第172話 ジオとの約束
ジュートノルについたのは、まだ太陽が天辺に到達する前のことだった。
俺の予想をいい意味で裏切った一番の理由は、父親の死から立ち直ったリーナが思いのほか健脚だったからだ。
煌びやかな鎧がなくても、腰の剣がなくても、誰もいない街道を颯爽と歩くリーナに、昨日までの弱さは少しも感じなかった。
むしろ、その後ろを歩く俺が「遅いわよ!」と叱られる始末で、リーナの檄のおかげで何とかくらいついていけたと言えるくらいだ。
それが理由かどうかは知らないけど、いつもなら厳めしい衛兵たちが守る街門は無人で、その代わりに門前の広場には、避難民を受け入れるための天幕が所狭しと建てられていて、その中を衛兵や役人が忙しなく行き交って俺達のことなんか気にしている余裕なんかない感じだった。
そんな門前広場を横目に、路地伝いにジュートノルの街を歩く。
久しぶりに帰ってきて懐かしい気持ちに浸りたいところだけど、今は王都からの避難民を受け入れているせいでちょっとした混乱に見舞われていることは、門前広場の様子で一目瞭然だ。
それに、リーナを知る人と出くわせば問答無用で政庁舎に連れて行かれるのは間違いない。
幸い、リーナも俺の考えに同調してくれたので、大通りは避けて、できるだけ人目につかない路地を選んで、早足で先を急ぐ。
やがて、柱の一本まで記憶している馴染みのある区画に差し掛かり、ついに泣きたくなるくらいに懐かしい建物の前に立った。
「うんしょ、うんしょ」
そんなかわいらしいかけ声が、白いウサギ亭の開け放たれたドアの向こうから聞こえてきた。
ターシャさんだ。
「うんしょ、うんしょ」
そのターシャさんが、こっちに背を向けたまま後ろ歩きで両手に荷物を抱えている。
足取りがどうにも危なっかしく、おもわず駆け寄って背後から荷物を奪ってしまった。
「あ、ごめんねミルズさん。最近は忙しいって言っていたのに、早かったわね」
そう言ったターシャさんが振り返って俺の姿を認めた後、両眼がまんまるに見開かれた。
「テイル、君?」
「ただいまです、ターシャさん」
そう言ったか言わないかの瞬間、持った荷物がずんと重くなって、代わりにターシャさんに抱きつかれてしまった。
「あ、あの……」
「うるさい!ちょっと黙ってて!」
「あ、はい」
服が汚れるとか胸が当たってるとか、塞がっている両手の代わりに言葉でターシャさんを引き剥がそうとしたけど、完全に先手を打たれてしまった。
とりあえずターシャさんのされるがままにするしかないと諦めて、しばらくの間抱き枕の気分を味わう。
――胸の感触には気づかないふりで。
やがて満足したのか、俺の胸にうずめていた顔を上げたターシャさん。
その眼が赤く腫れていることも見て見ぬ振りをしていると、
「……かえり」
「え?」
「お帰りって言ったの!聞こえなくても察してよ、このボクネンジン!!」
「はい、朴念仁ですみません……」
ターシャさんとは思えない理不尽な怒りだけど、ここは甘んじて受けるべきだろう。
これが心の底から思えていたらいい男の証なんだろうけど、生憎俺のは少ない経験から学んだ教訓だ。
まあ、昼営業が始まるまでには収まるだろうと思っていたら、ターシャさんの視線がふいに俺の体を通り越した。
ようやく、リーナの存在に気づいてくれたらしい。
「リーナさん……」
「こんにちは。お久しぶりね。無事に送り届けたわよ――って言いたいけれど、テイルにはずいぶんと助けられたわ。あなたにもお礼を言わないとね」
威厳高だった初登場とは打って変わって、リーナにしては礼儀正しくターシャさんに挨拶している。
あのリーナが随分と大人になったな――ちょっと感心した俺とは真逆の行動を、ターシャさんがとった。
「リーナさん!!」
俺の体から離れたかと思うと押しのけるように通り過ぎていったターシャさんが、一直線にリーナの方へ駆けて、そのままの勢いで強く抱きしめた。
「あ、な、なに?」
「いいの。何も言わなくてもいいの」
「何もって……、私は別に」
「リーナさんとは短い付き合いだけど、悲しい思いをしたことくらい分かるわよ」
「あ……」
「きっと、テイル君がここまでリーナさんを連れて来てくれたんでしょうけど、テイル君はあんなだから手を握るくらいが精一杯。だから、テイル君の足りないところはお姉さんの私が補わなくちゃね。辛かったわね。悲しかったわね。だったら思いっきり泣かなきゃ。泣いて泣いて泣いて、泣いちゃえばいいのよ。大丈夫、泣き止むまで私がずっとこうしてるから」
「う……、うああああああああああああ!!お父様、お父様!!おとうさまあああ!!」
――えええ?つい昨日、俺に大丈夫って言ったあの言葉はなんだったんだ……?
まるで姉妹のようにターシャさんとリーナがが抱き合う光景を見させられながら、一人取り残された俺が呆然としている中、これだけの騒ぎになれば周囲に聞こえないはずもなく、何事かと次々とご近所さんたちが集まってくる。
それでも完全に二人の世界に入り込んでしまった状況をどうしたものかと悩んでいると、いきなり肩を叩かれた。
「ダンさん」
「おう、よく帰ってきたな。俺も感動の再会といきたいところだったんだが、あんなのを見せられちゃ熱もすっかり冷めるってもんだ。お前も似たようなもんだろ?」
「あ、あははは……」
「どうせ、あの女冒険者のお客はうちに泊まるんだろ?どう見たって、この後で他所へ行けるとは思えんからな」
「ですね」
「旅帰りのところ悪いが、ターシャがあれだから人手が足りん。早速ベッドの準備をやっといてくれ」
さっそく雑用係をこき使おうというダンさんに二つ返事で応じようとしたけど、すんでのところで留まった。
ひとつ、大事なことを思い出したからだ。
「すみませんダンさん、仕事に戻る前に、どうしても寄らないといけないところがあるんです」
「やあテイル、帰還の報告ご苦労様。思ったよりは早かったね。それとも、二人の逢瀬としては十分すぎるひとときだったかな?」
「余計なお世話だ」
とりあえず、ジュートノルの中心である政庁舎に行けば会えるだろうと安易に考えた俺の予想はやっぱり浅知恵でしかなかったけど、それでも無駄足というほどでもなかった。
そもそも、今やジュートノルの領主とも言える相手に平民ごときが何をどうすれば面会できるんだ?と政庁舎の門を潜ったところで気づいて愕然となったところで、運良く近くを通りかかったロナルドさんにここまで案内してもらって、今こういう状況になっている。
「それにしても、ジュートノルにこんなところがあったんだな」
「言っておくけれど、僕が購入したものじゃあないよ。前の代官が不正に手を染めて蓄えた財産を精査していく内に見つかった別荘の一つでね。政庁舎から近い上にゆっくりと考え事ができるから重宝しているだけさ」
そう話しながら、別荘の庭に備え付けららた純白のテーブルにつくよう、俺に勧めてくるジオ。
言われるがままにジオの向かいに座り、使用人がお茶を淹れて去って行くのを見届けてから、ジオは再び口を開いた。
「それで、リーナは立ち直れそうかな?」
「さすがに元通りっていうのはまだだろうけど、日常生活に支障はないくらいには大丈夫だと思う」
その時、ジオの顔が不満げに歪んだのを見て、嫌な予感がした。
「うーん……、テイルとただならない関係になれば恋する乙女の力で完全復活してくれるかなと期待してみたけれど、さすがに高望みすぎたかな」
「なっ、なに言ってんだ!?」
「だって、肉体関係にはならなかったんだろう?」
「なるかそんなもん!!」
「でも、全く何もなかったってわけでもないんだろう?そうだな……、たとえばキスとか」
「アホかっ!!お前はアホなのかっ!!」
「おっと、図星だったかい?まあ、リーナの復調は今後に期待するとして、一応は元気になってもらわないと困る理由があるんだよ」
「はあ……?」
下世話な物言いから一転、やや真剣な表情に変えたジオの本心を測りかねていると、
「忘れてしまったとは言わせないよ。今や、我がアドナイ王国は王都をアンデッドに支配され、国王夫妻を反逆者ルイヴラルドに弑逆されて、滅亡の危機に瀕しているんだよ?」
「それは、確かに」
「とは言っても、王国の正当な継承者たる王太子エドルザルドは健在で、王都奪還の軍を興そうと各地に散った貴族達に檄を飛ばしているんだけどね」
「……おい、滅亡の危機でも何でもないじゃないか」
軽く脅されて深刻になった分だけ損したと思っていたら、俺の考えなんて見透かしたようにジオが首を振ってきた。
「というのは、あくまで王太子派の楽観論から来る希望的観測であってね、僕の見立ては大いに異なる」
「異なるって……」
「不死神軍出現から王都撤退に至るまで、王太子派の失態は貴族のみならず、万民に知られるところになった。一言で言えば、面目丸潰れってやつだ。しかも反逆した側も同じ王子となれば、王家の威信が揺らぐのは当然だよ」
「そうは言っても、まだ十日も経っていないだろ。そんなに簡単に崩れるような派閥なのか?」
「今はまだ、王太子派にそれらしい動きはないよ。ただ、長兄が発した不死神軍討伐の檄に対して拒否を表明した勢力は、すでにいくつか存在しているんだ」
「そうなのか?」
「リーナの実家のマクシミリアン公爵家に、テイルとなにかと因縁のある冒険者レオンが養子になったガルドラ公爵家。それと僕だよ」
「なるほどな……って、お前も!?」
「うん。テイルとリーナが帰ってくる直前に、方々に書簡を送ったばかりだよ」
あまりに脈絡がなく唐突な衝撃的事実に、言葉が出ない。
リーナのお父さんを失ったマクシミリアン公爵家や、あのレオンを養子にしたガルドラ公爵家はまだわかる。
だけど、王家から離れたとはいえ、王太子とジオは実の兄弟だ。俺の知識が浅いだけかもしれないけど、普通は兄貴のピンチには弟が駆けつけるものじゃないのか?
「とまあ、ここまでが前置きなわけだけれど」
――前置きが長いぞバカ王子!!
「前置きが長いそバカ王子!!」
「はっはー!残念でしたー!僕はもう王家から籍を抜いたから王子じゃありませーん!公国の公王でーす!」
「くそがっ!!どっちでも変わらないだろ!」
「変わりますー!全然違いますー!」
なにが残念なのか、なにがくそがなのか。
いまいち意味不明で不毛な言い争いがひとしきり続き、やがて疲れ果てて、どっちからでもなく矛を収めたころ、乱れた息を整えたジオが話しを戻した。
「言っただろう、僕には胸に秘めた野望があるって。少々深刻なアクシデントが起きたとはいえ、ひとまずは僕のための国を手に入れることができた。この辺りで、テイルには僕の望みを知っておいてほしいと思ってね。ちなみにこれは、セレスもあずかり知らない秘密だ」
「それで、セレスさんがいないのか」
ジオがあまりにも平然としていたから口にしなかったけど、セレスさんがいないことはずっと気になっていた。
その理由が分かったとはいえ、まだ疑問は残っている。
「なんで、俺なんだ?」
「これも言っただろう?僕の野望にはテイルが不可欠なんだ。それと同時に、これに関してだけはセレスは関われないのさ」
「関わらせない、じゃなくて?」
俺の確認に、ただコクリと首を縦に振るジオ。
その本気の眼差しの中に、これまで見たことがない緊張がある気がした。
――これは、断れないやつだな。
そう覚悟して俺も頷くと、ジオは「その一言」を、自分にも言い聞かせるように、ゆっくりと告げた。
「……マジか?」
「マジもマジ、大真面目だよ。僕はその為だけにほぼ全ての生を捧げている」
「でも、それは……」
「極めて困難なことくらい、百も承知さ。同時に、これだけのことをしでかした割には、実にバカげた企みであることもね。けれど、他に方法が思いつかなかった。災厄の再来は、偶々タイミングが合っただけに過ぎないのさ」
そう自嘲したジオは、改めて俺の眼を見据えた。
「それでテイル、僕の野望に引き続き協力してくれる意思はあるかい?」
「やるよ。俺と、俺の周りの人達を守るには、ジオの協力が必要だからな。ついでに、ジオのことも手伝ってやるよ」
「ははっ、テイルも言うようになったね」
「誰かさんのおかげでな」
そうして、テーブルを挟んで立ちあがった俺達は握手を交わした。
平和の時代なら絶対にありえない、ただの平民と一国の王子が約束を交わした瞬間だった。
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