第173話 SS 公王の初仕事 上


 アドナイ王国第三王子ジオグラルドを公王として頂き、南方の要衝ジュートノルを中心として誕生した、ジオグラッド公国。

 本来ならばジュートノルを挙げて歓待の式典を開かなければならないところだったが、王都からの急使がもたらした凶報の数々が、検討するまでもなく中止の方向で進めざるを得なくなった。

 もちろんその判断は、ジュートノルに到着したばかりのジオグラルドの側近にお伺いを立てた上でのことだった。


「とはいえ、さすがにそなたらとの顔合わせの機会を作らなければ、諸々の調整もうまく行かないだろうとの公王の御慈悲です。感謝するように」


 ここは、歴代のジュートノルの代官が会合や接待に利用してきた館の一つ。

 応接間の上座にジオグラルドが腰かけ、その横に立つ護衛騎士のセレスが主の言葉を代弁していた。

 そして、公王主従に対して床に跪いているのが、これまで代官の下でジュートノルを支配していた、主だった面々。

 その顔触れは、商業ギルド、職人ギルド、冒険者ギルド、衛兵隊、政庁舎の役人、各地区の代表など、多岐に渡っている。

 たとえば、今この場に賊が侵入して彼らを皆殺しにすれば、ジュートノルの都市機能が完全に停止してしまうだろう。

 まさにジュートノルの要人が一堂に会したわけだが、彼らの誰もが困惑を隠せないまま、公王の側近であるセレスの言葉を謹聴している。

 しかし、いつまでも付きまとう違和感に抗えなかったのだろう、セレスの話が一区切りついた頃合いを見計らって、そのうちの一人が「恐れながら」と勇気ある名乗りを上げた。


「そなたは?」


「はい。冒険者ギルドから参りました、フレッドと申します。一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか?」


「許します」


「ありがとうございます。ジオグラルド陛下の謁見を賜ることはこの上ない栄誉ではあるのですが、冒険者ギルドを束ねるギルドマスターを差し置いてなぜ私が参列を許されたのか、是非ともお聞きしたく存じます」


「なるほど、道理ですね。後ほど説明しようと思っていましたが、そなたらの気持ちが落ち着かないのも理解できます。では、その疑問に答えましょう」


 セレスのその温情に、謁見者のほとんどが密かに安堵の吐息を漏らした。

 いくら名指しでの呼び出しとはいえ、主や上司を差し置いて公王に謁見することに少なからず不安を覚えていたところだったからだ。

 しかし、彼らの心の平穏は長くは続かなかった。


「現在、公国騎士団が主導、衛兵隊と冒険者ギルドの手を借りて、各組織への一斉査察を開始しています。なお、本来この場にいるべき欠席者は、全員が騎士団によって拘束されていると考えてもらって構いません」


「なっ……!?」


 フレッドを始めとした謁見者に衝撃が走る。

 それには理由があった。


「わ、わたくしからもよろしいでしょうか!」


「どうぞ」


「これまでジュートノルを治めてきた代官様方は、何事に関してもわたくし共に諮ってから決断なされてきました。ジュートノルに格別のご縁がある公王陛下に置かれましてはもちろん、深慮遠謀があってのことだと愚考してはおりますが、突然のことに戸惑いを隠せぬ者も少なくないと思うのですが……」


 この場にいる者達は全員、ジオグラルドがほんの少し前まで代官代行を名乗ってジュートノルの頂点に立っていたことを知っている。また、実際に顔を合わせた者も少なくないから、見間違えるはずもない。

 もちろん、代官によって多少の違いはあるものの、基本的に政治は下の者に任せきりという点では、ジオとだけ名乗った謎の代官代行は彼らにとって扱いやすい貴族――のはずだった。


「そなた、名前は?」


「はっ、商業ギルド副ギルドマスターのアマザと申します」


 これまでも貴族とはうまくやってきたし、新しい公王に対して恥をかかせないだけの贈り物をすることも、側仕えを通してすでに当人に伝わっているはず。

 そう高を括ってのアマザの発言だったが、首を垂れているせいでセレスの氷の眼差しに晒されているとは夢にも思っていなかった。


「ではアマザ、一度しか言いません。今後、代官時代のジュートノルを引き合いにジオグラルド公王陛下を批判することを一切禁じます」


「は、ははっ!!」


 そこで彼らはようやく気付いた。

 この謁見の機会は、単なる顔合わせや根回しの類ではなく、公王陛下の命を伝達するだけの場なのだと。


「ところでアマザ、そなたは商人としても副ギルドマスターとしても非常に優秀だと噂を聞いています」


「お、お耳に達しているようで、光栄の至りでございます」


「ですが、女性関係はもう少し控えめにした方が良さそうですね。お遊びで済んでいる分にはまだいいですが、激怒した某貴族家を血縁に持つ妻が実家に帰りかけたとか。もし次、そのような醜聞が陛下の御耳に達するようでしたら、色々と痛くもない腹を探られることになりますよ?」


「き、ききき、肝に銘じておきます!!」


 アマザの女癖の悪さは、この場にいる者なら誰もが知るところだ。

 優秀とはいえ、元は流れ者の商人に過ぎなかったアマザが副ギルドマスターにまで上り詰められたのは、ひとえに彼の妻の実家の後ろ盾があってのことだ。

 だが、そのような諸々の事情は、ジュートノルの上流階級にのみ流れる「秘密」であって、間違っても得体のしれない代官代行に伝わる類いの情報ではない。

 それをセレスが知っていたということは、かなり前からジオグラルドの密偵が、ジュートノルの情報を広く収集していたことに他ならない。


「今回、この場に呼ばれずに拘束された者達は皆、看過できない不正を働いていたか、存在するだけでジュートノル改め公都ジオグラッドの害にしかならないと判断されたということです。今後、公都の各組織の取りまとめはそなたらに一任されます。これまで以上に励むように」


「よきにはからえ」


 セレスの宣告に、一言だけ発したジオグラルド公王の御言葉。


 それぞれの心中はともかくとして、全員が一様に、粛然と畏まるしかなかった。






 館を出るなり、謁見者の誰もが目の色を変えて我先にと待たせていた馬車に乗り込んで帰路に就く中、独りわざと回り道をして、今度は館の裏口からこっそりと応接間まで戻ってきたのは、冒険者ギルド幹部のフレッドだった。


「失礼いたします」


「やあ、フレッド。茶番への協力、ご苦労だったね。君が口火を切ってくれたおかげで、他の者の舌の滑りがよくなった」


 先ほどとは打って変わって、気さくな態度でフレッドを迎え入れたのは、ややだらしなくソファに沈み込んだジオグラルドその人だった。

 もちろん、その背後を護衛騎士のセレスが固めてはいるが、主と人格が入れ替わったかのように沈黙を貫いている。


「いえ、陛下直々の御命令に応えるためですから、このくらいは何でもありません」


「そう言ってもらえると助かるよ。何もかもが不足している僕だけれど、特にジュートノル側の協力者の確保が急務だ。ジョルクを通じてフレッドの為人はそれなりに知っているつもりだから、これからも頼らせてもらうよ、新たな冒険者ギルドマスター」


「は、私のような若輩者で勤まるかどうかは分かりませんが、精一杯努めさせていただくつもりです」


「……なんでも、先代のギルドマスターは、かなり強引なやり方で荒くれ者が多い冒険者を纏め上げていたようだね。賄賂やら脅迫まがいやらが良いか悪いかはともかく、フレッドはそういう手合いじゃあないと聞いているよ」


「仰る通りです。様々な不正が元から断たれたのはギルド員一同歓迎しているのですが、この先、昔のやり方に慣れ切った冒険者とどうやって付き合っていくべきか、難しいところであるのは確かです」


「その責任の一端を背負う、というわけじゃあないけれど、僕から一つ、提案がある」


 公王の前にもかかわらず、愚痴のようなことまで言ってしまったフレッドに対して、ジオグラルドは一人の名前と共に、その提案を告げた。


「そっ!?……そんなことが可能なのですか?」


「可能も何も、本人の希望なのだから嘘の吐きようがないんだよ。今は過労で休養中だけれど、近い内に挨拶に行かせるから、その日からこき使ってくれて構わない。ああ、くれぐれも放置だけはしないようにね。最近、お目付け役から解放されたせいで、色々と箍が外れているかもしれないから」


「は、はあ」


 そうした短い話し合いの後、期待半分と夢心地半分の表情でフレッドが退出した。

 すると、まるでカラクリ仕掛けのように、それまで置物のように沈黙していたセレスが口を開いた。


「フレッドを重用する目的は、テイルへの支援ですか?」


「それも含めて、色々さ。これから騒がしくなっていくだろうテイルとその周囲を守るためにも、冒険者ギルドマスターの協力は不可欠だし、それとは別に冒険者の統制は必須事項だ。そのために、テイルとの面識などの諸条件をクリアしたフレッドをギルドマスターに据える必要があった。まあ、その為に、多少引退が早まってしまったフレッドの先達諸君には、少々の哀れを感じないでもないけれどね」


「もはや、ここはジオ様の国なのです。そのような些事に煩わされる必要はありません」


「そうかい?」


「そうです」


「そうか。では、次に行こうか」


 その言葉と共に、ジオグラルドから小さな小さな溜息がこぼれた。

 それをセレスは見届けて、見ないふりを決め込んだ後、公王付きの側仕えを呼んだ。

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