ジオグラッド公国
第179話 変化する日常 上
少し留守にしていた間に、ずいぶんと冷気が薄らいだ感じがする。
そんな季節の変わり目の森の淵を、油断なく進む。
といっても、物心ついてから一度もジュートノルを離れたことがなかったから、単に違う土地の空気に触れていたせいで感覚が狂っているだけかもしれない。
もしそうなら早々に勘を取り戻しておきたいし、そうじゃなくても、
『お前がいない間に溜め込んでいた干し肉は全部使い切っちまった。とっとと狩りに行って補充しろ』
というダンさんの命令で、ここ数日はいつもより長めの狩りに勤しんでいる。
ヒュヒュン ゴゴッ
小癪にも連携して襲ってきた二羽のツノウサギに、右手一本に握り込んだ小石を立て続けに放ち、それぞれの腹に命中させて動きを止める。
ピクピクと痙攣している獲物に、自然な流れで近づいて新調したナイフでサクサクと止めを刺している無慈悲な自分に、成長したと喜んでいいのやら悲しんでいいのやら。
きっと王都での経験が、少々のことじゃ動じない精神にクラスチェンジさせたんだろうなと、半ば他人事のように振り返りながら、いつも拠点にしているところまで戻って血抜きの準備を始める。
とそこへ、木々の向こうから枝を押しのけて草花を踏みつける気配がした。
ツノウサギでもなければ大型獣のものでもなく、そもそも四足獣ですらない。
だてに森での狩りを日常の一部にしてきたわけじゃないから、どんなに微かな音でもそのくらいは分かる。
果たして、
「ん、なんだお前?」
未だに闇が濃い森から出てきたのは、一目で戦士系冒険者と分かる、眼帯と髭面の二人組だった。
「おい、ここは今俺達が魔物を間引いてやってんだ。分かったらとっとと街に帰れ。討伐の邪魔だ」
黒の装備をつけてないのもあってか、俺が冒険者じゃないと一発で見抜いたらしく、眼帯の方が偉そうに指図してくる。
――ここで揉め事になってもつまらないよな。
そう思って、血抜き途中のツノウサギを回収して無言で立ち去ろうとしたのが、プライドを刺激したんだろう。
俺の動きを見ていた眼帯が肩を掴んできた。
「おい、それも置いていけ」
「……なんでそんなことしないといけないんだ?」
「言っただろうが、ここは俺達の狩場だってな。お前が勝手に狩りをしたのを見逃す代わりに、その獲物を置いていけって話だ」
「狩場っていうんなら、俺は何年も前からここで狩りをしている。いくら冒険者だからって、あんたたちに獲物を横取りされる覚えなんかないんだけどな」
「なんだとコラ?」
つい、売り言葉に買い言葉で応じてしまったことで、眼帯の顔色が変わる。
これは言葉だけじゃ済まなそうだと、こいつらを振り切って逃げる算段を考え始めたところで、さっきからずっと黙り込んでいたもう片方の髭面が、なにかに気づいたような表情になった。
「おい、ちょっと来い」
「邪魔すんな!今からこの生意気な平民に一発分からせてやるところ――」
「いいから来い!!」
そう言って相棒を強引に下がらせた髭面は俺から距離をとると、なにやら耳打ちを始めた。
すると、最初は怒りが収まらないという風だった眼帯が、耳打ちが続くうちに顔色が赤から青へと変化していった。
そして、再び俺を見た眼帯が、
「お、お前、もしかして、白いウサギ亭の雑用か?」
「そうだけど?」
「そ……」
「そ?」
「それを早く言いやがれ!!知ってりゃ因縁なんかつけるかよ!いいか、俺はお前に何もしなかったからな!!」
そう一方的に告げてきた眼帯は、一足先に行ってしまった髭面を追いかけるように、森から出て行った。
「ああそりゃ、冒険者ギルドの通達のせいだな」
それから時は進んで、ランチの混雑が終わった直後の白いウサギ亭。
片付けも一段落したところで、今朝のちょっと変わった出来事をダンさんに話してみると、意外な答えが返ってきた。
「俺も客伝いでしか聞いてないんだが」
と前置きしたダンさんは、知っている限りのことを教えてくれた。
なんでも、王都に旅立つ前の俺の行動はよっぽど目立っていたらしく、不在中に色々な噂が飛び交ったらしい。
なにしろ、代官代行のジオと親しく付き合い、冒険者ギルドマスターと直々に面会し、実力と美貌で有名なリーナとデートしていたのは、紛れもない事実だ。
しかも、本来噂の火消し役になるはずのジオやセレスさんもいなかったから、その間にあることないこと流言飛語が好き勝手に飛び交ってしまった。
今では、平民の中にB級冒険者をもてあそび、冒険者ギルドを顎で使い、代官すら影から支配する大貴族の隠し子という、どこの三文芝居の主人公だって言いたい噂まで出てくる始末だ。
「お前達が王都に行っていたというのも、噂に火をつけた一因らしいな。街で力を持っている奴ほど、王都を恐れるものだからな」
「なんですかそれ……」
リーナをもてあそぶとかジオを影から支配するとか、本人達に聞かれたらと思うと、夜も眠れなくなりそうだ。俺としては全力で否定したいところだけど、それに待ったをかけたのもダンさんだった。
「やめとけやめとけ。噂の張本人がいくら言ったところで火魔法に魔力を注ぐ結果にしかならん。それに、その噂も決して悪いことばかりじゃないと思うぞ」
「どういうことですか?」
「どういうこともなにも、その噂のおかげで今朝の冒険者に絡まれずに済んだんだろうが」
「結局さ、冒険者稼業も厳しくなってるってことなんだよ。あ、ターシャさんどうもっす」
ランチと今日の宿泊客を迎える合間の昼下がり。
そう喋りながら、ターシャさんに出してもらった茶をしばいているのは、衛兵姿が板についてきたミルズだ。
「俺は噂程度にしか知らないが、テイルは実際に見てきたんだからよく知ってるだろ。王都にアンデッドが大量発生したってさ」
「ああ。貴族も王族も太刀打ちできないくらいの数がな」
「まあ、人族の代わりに王都に入り込んだって形だから、一見周辺には影響無さそうだがな。アンデッドには一つ、見逃しがちな特性があるだろ」
「なんだ?」
「なんだ?って、冒険者学校で習った話らしいぜ」
「その口ぶり、お前も忘れてたってことじゃないか」
「まあそうなんだがな」
冒険者だった頃じゃ考えられないくらいに心の距離が縮まった気がするミルズによると、こうだ。
人族の敵という意味で魔物に分類されるアンデッドだけど、その実決定的な違いが一つある。
不死神の眷属ということで、食物連鎖のルールからはじき出されているところだ。
生ける者の命を奪い、瘴気を送り込んで仲間を増やすが、食事を必要とせず、腐乱した肉体は虫も寄り付かない。
そのため、ほとんどの魔物からは襲いたくも襲われたくもないので、自然と距離をとるものらしい。
「そうやって、王都周辺の魔物が別の場所へ、それではじき出された別の魔物がまた別の場所へ、ってんで、今のアドナイ王国の魔物分布図はしっちゃかめっちゃかになってんだよ」
「なるほどな。で、それが朝見た冒険者とどうつながってくるんだ?」
「つながってくるに決まってんだろ。魔物が移動したってことは、そいつらを討伐して生活してる冒険者も狩場を移すってことなんだからな」
「あ」
言われてみれば、冒険者学校でそんなことを聞いた気がする。
「本気で覚えてなかったのか?まじめに勉強してたテイルにしちゃ珍しいな」
「多分、覚える必要がないと思ったんだろうな」
人族だろうが魔物だろうが、アンデッドの発生には細心の注意を払う。
死んだ人を埋葬する時には聖術士や治癒術士が念入りに清めるし、無理なら火葬する。
魔物にしたって、病気や毒に冒されていない限り、弱肉強食の原理に従って処分される。
考えてみればよくできてる仕組みだなと思っただけで、そのまま忘れたんだ。
「お前が朝見た冒険者ってのは、魔物の分布の変化についていけなくて、手近でそこそこ稼げるツノウサギを狙ったんだろうぜ」
「はー、そういうことだったのか」
妙に納得したところで、妙なことに気づいた。
もうちょっと具体的に言うと、妙な雰囲気にだ。
「……なんか、客の行儀が良すぎないか?」
白いウサギ亭は裏通りの宿屋兼食事処だ。
夜の宿泊客はともかく、昼間のランチは近所の雑多な男共で満席になる。
目の前にいる衛兵のミルズは、まさに昼休憩の合間にこうして話に来ているわけだ。
つまり、何が言いたいかというと、
「静かすぎるだろ。俺が王都に行く前は、こんなんじゃなかった気がするんだけど……」
「そ、そうか?こんなもんだっただろ?(実は先輩達がターシャさんの邪魔にならないように他の常連客を教育したなんて言えるわけねえだろ!)」
「ん?何か言ったか?」
「いや、なにも?あっ、そろそろ時間だ!」
こうして、ミルズはランチタイムの終了と共に、なぜか全速力で衛兵の仕事に戻っていったわけだけど、しばらくしてから、なんで朝の冒険者達が俺を見て逃げていったのかを聞くのを忘れていたと、思い出したのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます