第166話 ソレの話とジオの話
ああ、これは本当に死んだな。
そう思うしかないくらいに、自分という存在があやふやだった。
足元は頼りなく、体の重みがまるで感じられず、鋭敏になっているはずの五感も確かな情報を何一つ拾っていない。
そんな中で、弱々しい鼓動と、身につけた黒のライトアーマーと剣を握る肌の感覚だけが、俺という存在を辛うじて証明していた。
「やあ、僕の眷属。悪いけどちょっと待っていてほしい。先約があるんでね」
もう一つ増えた。
それはまるで馴染みがないけど、初めて聞いた場所が場所なだけに忘れようとしても忘れられない声。
自分のことをノービス神と名乗った「ソレ」の姿が、いつの間にかにそこにあった。
――いや、違う。もう一人、いる?ある?
ソレとの距離はそんなに離れていない。
それでもよく目を凝らさないと焦点を合わせられない、まるで無意識のうちに見ることを拒絶しているような、不思議な感覚。
やがて、もう一人が俺やソレよりもはるかに大きな体をしていることに気づいた。
筋骨隆々の雲を衝くような巨体に、どれだけの重さがあるか想像もつかない全身鎧。
その鎧に匹敵するようなサイズの大剣を背負っているのに、その立ち姿はちっともブレない。
まさに歩く鋼の城。
その顔を見ようと視線を上げようとして――失敗した。
身体が、心が、魂が、その顔を直視することを全力で阻止していた。
――今わかった。ずっと感じていた居心地の悪さは、すぐにでもここから逃げ出したいって心のどこかで思っていたせいだ。
ソレと鋼の城が会話している。
といっても、ソレが上を向いて口を動かしているのが分かるだけで、二人の声は何も聞こえてこない。
それでも、ソレとの距離感とか表情とかで、かなり親しそうな雰囲気を感じた。
やがて、ソレの肩に巨大な手が置かれた後、鋼の城は大股で去って行った。
「な、なんだったんだ、いったい……」
全身にのしかかっていたプレッシャーから解放された反動で、つい独り言をつぶやく。
特に誰からのリアクションも期待していなかった一言は、しかしソレによって真正面から受け止められた。
「ああ、彼は戦士神だよ。ちょっとテイル君のことが気にかかったらしくて、僕に話を聞きに来たんだよ」
「せ、戦士神?」
聞き間違いであってほしいとか、そもそも会話に興じている場合じゃないとか、そんな理屈をすっ飛ばして反応してしまう。
果たしてソレは、思った通りに一番聞きたくない返事をしてきた。
「ああ、人族にとって最も尊敬を集める一柱の一角、四神教の崇拝対象の戦士神だよ。そして、エンシェントノービスのパワースタイルの力の源でもある」
「は……?」
「今回は本当に限界まで頑張ったようだね、テイル君。久しぶりに自分の加護が何度も使われて、戦士神も喜んでいたよ。これからもこの調子で力を示してくれとの、彼からの伝言だ」
「あ、ああ」
――そんなことを言われても。
どういうわけかその戦士神の顔を見ることができなかったし、そもそも喜ばせるつもりで戦っていたわけじゃない。
一体なにが戦士神の琴線に触れたのか分からない以上、下手に返事するわけにもいかない。
なにしろ相手は神なんだから。
「それにしても、テイル君は恵まれているね」
「何のことだ?」
唐突に話題を変えてきたソレの思考なんてやっぱり読めるはずもないけど、なぜかこの時だけは分かった。
今の俺に恵まれているものがあるとすれば、ただ一つだけ。
周りの人達だろう。
「特に、あのジオグラルドはいいよね。ある意味でテイル君よりも、僕の望みを叶えようとしている。資格さえあれば、彼はエンシェントノービスの才適格者だったかもしれない」
「だったら、ジオにもくれてやればいいじゃないか。どうもあいつはお前のことを敬っているみたいだし、神様としては悪い気はしないだろ?加護の一つや二つ、与えてやればいいじゃないか」
加護をくれたことには感謝している。
だけど、何となくソレのことを敬う気にはなれず、例え天罰が下ってもこんな口調を変えられそうにないし、
ソレの方も気にした風を一切見せてこない。
だからそんなセリフを気安く口にしてしまったわけだけど、それから返ってきた言葉は意外なものだった。
「それは不可能だ。彼らは人族を統べるために、多大な代償を払っている。彼らの始祖は自らその道を選び、末裔たるジオグラルドも受け入れている。僕ごときではどうしようもない、絶対の理で決められているんだよ」
「代償?理?何を言っているんだ?」
「おっと、そろそろ時間のようだ。まあ、この領域を設けた彼がいなくなったんだ、当然の成り行きか」
まだまだ聞きたいことは山ほどあるのに、ソレの言葉通りに意識が元の世界に引き戻され始めているのを感じた。
「今回はイレギュラーな遭遇だったわけだけど、前回言った通り、再びあの場所で会えることを心待ちにしているよ。諸々の疑問はその時にね」
偶然なのか故意なのか、ソレは一方的な口上を言うだけ言って、俺に反論の余地を与えずにその空間は閉じてしまい、再びの漆黒が全てを支配した。
「やあ、起きたようだね、テイル」
口調以外は似ているようで全く似ていない、ジオの声で目が覚めた。
開いたばかりの眼で見まわすと、行きに使ったジオの馬車の中、業かなソファの上に寝ていることはすぐに分かった。
そのまま起き上がろうとして、
「ぐっ……!?」
「ああ、そのままそのまま。傷の治癒と呪いの解除は一通り済んでいるらしいけれど、絶対安静の体だよ。今は無理は禁物だ」
一応は俺のことを案じてくれているジオの言葉。
だけど、その短いセリフの中で出てきたいくつかの不穏な単語が、もう一度このソファに寝そべることを許してくれそうにない。
「ぐぐっ……」
「ああ、そんなに無理をするとまた傷口が――って言っても聞かないか。わかるよ。このひ弱極まりない肉体の持ち主である僕でも、同じ行動に出ただろうからね」
「ティアは、無事か?」
「無事だよ。色々と注釈は付くけれどね」
「話せ」
持って回った言い方が口癖のジオ。
いい加減慣れたつもりだったけど、今回だけは気に障った。
いつもなら少しは気にしているジオとの身分差とか世間体をかなぐり捨てて、一言質す。
もちろん、これ以上はぐらかすつもりなら実力行使も辞さない。
リーナやセレスさんが止めてもだ。
「いいよ。本当はあまりこういうことをしている場合でもないのだけれど、非常時こそ意思の疎通を密にしなければならないというのが僕の持論だ。テイルが納得するまで説明するとしよう」
もちろん、と言ったらちょっと傲慢が過ぎるけど、異変を感じていないわけじゃない。
なぜか馬車は止まったまま。
強化された聴覚が微かに捉える戦場の音。
そして何より、いつもジオに付き従って片時も離れないはずのセレスさんがいない。
それでも、ジオの話を聞くべきだと思った。
そしてジオは話を始めた。
俺が気を失っている間に起きた出来事を。
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