第157話 レナートの言い訳


「行け、テイル!!」


 ――おおう、やっぱ早えな。あいつのスピードスタイルの性能は知ってるつもりだが、そう言えばトップスピードはまだ見たことなかったかもな。

 いくら広い庭とはいえ、まさか第三王子宮で爆走してくれとはテイルにもそれ以外にも頼めんかったしな。


 ……行ったか。行ったよな?

 さすがにこれだけ時間が経てば、戻ってくることはないと思うが。

 よし、行ったことにしよう。


 ――っぷはあああああああああああああああっ!!つっっかれた!!


 ……ふう、さてさて、禁じ手まで出した効果のほどは如何ほどかね。


 あー、ダメだ、最高記録の八割くらいしか届いてねえな。

 やっぱ、グランドマスターなんて面倒事、引き受けるんじゃなかったかね。

 毎日毎日書類の山と格闘させるくせに、本当に必要なのはガラの悪い冒険者どもを黙らせるだけの腕力だっていうんだから、こんだけ表面と中身が伴ってない役職もそうそう無い。

 だったら少しは錆落としの余裕も寄こせってんだ。

 おかげで禁技を一回使っただけで、こうして地べたに這いつくばらんといかんわけだ。


 ――っと、ようやく来たか。


「いくら陽気になってきたからといってそんなところで寝ていると、すぐに風邪をひいてしまいますよ、グランドマスター」


「テレザか。遅かったな、こっちはもうあらかた終わっちまったぜ」


 俺の顔を照らす太陽を遮るように現れたのは、高位の聖職者のアークプリーストにして我が優秀な秘書のテレザ。

 遠くに聞こえる、規律正しい衣擦れと足音から察するに、予定していた冒険者ギルド所属の治癒術士部隊を引っ張ってきたらしい。


「終わったじゃないわよ。こっちは冒険者ギルドの撤収と関係各所との調整に走り回っていたっていうのに、貴方は書置き一つ残して勝手に出て行っちゃうし」


「悪い悪い、ただでさえ七面倒くさいのに、王都から逃げ出そうと切羽詰まったお貴族様の相手なんか、まっぴらごめんだったんだよ」


「せめて言い訳くらい本音を隠しなさいよ、はあ……」


「やめろやめろ。そんな憂鬱そうな顔を誰かに見られてみろ、お前に見惚れたことが原因で逃げ遅れる男どもが続出するぞ」


 ため息をつく姿すら美しいと言われる、テレザ。

 その美貌と人当たりの良さ、そして実務能力の高さから、『ギルドの黒幕』とか『真のグランドマスター』とか呼ばれてるともっぱらの噂だ。

 一番知られちゃならないはずの俺の耳にすら入ってるんだから間違いない。

 正直、テレザが俺の秘書じゃなかったら――あの時冒険者になりたてのこいつと出会ってなかったら、俺は今こうしてないと断言できる。


「それでグランドマスター、貴方の方はどうなの?って、聞くまでもなかったのよね」


「ああ。南門防衛に、そこそこのアンデッド討伐の実績、ついでに俺のダメ押しで味方への援護も十分。こんだけやりゃあ、さすがに文句を言う奴はいないだろ」


「まったく。王都の一部をカバーできるだけの広範囲かつ強力な魔法剣、加えて家屋と石畳にほとんど傷をつけない繊細さを併せ持つなんて離れ業。これほどのことができるのに極度の面倒臭がり屋なんて、神の悪戯としか言いようがないわ」


「いいんだよ、若い頃にこれでもかっていうくらいに頑張ったんだから。後は若い奴らに任せて、俺は悠々自適に暮らすのが夢なんだよ」


「だから、彼も行かせたっていうの?」


 ん、声のトーンがちょっと変わったな。

 ――ああやっぱり、口角がちょっと上がってるな。不機嫌の証拠だ。


「そんなに不満か?俺がテイルの奴を止めなかったことが」


「貴方なら、貴方だからこそわかるでしょう、アンデッドの群れの中に飛び込んでいくことがどれだけ危険なのか。かつてアンデッド討伐の功績を認められて、中央教会から聖騎士に叙されかけたのだから」


「その、されかけたのをお前が何とか止めてくれたおかげで、俺は王都を逃げ出して自由の身になりそこねたのかもしれないけどな」


「あら、まるで迷惑だったみたいな言い方ね」


 感謝していなくもないさ。

 おかげで、俺が追い求めてついに辿り着けなかった人族の究極ってやつを見られるかもしれないんだからな。


「テイルのことなら、そんなに心配する必要はないぞ」


「ずいぶんと買っているのね。冒険者でもないのに稽古まで付けちゃって」


「まあな。特に多対一戦闘に関しちゃ、そこそこ生き残れるように仕込んだからな。うすのろアンデッドごときには後れは取らんだろ」


「それだって限界があるでしょう。相手は無数で神出鬼没のアンデッド。今や敵だらけの王都に単身で乗り込ませるのがどれだけ危険なことか」


「と、普通のやつは考えるわな。ところがどっこい、そう悲観したもんでもないんだな、これが」


「どういうこと?」


「教えてほしいか?」


 ――あ、ヤバい。今度は口角が下がってる。本気でイライラしてるサイン出してるよ。

 まったく、どうせもう少し時間があるんだ、ちょっとくらい雑談に付き合っても罰は当たらんぞ?


「コホン、今回のアンデッドの大量発生は、過去に類を見ない特殊なケースだ。何かわかるか?」


「それはもちろん、王都という人族の領域でこれだけの数が発生したことよね」


「ちょっと違う。今回が特殊なのは、公平にして無慈悲な不死神がたかだか一人の人族ごときに強力な加護を与えた点にこそある」


「まさか、ワーテイルの言っていたことを真に受けるの?」


「それはこの際どうでもいい。重要なのは、ワーテイルがこれほどの規模のアンデッドを、その上位種の死霊騎士も含めてほぼ完璧に支配してるってことだ」


「っ!?」


「今のところは、って注釈が付くし、そもそも本当に完璧な支配かどうかはそれこそ本人すら確かめようがないと思うがな。まあ、いわゆる野良アンデッドがいたとしても、全体の一割にも満たないんじゃねえかな」


「……そして、残りの九割はワーテイルの命令に従って王都の占領に動き、たった一人の少年に構っている暇なんてない、というわけね」


「そう考えれば、あながち無茶な特攻でもないだろ?」


 まあ、仮に王都が、全てのアンデッドが無秩序に徘徊する危険地帯だったとしても、テイルは止まらんかっただろうし、俺も止めなかっただろう。


 あいつを見ていると昔を思い出す。


 戦士、スカウト、魔導士、治癒術士。

 最後の一個以外はどの才能も可もなく不可もなく。

 駆け出しのころにはとっくに三流冒険者の烙印を押されて、必死に足掻いていた頃のことを。

 結果的に三つのジョブを準一流と言われるくらいにまで磨き上げて、魔法剣士としての道を歩み始め、そして治癒術の適性が壊滅的なばかりに理想には決して辿り着けないと知った、絶望。

 そんな腐ってた時期に出会ったのが、当時ギリギリ少女と呼べる年頃になってた、このテレザだったわけだが。


 ――思えば、出来過ぎた出会いだったよなー。


「そう、それならとりあえず心配はいらないわね。ほら、帰るわよ」


「帰る?どこへ?」


「しらばっくれないで。ギルドを離れる時に約束したでしょう。野暮用が終わったらネムルス侯爵を護衛しながら王都を脱出するって。そのために治癒術士部隊をジオグラルド殿下への手土産にして、代わりに貴方を引き取りに来たのだし」


「あのおっさんの護衛?要らんだろ。ギルドからの情報を基に、万が一の事態にも用意周到に備えていたんだぜ。今頃は自前の護衛隊に二重三重に守られながら、王都門を目指している頃だろうさ」


「だから貴方もその一翼に――」


「あー、それなんだがな、悪いがもう一歩も動けん」


「……どういうこと?」


 おっと、とうとう笑顔まで消えちまったよ。

 体裁を繕わなくなった美女ほど怖いものはないらしいが、生憎ここは譲れないところだからな。せいぜい下手な芝居を続けさせてもらおうか。


「いやな、さっきの大技で思った以上に体力を消耗しちまって、正直一歩も動けんのさ。だから、ひとまずこのままジオグラルド殿下と一緒に南門から脱出して、ネムルス侯爵には後日詫びの手紙を送ろうかと思ってな」


「貴方、まさか始めから……!?」


「ついでにお前もどうだ、テレザ?さすがに一人でお前という信頼できる首輪が俺に付きっぱなしなら、侯爵もひとまずは納得してくれるんじゃないか?」


 悪いがテレザ、俺の実益を兼ねた趣味に付き合ってもらうぜ。

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