第153話 マクシミリアン公爵家当主として 下
「殿下は、私の父である先代マクシミリアン公爵のことを覚えていらっしゃるでしょうか?」
語り出しとしてこう訊いてはいるが、ジルンベルトはエドルザルドからまともな返答が返ってくるとは思っていない。
先代マクシミリアン公は戦乱の猛将の風格を持ちながら基本的に公正明大な政治感覚を持つ、上に立つ者として理想の人物だった。
その一方、理想的な人物であるがゆえに、平和の時代を謳歌する今のアドナイ王国に少なからぬ不満を持っており、しばしば王宮内に不和をもたらしていた。
そのため、王族は厄介事を避けるために先代マクシミリアン公とは距離をとる傾向があり、その代表格が王太子であるエドルザルドだった。(もちろん、まだ子供だった本人ではなくあくまでその側近達が、だが)
いわば、先代マクシミリアン公ともっとも縁遠かった存在がエドルザルドであり、その為人を知る機会が最も少なかったとも言える。
当然、そのエドルザルドからは、
「なんでも、初代の再来と言われた傑物で、アドナイ貴族の鑑と謳われるほどだったと記憶している」
という、まるで原稿文を読み下すようなお定まりの文句が帰ってきただけだった。
もちろんジルンベルトも、一々先代の情報を補足したりはしない。
彼が言いたいことは、先代にまつわるある件に関してだ。
「今でも殿下の覚え目出度きこと、父も草葉の陰で喜んでおりましょう。でしたら殿下、父の最期に関してもご存じなのでは?」
「無論だ。なんでも遠乗り中に不慮の事故に遭い、そのまま帰らぬ人となったとか。老いてなお意気軒昂でまだまだ王国のために尽くしてくれると思っていたところでの訃報、あの時は本当に残念に思ったものだ」
果たしてエドルザルドの答えは、王太子として当たり障りのないものになった。
――だが、杓子定規な言葉が相手の心を抉らないとは限らない。
特に、自分の命はここまでと覚悟を決めている者にとっては、溜めに溜めていたものを爆発させる種火になりかねない。
「事故死ですか。どうやら殿下は本当に、ご自分の足元で何が起こっていたのかご存じなく、関心を寄せることもなかったようですね」
「なんだと?公はいったい、何を言っているのだ?」
先ほどまでとは打って変わって、あまりにも礼を失したジルンベルトの物言いに、徐々に不機嫌を顔に表し始めたエドルザルド。
だが、次にジルンベルトが放った一言が、王太子の顔から一気に血の気を奪い去った。
「わかりませんか殿下。父の死の原因は事故などではなく、殿下もよくご存じの元第二王子、ルイヴラルドによる暗殺だということですよ」
「なっ……!?」
王太子たるもの優雅たれ。
物心つく前から――おそらくは生まれる前の母の胎にいた頃からそう言い聞かされて育ったエドルザルドも、さすがに言葉を失った。
当然、側近達も二の句が継げない中、しばらくエドルザルドの表情を見ていたジルンベルトが告白を続けた。
「父の死の知らせを受け取った私も、おそらくは今の殿下のような反応だったのでしょう。そんな中、父の器量を何一つ受け継いでいないと思っていた私が、自分でも驚くほどに情報操作の才能に恵まれていたことに自覚したというのは、まさに皮肉としか言いようがありません」
「情報操作だと?なぜ?何のために?」
「少し考えればわかることですよ」
そう言ったジルンベルトは、この部屋に入って初めて出されていた茶を喫した。
通常、大貴族ともなるとうかつに出された飲み物を飲んではいけないと厳しく教えられているものだが、今のジルンベルトにとって毒殺はそれほど恐れるものではなくなっていた。
自分を殿として使い潰したいのなら間違ってもここで殺されることはないし、万が一にも命を落としたとしても、自分の運命がさほど変わるとも思っていなかったからだ。
やがて、ゆっくりと茶を飲み干したジルンベルトは、(少なくとも体感時間では)たっぷりと待たされたエドルザルド達の睨む目を気にすることもなく、再び口を開いた。
「当時、ルイヴラルドにとって一番の邪魔者は、一生部屋住みの運命を負うはずだった実の弟、ジオグラルド殿下を、御自身に代わって王弟に据えようとしていた父でした。本人はおろか侍従達ですら隠そうともしないその恨み言は、殿下の耳にも入っていたと思っていたのですがね」
「ま、待て。確かにそのような噂を聞いた覚えはある。だが、いくら何でも一国の王子が国の柱石たる大貴族をそうやすやすと暗殺するものか。いや、そもそもそのような計画があれば、実行に移す前に必ず誰かが止める。それが王国というものであろう」
「殿下、心にも思っていないことを口にされても、相手の心には響きませんよ」
「な、なんだと?」
「すでに当時、殿下がルイヴラルドへの関心を失っていたことは、貴族ならば誰もが知る事実です。つまり、派閥どころか実質空気のごとき扱いになっていたルイヴラルドが、父への刺客を放つのはそれほど難しいことではなかったということです」
「そ、そんなばかな……」
「それからもう一つ。父の事故――遠乗りの最中の落馬は紛れもない事実ですが、遺体の胸には矢が突き立っておりました。しかし、その矢は急所を外れており、当初は誤って放たれた矢が偶然その先にいた父に当たって落馬し、その際の怪我で亡くなったことも考えられました。ですが、詳細な調査の後にその可能性は完全に否定されました」
「な、なぜだ?その日の先代マクシミリアン公の遠乗りは、狩りも目的の内だったらしいな。ならば、先代の遠乗りの触れを知らなかったか無視した、偶然同じ狩場に居合わせた狩人の仕業と考えるのは自然な流れではないか」
「殿下、重ねて申し上げますが、それはありえないのです。なぜなら件の矢の鏃には、掠っただけでその者の命を刈り取る強力な死の呪いが仕掛けられていたのですから。しかも、暗殺の手口は実に雑なこと極まりなく、逃走する実行犯の体を覆っていたマントから中央教会の法衣が見え隠れしていたと、幾人もの目撃者が見つかりました」
「の、呪い、だと?しかも、法衣……!?」
そう聞いて、エドルザルドの鼓動が跳ね上がった。
ルイヴラルドと死の呪い、そして法衣を結びつける人物が、一人しか思いつかなかったからだ。
「殿下もお気づきのようですが、私は今回その名を口にすることは致しません。なぜなら、当時もそこで調査を打ち切っており、実行犯についてはあえて知らぬままでいようと決断したからです」
「なぜだ!?公が本気になれば下手人の一人や二人、すぐに暴いてどうとでもできたであろうに。マクシミリアン公とあろう者がなぜ罪を放置したのだ?」
今ならいざ知らず、エドルザルドとジルンベルトが思い描いている人物は、当時はまだそれほど重要な役職に就いているわけではなかった。
そのことを素早く思い出したエドルザルドは疑問をそのまま口にしたわけだが、ジルンベルトの嘲りにも似た冷めた目を見て、自分の間違いに気づいた。
「殿下、私が父の仇を討たずに全てを闇に葬ったのが何のためか、お分かりになりませんか」
「い、いや……」
「ならば申し上げましょう。先代マクシミリアン公といえば、他国にまでその名が鳴り響いた稀代の豪傑。その器を慕って多くの騎士が私淑し、父が号令をかけるだけで万の軍勢が馳せ参じただろうと言われております。その父が第二王子に暗殺されたとあっては、彼らが仇打ちとばかりに暴走する懸念がありました。おそらく、当時若輩者だった私の説得すら、父の信奉者たちは聞く耳を持たなかったでしょう」
「そ、それでは、公は……」
「そうなれば、いくら見放したとは言っても亡き陛下や殿下はルイヴラルドの味方に付かざるを得なかったでしょう。そしてその先に待っているのは、殿下ら王宮派と父が擁立しようとしていたジオグラルド殿下派の、王国を二分した内乱だったことでしょう」
「…………」
エドルザルドは考える。
あまりにも身勝手で愚かな手を使ってしまったルイヴラルドへの怒りと恨みはもちろんだが、同時に、実の父の死の真相を隠さなければならなかったジルンベルトの心中を。
だが、エドルザルドが想像できるのはそこまでだ。
全ての貴族に公平に接しなければならない立場のエドルザルドにとって、他人の気持ちを深く知ろうとすると、物心ついてから常に刻み込まれてきた「王太子」という人格が、それ以上思考することを拒絶するのだ。
エドルザルドに罪はない。
強いて言うなら、そうであることを強いたアドナイ王家そのものが罪だとするしかないのだろう。
そして、その罪に報いが来る時がすぐそこまで迫っていた。
「無論、ルイヴラルドの逆心を知りながら此度のことを止められなかった責を問われれば、私に罪がないとは言えません。殿下ためならば私が捨て石になることも覚悟しておりましたし、先ほどまでその覚悟でアンデッド共と対峙しておりました」
「マクシミリアン公……」
「ですが、その私への殿下の答えは、身に覚えのない罪でマクシミリアン公爵家を貶めた上、その購いのために死ねというご命令でした。ならば私も、相応の礼儀を返すだけです」
「マクシミリアン公、何を……!?」
そう叫んだのはエドルザルドの側近の一人だったが、ジルンベルトはもはや一顧だにしなかった。
彼の眼にあるのは、直前まで主だったエドルザルドだけだった。
「先ほど、殿下からのお召しの伝令を聞いた直後にこの事態を予期して、一足先に領地に戻らせた嫡子アルベルトに使者を送りました。マクシミリアン公爵家の家督を譲ると共に、王太子派からの離脱を許すというものです」
「バ、バカな!!」
「当然、あれも父の死の真相を知っておりますし、私と違って色々とこらえ性の無い性格ですので、私の命がなくとも思う通りにしたことでしょう」
「マクシミリアン公は乱心なされたか!?王太子派から離脱するということは、アドナイ王国の半数以上を敵に回すということ!それを貴族の何たるかも心得ぬ嫡子に命じただと!?」
「王太子派?果たして今、どれだけの貴族が残っているのでしょう?」
「な、なんだと?」
つい先ほど無視されたにもかかわらず思わず声を上げた側近に対し、今度は応えてみせたジルンベルト。
だが、その理由は決して優しさからではなかった。
「不確定な情報ですが、白陽宮近くに屋敷を持つ何人かの貴族が不死神軍へ寝返り、さらにはガルドラ公爵が自派の貴族や騎士を引き連れて、すでに王都を脱出したとも聞いております。まさかとは思いますが、殿下はまだご存じないのですか?」
「なんだと!?それは確かか?」
そう言って、思わずジルンベルトから自分の側近へと視線を巡らせるエドルザルド。
そのうちの一人がさっと目を逸らしたことにより、普段は温厚な王太子の顔が驚愕にひきつった。
「他にも自己の判断で王都から逃れた貴族や騎士も少なくないとか。王都守護の使命を旨とする四大騎士団も、形勢の悪化からすでに防衛から撤退戦への移行を始めていると報告が上がっております。恐れながらそれらの中には、反逆者に対して討伐の号令をかけない王太子の無能を叫ぶ声も少ないくないとか」
「ち、違う!!私は……」
「言い訳は結構。私もそろそろ前線にて指揮を執らねばなりません。では殿下、マクシミリアン公爵家前当主ジルンベルト、これにて今生の別れにございます」
「ま、待て、待ってくれ!!」
「殿下、陛下と殿下があらゆる難事を先送りにしてきた結果がこれなのです。そして、私も含めてその報いを受ける時が来たのです。では失礼」
そして、ジルンベルトはエドルザルドのもとを去った。
その背には罵詈雑言が浴びせられた気がしたが、仕えた主の名誉のために聞かなかったことにした。
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