第169話 帰り着く道 上
「いやいやテイル、僕が言えた義理じゃあないけれど、何もそこまでしなくてもいいんじゃあないかな?どの道、ジュートノルで合流できるんだし」
そんなジオの気遣いを丁重に断って、スピードスタイルで昼夜を問わずにひた走る。
もちろん体調は万全じゃなく、加えてパワースタイルの全力攻撃でスタミナはごっそり削られている。
それでも、病人といっても差し支えないティアやリーナを運んでいる馬車のスピードを考えると、ジュートノルにつく前に十分に追いつけると踏んでの単独行だ。
今考えると、行きは馬車に乗りっぱなしでほとんど徒歩移動がなかったことを考えに入れていなかったという、人としてどうかというレベルの計算ミスをやらかしてしまっていた。
それでもどうにかこうにか、ペース配分をやり繰りして、魔物とのエンカウントをできるだけ避けて走った結果、神様の加護があったのかなかったのか、俺の理想通りならぬ妄想通りのタイミングで、休憩中の先発組に追い付くことができた。
「テイル?どうしてここへ……いえ、その様子を見れば、おおよそのことは察しがつきます。なので、一つだけ訊きます。ジオ様の方は首尾よくいったのですね?」
「はあ、はあ……、はい。橋の破壊はうまく行きました。ジオも無事です」
「……わかりました。それではテイル、リーナ様のことをよろしくお願いします。もはやジュートノルも目前ですから、リーナ様とゆっくい歩いて外の風に当たらせるのもいい気分転換になるでしょう」
息を弾ませる俺に、相変わらず察しが良すぎる頭でこっちの意図を理解してくれたセレスさん。
休憩を終えて出発する慌ただしさの中、隊列からリーナを連れて来ると、「では後ほど」の一言だけで行ってしまった。
――後ろ姿がいつもよりほんの少し弾んで見えたのは、ジオの無事を聞いたせいだろうな。
それはそれとして、まずは目の前のことだ。
「テイル……?」
リーナの変わり様は、儚げな声を聞くまでもなかった。
大貴族のご令嬢というほどではないけど、それなりの身分だと分かる上等な装い。
そこに、いつものレイピアのように一本芯の通ったオーラは見る影もなく、朽ちかけの枯草もかくやというくらいの立ち姿だ。
とはいえ、この状況を予想してどんな話をしようかとここまであれこれ考えては来たけど、触れれば折れてしまいそうな儚げな彼女に、どんな励ましも効きそうにないと諦める。
「とりあえず、行こうか」
「……うん」
結局、気の利いたことは何も言えないまま、残り僅かになったジュートノルへの道を歩き始めた。
どれだけ話題が見つからなくても、人っていうのは沈黙に耐えられない生き物らしい。
そんな真理を心底実感するのに時間はかからず、百歩くらい進んだあたりで早くも気まずさを感じるようになっていた。
――ヤバい、とにかく何か話さないと。
焦ったところで元からゼロだった頭からなにかを絞り出せるわけもなく、とりあえずティアとの王都脱出行の一部始終でも語って聞かせようかと血迷い始めたころ、俺のものじゃないかすれた声が耳を打った。
「私ね、お父様だけは何があっても大丈夫だと思っていたの」
性も根も尽き果てたといった風のリーナの声色。
そこには、肉親を亡くした悲しみと苦しみというよりも、未だに現実を受け入れられない、ある意味で妄想の中に生きているような虚ろさがあった。
「蝙蝠公爵、裏切り者、アドナイ貴族の面汚し。ジオ様からエドルザルド殿下に乗り換えたお父様はもちろん、まだ子供だった私やお兄様ですら、そんな陰口を毎日のように叩かれていたわ。そしてそれは、マクシミリアン公爵家が王太子派の中軸を担うにつれて、日増しにひどくなっていったわ」
リーナの独白に応える術を、俺は持たない。
貴族家どころかまともな家族を持ったことのない俺にとって、あまりにも遠すぎる世界の話だったからだ。
その反面、リーナが返事を求めて過去の苦い記憶を語っているわけでもないこともわかる。
「でも、お父様は少しも揺るがなかった。私の知る限りじゃ、変節したはずなのに家の中では少しも変わらなかった。むしろ、変わったのは私の方だった。お父様に反感を持ちながらも次期当主として振舞い始めたお兄様のようにはなれないと思って、家も貴族令嬢の身分も捨てて冒険者になる道を選んだの」
訥々と語るリーナに、言葉ほどのよそよそしさはない。
それが親子の情というものなのかは俺には分からないけど、それでも十分に親しい人への思いが籠っている気がする。
「最初の頃は、いつも口うるさいお兄様やわずらわしい見合い話から解放された上に、好きに剣を振るえて本当に楽しかった。けれど、そんな冒険者生活すら、お父様にお膳立てしてもらった結果だったと知ったのは、ずいぶん後のことだったわ。それまでは考えもしなかったのよ。ランクが低くて報酬が少なかったり、装備を整えるために借金したり、今日の宿にも事欠く冒険者が存在するなんて」
リーナがジュートノルに来た頃には、すでにレオン達冒険者学校のエリート組と一緒にいたし、ジュートノルでの住居も立派なところだった。
今思えば、それらもマクシミリアン公爵が手を回した結果だったんだろうと推測できる。
もちろん実力もあったけど、リーナの服装や装備は、並の冒険者じゃ逆立ちしたって揃えられない高級品ばかりだった。
そこに冒険者という危険な仕事についた娘に対する、公爵の親心が込められていたんだとすれば、こんなに歪な愛情もそうはないだろう。
「自分で掴み取ったと思い込んでいたものが、実はきれいに舗装された道の上を歩いているだけだと知った時、私がどうしたと思う?」
「どうって……、俺の知る限りじゃ、リーナがリーナらしくなかったことなんか、一度もなかったと思うけどな」
突然話を振られて、記憶を探り探りにしどろもどろに返してしまう。
いつもなら、「なに言っているのよ!」って感じのお叱りの言葉と共に、威勢よく否定してくるに違いない。
だけどリーナは、これまでと同じく力なく笑うだけだった。
「そう、私はお父様のお節介を拒むことができなかったの。自分から冒険者になりたいと家を出たんだから、どんな厳しい境遇にも甘んじる覚悟はあったわ。けれど、貴族の令嬢としての義務も果たさずに勝手なことをしている私を、それでも許してくださるお父様から嫌われることだけはどうしても怖かった」
――そういうことか。
ここに来て、ようやくリーナの本心に触れた気がした。
もちろん、全てを理解したと言うつもりはない。
父親という絶対的な庇護者を亡くしたリーナだけど、失ったものは単にそれだけじゃなかったってことだ。
「お父様が戦死したと聞かされて、誰よりも悲しまないといけないはずなのに、それよりも私は怖かった。今の生活も、帰る場所も、冒険者としての自信も無くした気がして。ねえテイル、私、これからどこに行けばいいの?」
その言葉と同時に、リーナが立ち止まった。
まるでここから一歩も動けないと主張するように、その両足がもう一度踏み出す気配は微塵も感じられなかった。
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