第170話 帰り着く道 中


 冒険者学校に入った頃のリーナとの出会いを、今でも覚えている。


 といっても、平民とは一線を画した気品と美しさを併せ持つ鮮烈な印象はあくまで一方的なもので、リーナからの第一印象という意味じゃ、俺のことはその他大勢かそれ以下としかその目に映っていなかったと思う。


 それから、紆余曲折あって今の関係にまでなったわけだけど、改めて考えると奇跡が起きたとしか思えない。

 だって、公爵令嬢と、奴隷以下の扱いを受けてきた無戸籍のガキだぜ?

 今だって、時と場合によっては、目が合っただけで護衛に無礼打ちされてもおかしくない。


 俺には、公爵家の責任の重さなんてわからない。

 会って話したのは一度きりだけど、あれだけ思慮深いマクシミリアン公爵なら、いくらだって生き延びようはあったはずだ。

 それなのに、まるで自暴自棄になったように公爵は、アンデッドと戦って死んだ。

 ひょっとしたら、そこには俺からは想像もできなような意味が隠されているかもしれないし、いつかは娘にも伝わるのかもしれない。

 だけど、リーナは今苦しんで、絶望の淵に立たされている。

 親を名乗るなら、自分の子供のフォローくらい死ぬ前にやっておけよと、心底思う。


 ――第一印象で苦手なタイプだと思ったけど、今はっきりと分かった。


 リーナのお父さん。俺、アンタのことが嫌いだよ。






 昼間の街道は、街の中と大差ないくらいに安全だ。

 道はしっかりと舗装され、周囲の草木は程よく刈り取られ、定期的に騎士や冒険者が巡回して魔物を排除している。

 だから、剣一つ帯びていないリーナが無防備に立ち尽くしていたとしても特に心配はいらないんだけど、それでも夕闇が支配する頃から活動を始める魔物も少なくない。

 そして、そんな冒険者としての常識をリーナが分かっていないはずがなく、もしこのまま時が過ぎるのを待っているんだとすると、遠回しな自殺の最中なのかもしれない。


 ――日が暮れないうちにリーナの手を引っ張ってジュートノルまで強引に連れて行くか?

 そんなのはありえない。

 俺が一生リーナを支えてやる!!――なんて言えたら最高に格好いいんだろうけど、今の王都の惨状と、ジオがこれからやろうとしていることを考えたら、例えその場しのぎでも甘いことを言っていられる状況じゃない。

 なにより、他人に寄り掛かりきりの人生を送るリーナなんてリーナじゃないし、そんな未来は想像もつかない。

 まさに住む世界の違う二人ってわけだ。


 思えば、再会した頃のリーナも、俺への言葉が見つからないって感じだった。

 正確には、高ランク冒険者という上位者をかさに着た、高圧的で義務的な言葉ばかりだったと思う。

 あれが本心じゃないと確信したのは、ソルジャーアントの大軍を撃退して生活が落ち着いてからだ。

 悔恨と謝罪に満ちたあの夜のリーナのことは、今でもはっきりと覚えている。

 身を切られるように苦しみながら、それでもリーナは言葉を紡いで思いを伝えてくれた。


 それなら、うまく言葉にはできなくても、たとえ心に届かなくても、リーナに思いを伝えなくちゃいけない。


 ――というわけで、さっそく実行に移してみた。


「よっと」


「きゃあああああああああ!!なになになんなの!?なにが起きているの!?」


「なにって、お姫様抱っこだけど」


「そうじゃあなくって!!なんで私がテイルにお姫様抱っこされているのっ!?」


「そんなに驚くことか?ついこの間、セレスさんもティアも抱っこしたけど、特に文句は言われなかったぞ?」


「……ちょっと待って。今なんて言ったの?」


「さあ?何のことでしょうかお嬢様?」


「と、とにかく、お、降ろして……」


 なぜかは分からないけど、弱々しいリーナの声が一変し、一瞬だけセレスさんの氷の魔法剣よりも冷たい切れ味で俺の耳をかすっていった気がした。

 すぐに気のせいの振りをしたおかげか、それともただの幻聴だったのか、両腕で俺の体を押しのけようとするけど、戦士の上位ジョブの恩恵を受けているとは思えないほどに、力なく俺の胸の中でもがくだけだ。

 それに、セレスさんやティアのように必要に迫られでもしない限り、こんなこっぱずかしい真似をずっとする気はない。


「ほら、降ろしたぞ」


「あ……、う、うん」


 ゆっくりとした動作で向かったのは、街道の脇にある小高い丘。

 家一軒分くらいの面積で、その半分くらいの高さの天辺にリーナを降ろして、その隣りに俺も座り込む。


「あんなところにいつまでも突っ立っていたら、馬車に轢かれるかもしれないからな。動けないって言っていたところ悪いとは思ったけど、このくらいは誤差の範囲内だと思って許してくれ」


「それは、その、構わないんだけれど……」


 相変わらず、調子が狂うくらいに言葉数が少なくなったリーナだけど、その眼は口以上に「どうして?」みたいな感じで、俺への疑問で満ちていた。


「まあ、ちょっと違うかもしれないけど、分かるからな」


 そう、リーナの方を見ずに言う。

 目を合わせられないのは、ただ単に自分の忘れたい記憶を無理やり掘り起こしているから、ちょっと気まずいだけだ。


「自分の環境が激変して、八方ふさがりになって、その思いをどこにもぶつけられずに何もできなくなってしまう気持ち」


 ちょうど、ターシャさんと一時的に離れ離れになった頃の俺がそうだった。

 あの時、俺が欲しくてたまらなかったもの。

 それが手に入る前、もっと言えば本格的に絶望してどうしようもなくなる前にあの事件が起きてしまったから、結局は叶うことのなかった望み。


「だったら、一度立ち止まればいい。幸か不幸か、今はそういうことができるくらいの余裕があるし、ジュートノルにまだ帰りたくないなら俺が付き添ってやれる」


 ジュートノルに帰れば、王都とは違うリーナの日常が待っている。

 そこで悲しみを忘れるくらいに動きまくれば、もしくはジオの情けにすがって少しの間だけ休めば、悲しみも薄れるのかもしれない。

 だけど、リーナはここで立ち止まった。

 その理由は、たまたま俺がここで追いついて、セレスさんの配慮で二人きりになって、人の目を気にする必要がなくなったからかもしれないけど、リーナの心がここで折れたのは事実だ。

 だったら、ここで一度止まってみるのも悪くない。


「まあ、そんなわけで、ジュートノルに帰るのをちょっと遅らせないか?」


 なにがそんなわけなのか我ながらちょっと意味不明なところはあったけど、横目に見たリーナは微かに、でも確かに首を縦に振ってみせた。

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