族の相手を何度かしていたはずだから。それにあの人、子供には滅法甘いんだよ。……ちょっと心配になるレベルで」


 普段は、接客係と客という壁があるからまだ理性が残っているけど、近所の子供達に対する可愛がり方は相当なもので、よく客からのもらい物(貢物かもしれない)のお菓子を分けている光景を目にする。

 それでも、他所の家の子という意識はあるみたいだけど、これが同じ従業員になるとどこまでタガが外れるか、ちょっと先が怖い。

 そこまで考えたところで我に返って見ると、リーナがじーっとこっちを見ていた。


「な、なんだよ」


「……ふーん、会えなかった時間がお互いの距離を縮めた、ってやつなのかしら?」


「いや、言っている意味が分からん」


「ティア様ともいつの間にかに仲良くなっちゃったし。……このままうかうかしていられないわね」


 そう言ったリーナが、ぐいっと近づいてくる。

 あの夜と同じくらいまで接近してくるから、どうしてもキスの記憶が甦ってきて心臓の音が激しくなってくる。

 実際には短かったんだろうけど、いつまで続くか分からないこの状況に体の熱が上がり始めたところで、


「私のことも白いウサギ亭で雇ってくれないかしら?」


「え……、今なんて?」


「聞こえなかったふりをするんじゃあないわよ!」


「イダダダダ!!耳を引っ張るな!違うから!ただ意外だったから聞き返しただけだ!」


「そう?ほら、ティア様もいきなり別の環境に放り出されるよりは、同性の知り合いが多いに越したことはないと思わない?」


「ま、まあ、確かに」


「それに……、ほら、私もティア様が上手く馴染めるかどうか、心配だし」


「それを先に言えよ。できれば耳を引っ張る前に。じゃあ、とりあえずターシャさんとダンさんに話を通しておくよ。リーナの雇用は二人がオーケーを出したら、ってことで」


「テイルが主なんでしょう。なんで二人の了承が必要なのよ?」


「うちは経営者が一番弱いんだよ」


「なによそれ……ぷっ、変なの」


 リーナから一つ笑いを取れたところで、ドアからノックの音がした。

 どうやら、本日の主役が到着したらしい。


「テイル!」


 そう声を上げたティアは、駆け出したい欲求を抑えて行儀よく歩いて、リーナの横に座る。

 ターシャさんから教わった、貴族に対する挨拶を何とかこなして、お付きの人が部屋を出ていった後、さっそくとばかりに切り出した。


 ――こういうのはあれこれと語彙力を駆使して説得するものらしいけど、今回はまどろっこしいのは抜きだ。


「ティア、うちにくるか?」


「いく!」


 王都を脱出して以来の理屈もへったくれもない、ティアの屈託のない笑顔だった。

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