第167話 さらば王都


「伝令!エルゼーティア姫殿下とその他一名をゼルディウス副団長が保護!現在こちらに護送中です!」


「ご苦労様です。二人への措置が一段落したら、また報告を」


「はっ!失礼いたします」


 軍人らしい機敏な敬礼で去って行った騎士を見送った直後、ジオグラルドの肩から緊張が抜ける様子をセレスは認めた。


「やれやれ、一時はどうなることかとずいぶんと気を揉んだけれど、これで大方の山場は超えたことになるのかな?」


「はい。エルゼーティア姫殿下が行方知れずとなってしまっていたことに関しては、完全に私の落ち度です。この罰は事が一段落した後で、いかようにも」


「君のせいじゃないよ、セレス。いや、君だけのせいじゃないよ、と言った方が、この場合は正しくなるのかもね」


 ジオグラルドの言わんとするところを、セレスも気づいていた。

 言葉とは裏腹に、ジオグラルド自身にも苦渋の色が混じっていたからだ。


「王宮、貴族、騎士団。約五千年の歴史を誇るアドナイ王国とあろうものが、王家直系の血筋の保護に誰一人として関心を寄せなかったなど、どう言い繕っても繕いようのない大失態だ。この一事だけをとっても、王国の凋落は免れない」


「ですが、姫殿下を保護するということは、その者の実力次第では、正当な王家の継承者を名乗ることすら可能としてしまう可能性を秘めています。たとえ貴族や騎士の頭に姫殿下の安否がよぎったとしても、迂闊に手を出せなかったのではないでしょうか?」


「その結果が、ティアの孤立と行方不明という結果だ。結局のところ、僕も含めてみんなが見て見ぬ振りをしていたのさ。どうせ、長兄の命を受けた近衛騎士団あたりが厄介者の姫を保護して適当な場所に匿うだろう、ってね」


 王家批判ともとれるジオグラルドの辛らつな言葉に、セレスも身のすくむような思いだったが、その矛先が他ならぬジオグラルド自身に向けられていることを確信していた。

 一国の王子としては明らかに身近な者に甘すぎる嫌いのあるジオグラルドだが、それこそが女だてらに王国屈指の騎士と謳われたセレスが仕える理由であり、自分が補う愛すべき欠点だと思っていた。


「ですが、ジオ様が仰られたことは、そのまま多くの貴族や騎士の認識と一致すると思われます。正式な王位継承こそまだですが、陛下亡き今、実質的な王国の支配権がエドルザルド殿下にあることは明白です。エルゼーティア姫殿下の保護を履行する義務を怠ったという批判を受ければ、王太子殿下派の貴族達は離反することでしょう」


 セレスはそこで言葉を切った。

 その批判を行うのに最も適した人物を一人挙げるとすれば、それは実の弟であるジオグラルドに絞られるからだ。

 今回の叛乱の中で立ち上げる公国に、王太子の元から離反した貴族達を加えれば、ジオグラルドの野望の一助になることは間違いない。

 元々兄弟の情など皆無に等しいエドルザルドとの関係を考えれば、最も低コストで国力を高められる名案だと言ってもいい。

 だが、ジオグラルドの次の言葉も、セレスには分かっていた。


「却下。却下だよ、セレス。そんな生臭いやり方で僕の国を造り上げることを、僕は容認しない」


「生ごみの匂いが気になるのでしたら、利用価値がなくなった時点で廃棄すればいいだけの話ですが」


 必要なら自分が始末する。

 そういう意味も込めたセレスの提案だったが、これはただの確認作業に過ぎない。


「彼らは僕が構築する新たな秩序には必要のないものだよ。もちろん、一時的な利用価値を認めないわけじゃあないけれど、彼らを取り込んだり切り捨てたりといった、面倒事にかか患っている暇が、僕にはない。哀れだとは思うけれど、王太子派の諸君は自力で過酷な時代に立ち向かってもらうとしよう」


 そう。

 別にジオグラルドが声を上げずとも、エドルザルドがエルゼーティアを見捨てたという事実は変わらない。

 危険を冒してエルゼーティアを救出したジオグラルドの評価が上がることはあっても、エドルザルドの失点は決して取り返せない。


 実の妹を気遣う素振りすら見せなかった薄情な王太子。

 この不名誉は、エドルザルドに生涯付きまとうことになる。

 そして、そのような不名誉こそが、王族の凋落に最も有効に働くのは歴史が証明している。

 権威の根拠たる王都を離れたことも考慮すれば、王太子派が著しく弱体化する未来は確定していた。


「少し、外の空気に当たろうか」


 そう言って、部屋を出るジオグラルドに、セレスが付き従う。

 エルゼーティアを救出した以上、すでに南門に留まる理由はどこにもなく、楼内で守備の指揮を担っていた人員は撤退の準備でほとんどが出払っていた。

 ほぼ無人の楼の通路を抜けてバルコニーに出たジオグラルドが、茫洋と戦火の王都を眺めている様子を見守るセレス。

 もしもどこからか矢や魔法が飛んでくれば即座に身を挺するつもりだが、あえて主を下がらせることはしない。

 ジオグラルドにとってこれが王都との今生の別れになることは、セレスには痛いほどに理解できたからだ。


「……大して楽しい思い出もないと思っていたけれど、こうしてみるとやっぱり物悲しいものだね」


「ジオ様がそのような気持ちになったのでしたら、臣として不徳の致すところです」


「いいさ、これもアドナイ王国の宿命だったんだろう。今も王都の内外で逃げ惑っている民にとってはこんな理不尽はないんだろうけれど、建国時から続く呪いが顕在化しただけの話だ。せめて、一人でも多くの命が助かることを祈るとしようか」


 建物という建物が破壊され、無数に上がる煙が青空を覆いつくしている。

 もはやそこに白都と呼ばれた美しい景色は存在せず、全てを汚れた灰色が支配している。

 それでも、ジオグラルドは王都との別れを思って少しの間瞑目し、セレスも従った。


 やがて、目を開いたジオグラルドはさっぱりとした表情で振り向き、言った。


「さて、あとは見事王都から撤退して、ジュートノルに帰るだけだ。できれば一兵の損害も出さずに行きたいものだね」


「相手は機動力に劣るアンデッドです。よほど進軍に手間取らなければ、そう難しいことではないかと」


 最大の山場を越えたことで、楽観的な空気で会話する主従。

 実際、撤退の諸々は、完全に烈火騎士団と冒険者達の領分なので、ジオグラルドが口を出す必要はどこにもない。

 また、少数精鋭を旨として集めた面々なだけに、その手際に疑いを持つ余地は微塵もなかった。


 だが、どんなことにも不測の事態は起こるものである。

 それはエルゼーティア救出で終わったとジオグラルドとセレスは思っていたが、アクシデントが一つで済むという事実はどこにも存在しない。


「それにしてもセレス、よくあの問題をクリアできたものだね。僕としてはなにかしらの手間がかかるものだと思っていたけれど、こうもあっさり解決するとは思ってもみなかったよ」


「……何のことでしょうか?ジオ様からの指示は全て滞りなく完遂したと思っていたのですが」


「おっと、とぼけるほどの余裕があるのかい?もちろん、かつてドワーフの集落があった、あの橋の問題だよ。あそこは残されていたドワーフの技術を流用したことで、簡単には破壊できない仕組みになっているじゃあないか。平時は落橋の恐れがないことこの上ないけれど、有事に敵の進軍の助けになる危惧があって、喫緊の課題だったじゃあないか」


「……恐れながら、ジオ様からそのような相談を受けた記憶がないのですが」


「え?」


「もちろん、私も橋の問題は認識していましたが、てっきりジオ様がすでに手を回したものとばかり……」


「え……?」


 最後の最後に、大きな問題が残されていたと、ようやく気付いた主従だった。

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