第180話 変化する日常 下


 ランチの後、空いた時間を利用して、前からの約束を果たしに。

 白いウサギ亭の客を通して先に連絡は入れておいたので、とある店の奥でその人は待ち構えていた。

 まっさらな紙の束を持って。


「これにジュートノルを出発してから帰ってくるまでの一部始終を、全部書け。二日後まで待ってやる」


 再会するなりそんな殺生なことを言い出したのは、俺の監視役である、冒険者のジョルクさん。

 人づてに聞いたところによると、最近Aランクに昇級したらしい。

 そのせいか、以前より五割増しで顔が怖い気がする。


「あ、あの……、王都でのことは秘密にしろって言われてるんですけど。特に、王族貴族関係とか」


「心配するな。殿下――公王陛下からの許可は取ってある」


 なんでも、Aランク冒険者になると守秘義務の範囲というかレベルが上がるらしく、ジョルクさんが俺の王都での体験を知っても問題なくなるとか、ならないとか。

 とにかく、ジオの名前まで出されたら他に選択肢があるはずもなく、とりあえずジョルクさんの次の予定までの間、延々と報告書を書かされる羽目になった。

 俺がああでもないこうでもないと頭を捻って日記形式で書き上げた紙を、できたそばからジョルクさんが持っていって目を通すだけの時間が続く。

 お茶の一杯も出ない、ただの苦行をやらされることしばらくして、


「よし、今日はこんなものだろう」


 ようやく報告書作成から解放されて、衝動のままにフラフラと部屋から出て行こうとしたところで、ふとミルズの奴に聞きそびれたことを思い出した。

 冒険者のことは冒険者に、だ。考えてみれば一番の適任者じゃないか?


「ジョルクさん、一つ聞いてもいいですか?」


「なんだ?」


 厳しい表情にはなっても人はそうそう変わらない。

 言葉短くも、これまで通りに真面目に応じてくれたジョルクさんに、今朝の話を告げてみた。

 果たして、何だそんなことかという顔をして、ジョルクさんはあっさりと答えをくれた。


「それはな、ギルドからそういう通達が出ているからだ。早朝に森で狩りをしている若い貧相な男を見かけたら、絶対に関わるなとな」


「……なんか、通達に悪意が混じっていません?」


「こういうのは悪意とは言わん。お前の特徴が目撃者に分かりやすく伝わればそれで十分だからな」


 なんだか、ジョルクさんに軽く貶された気がするけど、実際に狩りの時の装備は中古品ばかりで、傍目からは貧相と言われても仕方がない装いだから、これ以上反論も出てこない。


「まあ、冒険者ギルドの厚意だ、ありがたく受け取っておけ。ただでさえあいつも、本来の人材が王都から来なくなって、自分にお鉢が回ってくる羽目に陥っているからな。これ以上ややこしいことにしてやるな」


 最後に、なんだかよく分からないことを言ったジョルクさん。

 その誰かさんのためだろうか、やけに情感のこもった言い方に、とりあえず頷かないといけない気になってしまった。






 ジョルクさんの言っていた誰かさんの正体は、すぐに分かった。


「いや、後任の人材自体は無事に王都から来たそうなんだが、アンデッドのクソ共のせいで、政庁舎の方に回されてしまったそうだ。おかげで、公王陛下と間接的につながりを持つ私のところにギルドマスターの役職が巡ってきてしまってね、ははは……」


「いい機会だから一度礼を言って来い」とのジョルクさんの助言でやってきたのは、冒険者ギルド。

 前回の苦い記憶があるからできれば遠慮したかったけど、一人で行っても大丈夫だとわざわざ付け加えられたらそうもいかない。

 それでも、さすがに約束も無しにいきなり会いに行っても門前払いを食らうだけだろうと軽い気持ちで受付の人に聞いたら、ほとんど待たされずにギルドマスターの執務室に通されてしまった。


「とにかく、よく来たね。今日辺り寄こせるかもしれないと、ジョルクから聞いていたよ」


 そう話しながら、秘書と一緒に執務室のデカいテーブルにかじりついて書類仕事をしているのは、なんとフレッドさんだった。


「え、えっと、なんでも特別な扱いをするように配慮してくれたみたいで、ありがとうございます。それと、ギルドマスター就任おめでとうございます」


「ハハハ、後半のはあまり嬉しくないかな……」


 どうやらジョルクさんの言った通り、望んだ昇進じゃないらしい。


「あの、なんだか忙しそうですね。お邪魔なら、また出直しますけど」


「いや、構わないよ。それに、別の機会といってもいつになるか見当もつかないからね」


 帰ろうとする俺に意味有り気にそう言ったフレッドさんは、秘書の人を下がらせて、入れ替わりに職員にお茶を持ってこさせた。

 本当に忙しいんだろう、お茶が用意される間も書類に目を通していたフレッドさんは、テーブルを挟んで向かい合った俺達の前にお茶が供されて初めて、目線を上げた。


「多忙を極めているのは、何もうちだけじゃないんだ。今やジュートノルの主要組織全てが、土砂降りのように降りてくる仕事に忙殺されているはずだ」


「ジュートノル中がですか?」


「ああ。王都から流入してくる難民の受け入れに、変化した魔物の分布の再調査、加えて上つ方から降りてくる無茶ぶりへの対処。その他の細かい仕事を挙げればキリがないくらいだよ」


「じゃあやっぱり、すぐにお暇した方が……」


「言っただろう、今日明日頑張ったところで、簡単に片付くようなものではないんだ。こうして適度に休みを取って倒れないように気をつけないと、それこそジュートノルの機能がストップしてしまう」


「はあ」


「おっと、すまない。門外漢のテイル君に愚痴を言っても益体もない話だった。まあ、近い内に難民の中から書類仕事ができる者を片っ端からスカウトするつもりだから、ひとまずはそれまでの辛抱だということだよ」


「そうなんですね」


 他人事とは言われても、こうして忙しそうにしているフレッドさんを直に見て、何も思わない方がどうかしている。

 とりあえずは先々の目途は立っていると聞いてほっとしていると、


「だが、我々の仕事が一段落するということは、次の段階に進むということでもある」


「え?」


「まあ、その時に何が起きるのかを知っているのは、今我々を動かしている、ごく限られた方達だけだろう。できることなら、それがジュートノルの人々にとって良い選択であることを願うばかりだが……」






 結局、最後に言った、なぞかけのような独り言の意味を教えてくれなかったフレッドさん。

「帰りついでに届け物を頼むよ」と、細長くて重い紙包みを持たされて、向かった先は政庁舎。

 ここもまた色々あった場所なのでできれば近づきたくはないけど、届ける相手が俺も知っている人となると断りづらい。

 問題は、大勢の役人が働く政庁舎で無事にその人に会えるかどうかだけど、


「ああ、あなたがテイルさんですか。どうぞ、勝手に通ってください」


 なぜか受付の人には顔パスだった。

 さすがに勝手に通されても道順が分からないので懇切丁寧に教えてもらい、どうにかこうにか目的の部屋へ。


「グガー、グゴー」


 その人、商人ギルドから転職してジオの秘書をしているというロナルドさんは、机に突っ伏した態勢で、健康が心配になるレベルの鼾を部屋中に響かせていた。

 さすがに寝ているところに届け物をしてもただの不審物なので、遠慮がちに体を揺すって起きてもらうと、


「ああっ!?明日決済の重要書類が!!」


 どうやら大事な書類を握りしめながら寝ていたらしく、激しく動揺するロナルドさんをどうにか宥めて、届け物を渡した。


「いやはや、取り乱したところをお見せしてすみません。……おや、これはフレッドさんにお願いしていたものですね。最近は忙しすぎて、これがないとなかなか寝付けないんですよ」


 俺に謝りながら、さっそくとばかりに紙包みを剥がしたロナルドさん。

 包みの中身は酒瓶だった。


 ――あれ、うちでも扱ってる「客に出す時は絶対に十倍以上に薄めろよ」って言われてる蒸留酒だよな……?


 ロナルドさんの健康が本気で心配になり始めたけど、それこそフレッドさん以上に仕事の邪魔をしちゃいけない雰囲気がバシバシ伝わってくる。

 空気を読んで早々に帰ろうとした俺に、


「ああ、ちょっと待ってください。テイルさんが見えられたら、すぐにお通ししろと命じられているんです。ちょっとお付き合い願えませんか?」


 もちろん、ロナルドさんに命じた相手は言われずともわかっていたので、不本意ながら頷いた。

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