第164話 脱出行 中


 走る。


 行きよりもさらに増えた瓦礫に足を取られないように。

 ロープと左手で保持したティアを感じながら。

 焦らず確実に。僅かな遅滞も許さずに。


 右の路地から幽鬼の気配を漂わせた鎧姿が現れる。

 こっちに向く顔目掛けてイグニッション。仰向けに倒れながら後続を巻き込むところまで見届けて目線を切る。


 気配を感じて振り向くと、上空から氷の矢の雨。

 腰のポーチから魔石を取り出す。時間の許す限り魔力を込めて投擲。

 目標と重なり合った瞬間に着火。爆発で氷の矢は霧散、またはあらぬ方向へ飛んでいくのを見届けまた駆け出す。


 ティアの様子を見る。

 苦しい姿勢にも文句ひとつ言わず、ぎゅっと目を瞑って耐えてくれている。

 復路を切り抜けるだけじゃ何の意味もない。五体満足で連れ帰ってこそのこの戦いだ。

 固定したロープと左腕の感触をもう一度確認して、前を向く。


 全魔力のうち一割を竜巻に使って、残りは二割。

 これで南門までたどり着く。


 俺はもちろん、万が一ティアが負傷した時のファーストエイドの必要性。そしてスタイルチェンジのコストを考えると、攻撃に割ける魔力はもうほとんどない。

 もはや、往路のような戦い方すらできない。

 強引でも無理やり前をこじ開けて、最速最短で駆け抜けるしかない。


 ――だというのに、目の前の十字路の左右から現れたのは、大楯を標準装備した死霊騎士の部隊。


 もしあれで大通りを封鎖されて、さらに後列から矢や魔法の雨が飛んで来たら手も足も出ない。


 塞がりつつある前をすり抜けるのは無理だと判断、パワースタイルにチェンジして右手と脇で大剣を固定して、雄たけびを上げながら突き進む。


 乾いた金属音。そして肉のひしゃげる音。


 接触の直前、腰から回した右から左への大振りで不細工な斬撃は、封鎖に専念していて対応という概念を忘れ去った死霊騎士の一体に直撃。右側の仲間を巻き込みながら連鎖的に横倒しに倒れていった。


 大楯部隊の一角が崩れたのを確認する暇すら惜しく、危険を承知でその場でスピードスタイルにチェンジ、左前方に飛んでそのまま全力で走り出した。


 直後、背中に焼けた杭を突っ込まれたような痛みと熱さを感じた。


「テイル?」


「大丈夫だ、何でもない」


 背中からの軽い衝撃が伝わったんだろう、ティアが不安そうな声を出すのをなだめる。

 直後、大きめの瓦礫の影から匍匐前進で這い出してきたアンデッドの頭に蹴りを入れつつ、体の動きに支障がないか確認する。


 ――よし、いける。


 もちろん背中は痛む。

 だけど、傷口の感覚からして出血は少なさそうだし、腕も足もちゃんと振れている。

 背中に受けたのが矢なのか魔法なのかは今は知りようがないから、無視する。


 と、新たに左の道から現れた死霊騎士に、着火済みの魔石を下手で放り投げて頭を爆砕。

 その直前にポーチの中をまさぐった感触で、魔石の在庫が尽きたことを知る。


 ――その事実に動揺したのかもしれない。


 視界情報の端にそれを捉えた時には反射的に叫んでしまっていた。


「イグニッション!!」


 そんな知能があるはずもないのになぜか屋根から飛び降りてきたのは、槍を逆手に構えた三体のアンデッド。

 王都の衛兵ら色素の装備を見れば明らかにオーバーキルなのに、意識のちょっとしたスキを突かれた俺は特大の着火魔法で哀れな三人の衛兵をバラバラに吹き飛ばしてしまっていた。


 これで、残存魔力は一割。


 なぜせいぜい徘徊くらいが関の山のアンデッドが屋根の上からの奇襲なんて真似に出られたのか?

 なぜ俺はろくに確認もしないで魔法を放ってしまったのか?

 疑問と後悔は尽きないけど、色々な意味で振り返っている余裕はない。


 だけど片方の謎は、目の前に現れた敵が三体のアンデッドに命じたんだと、直感的に分かってしまった。


 オオオオオオオオオオオオ


 そのただならないオーラは、まさに一目瞭然。

 これまで二度と目にしたくないくらいの数えきれないアンデッドを目にしてきたけど、こいつから感じるのは死の気配だけじゃない。

 あのジェネラルオーガにも似た、強者のオーラだ。


 ――逃げたい。すぐに回れ右して、少しでもこいつから距離を取りたい。


 手にしているのは、年代物の古びた剣一本だけ。名剣ではあっても聖剣魔剣の類じゃなさそうだ。

 だけどわかる。あの決して長くはない間合いの内側に不用意に入ったら、ライトアーマーごと一刀両断される確と、五感が全力で訴えている。

 まるで屋敷に飾られている骨董品のような鎧の中に、俺なんかじゃ想像もつかないような修練の結晶が隠されているんだ。

 アンデッドの上位種、死霊騎士のさらに上。

 やつこそが、冒険者学校の蔵書で名前を目にしただけの伝説級の魔物、デスジェネラルなのかもしれない。


 その思考にかかった時間は、たぶんわずか。

 それだけで焦れたのかどうか、デスジェネラルが一歩を踏み出した。


 とにかく間合いを。

 そう思って、すり足でデスジェネラルとの距離を元に戻そうと体を捻った瞬間、左半身にかかる重みを思い出した。


 ――ダメだ。ここで一歩でも引き下がったら、きっと南門までたどり着けず、生き残れない。

 物理的には、たかが一歩の距離。

 だけど、心が折れたら前に進む意思を見失ってしまう。


 やるしかない。


『使用者の気力限界突破を確認、ギガライゼーション第一展開』


 発動したのはジェネラルオーガの時と同じギガンティックシリーズの真の力を発揮する機能。

 あの時と違うのは、今の俺がスピードスタイルでいること。


 黒光とともに下半身を中心とした装甲が増加、さらなる力が足にみなぎる。


 黒のショートソードも変化、突撃槍になって重みが増す。


 その一方でガントレットなどのその他の装備が消失、もはや鎧とは呼べない姿になっている。


 そして何より、いまにも爆発して空の果てまで飛んで行ってしまいそうな高揚感。

 もし今軽くジャンプしたら、二度と地上に戻ってこられないような不安すら覚える。


 だけど、その一歩が致命的。

 ギガライゼーションの結果、残存魔力は残りわずか。

 きっとこの突撃で、それすらも尽きる。


 慣れない槍を振り回せるほど器用じゃないことは、自分が一番よく分かっている。

 狙うはただ一つ。脇と右手で固定した突撃でデスジェネラルの心臓を貫く――


 トッ


 地を蹴った刹那、視界が無数の色とりどりの線になった。


 急激な加速で視界が追い付かない状況にパニックになりそうになりながら、できる限り優しく、そして絶対に離さないようにティアを支えながら、唯一確かに見えるデスジェネラルを捉える。


 シュピッ      ドオオオオオオン!!


 次に見たのは、胸当てごと貫通して、それでも勢いが止まらずに大通りのはるか前まで吹き飛んで小さくなっていく、ほとんど左腕がちぎれたデスジェネラルの姿。

 そして、ティアの頭を掠めて俺の左首をかすって赤い直線を描くだけで空しく遠ざかっていった、古の名剣。


 ――ティアは……、気絶はしているけど、息はしている。よかった。


 本音を言えば、俺もティアと同じように気絶してしまいたい。

 魔力はファーストエイド一つ発動できないくらいに使い切ってしまったし、これまでなんか目じゃないくらいの急加速と急制動のおかげで、内臓という内臓がひっくり返っている気分だ。


 すでにスピードスタイルも解除されてしまっている。

 もし今死霊騎士の部隊に捕まったら……


 ――いや、今はそれはいい。とにかく、前に進むんだ。

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