第152話 マクシミリアン公爵家当主として 上
ジルンベルト=フラム=マクシミリアンは凡庸な男だ。
取り巻きの貴族達や御用商人からは、王国の重鎮や王太子派の要などと、ジルンベルトを誉めそやす言葉ばかりが聞こえてくるが、そんな大層なものではないことを本人が一番よく知っている。
世間の評価ほど当てにならないものはない。ジルンベルトにとっての評価の基準とは、マクシミリアン公爵家当主としてふさわしいかどうか、その一点に尽きる。
そういう意味では、ジルンベルトは自身のことを、全くの不適格――歴代当主と比べて落ちこぼれだと考えていた。
その理由は他でもない、先代当主であるジルンベルトの実の父と、次期当主である血を分けた息子、エドワルドの器量を誰よりもよく知るからだ。
「マクシミリアン公。今回のエドルザルド殿下の王位継承式典においての混乱の数々、さらにはよりにもよって、むざむざ陛下を反逆者に討たれてしまうという前代未聞の大失態。その咎が、式典警備の最高責任者であった貴公にあることは明白。このことに異存はありますまいな?」
だからこそ、今日ほどジルンベルトが自分の運命――というよりは己の器量の無さを呪った日はなかった。
「お待ちいただきたい。反逆者ルイヴラルドの挙兵にいち早く対応して殿下を安全な場所まで避難いただき、騎士団に命じて迎撃態勢を整えたのがこの私であることは、殿下をはじめ諸兄らもご存じのはず。その私がなぜ糾弾されねばならないのか、納得のいく理由を伺いたい」
暴論としか思えない言葉を並べ立ててきたエドルザルドの側近に対し、手柄を主張しつつ理路整然と反論して見せたジルンベルトだったが、取り巻きの中心に鎮座する王太子エドルザルドの憐れむような眼を見た瞬間、
(ああ、これはもう手遅れだな)
と、生き馬の目を抜く貴族社会にそれなりに身を置いてきた者として、すでに事は決したのだと直感した。
ジルンベルトが貴族に――ましてや公爵家当主に向いていないと自嘲する理由は、まさにここにある。
先代――ジルンベルトの父は、貴族というよりは豪傑といった風貌と能力を兼ね備えた人物だった。
豪放磊落な性格であると同時に、家臣の些細な不調も見逃すことなく気遣いをみせ、貴族家当主でありながら武芸百般に通じ、特に馬術の巧みさは当代一と謳われた。
王国黎明期に国王と共に戦場を駆け抜けた初代マクシミリアン公爵の再来と称され、貴族のみならず平民からも絶大な人気がある一方、父祖代々の権威にあぐらをかくばかりの面々を蛇蝎のごとく嫌う、まさに稀代の英雄だった。
そんな先代から、まるで自己保身の塊のような自分が生まれたというのはいったいどういう運命の悪戯なのか。物心ついた頃から続く、ジルンベルトが抱える大いなる疑問である。
「マクシミリアン公。確かにルイヴラルドによる襲撃後の、貴公の対応が適切であったことは我らも認めるところである。だがしかし、式典警備の最高責任者であった以上、その責から逃れることはアドナイ貴族としての――」
(何を言う、殿下におもねるだけが取り柄の木っ端貴族が。真に王国を思うのなら安全な場所からものを言うのではなく自ら手勢を率いて戦列に加わればいいものを)
そんな真っ当な考えが――実際に、エドルザルドに呼びだされるまでは不死神軍との戦いで指揮を執っていたジルンベルトの脳裏をよぎったが、目の前の卑怯者達には何を言っても通じはすまいと口にするのをやめた。
いや、マクシミリアンの名を盾に彼らを戦場に立たせられるのなら、どんな暴言も奸智も弄しただろう。
だが、彼らを黙って見守るエドルザルドの存在が、ジルンベルトの反論を封じていた。
「そもそも、警備の役目は王族の安全を確保するだけではなく、王家に仇成す危険人物をリストアップし、反逆を未然に防ぐことも含まれている。ルイヴラルドに刃を振り上げさせた時点でマクシミリアン公はその責を果たせなかったことになる」
「馬鹿なことを……」
「何かおっしゃられたか?」
「いや、なんでもない」
小声だったことで聞き咎められなかったが、今の一言は紛れもないジルンベルトの本音であり、事実だ。
式典警備の最高責任者とは言っても、警備対象の白陽宮の隅から隅までその権限が及ぶわけではない。
正確には、ジルンベルトの力が及ぶのは、反逆者が貴族や騎士、平民だった場合で、今回のケースは近衛騎士団が対処し、ルイヴラルドによる凶刃を防がなければならない。
つまり、第二王子ルイヴラルドは初めから容疑者としてすら認識されておらず、王家内の内紛への介入など許されざる蛮行であり、ジルンベルトにとってエドルザルドの側近達の言い分は、知ったことかと吐き捨てたくなる暴論なのだ。
だが、時には不条理こそがまかり通るのが貴族の掟。
ましてや、そこに王太子が関わるとなるとなおさらだ。
「マクシミリアン公。貴公に落ち度があったとは私は考えていない。だが、誠に遺憾であることに、反逆者ルイヴラルドによって陛下が討たれてしまったという、王国にとってあってはならない事態が起こってしまった。しかも、王位継承の式典の最中の出来事であり、ルイヴラルドの宣言によって万民に知らされてしまっている。事ここに至っては、失態の責を負う者をしかるべき立場から出さねば収まりがつかぬ」
エドルザルドのその論理は、ジルンベルトにもわかる。
だが、スケープゴートを決めるにはあまりにも拙速の判断であるし、そもそもこの非常時に言い出すようなことでもない。
ジルンベルトはエドルザルドの真意を測りかねた。
――だが、もしこの時、ジルンベルトが奇跡的にこの先の展開を予見できていたとしても、やはり未来は変わらなかっただろう。
エドルザルドの前に出てきた時点での、ジルンベルトの直感は正しかったのだ。
「マクシミリアン公、貴公には陛下弑逆を未然に防げなかった汚名を晴らす機会を与えよう。エドルザルド殿下が王都を脱出するまでの間、殿軍として不死神軍をこの王都に押し留めていただきたい」
側近一人の言葉を聞いた瞬間、ジルンベルトは強烈な眩暈に襲われた。
(殿だと……?殿下は私に死ねと――いや、そう言っているのか)
戦いにおいて、特に撤退戦での殿を請け負うのは、兵士はもちろん将に至るまで、死の確率にさほど違いはない。それほど危険な役目なのだ。
敵はこれ以上ない好機を逃さないために死に物狂いで追撃をかけてくるし、殿が命を捨ててこれを防がないと前にいる味方が甚大な被害を被る。
しかも、今回の相手は物言わぬアンデッドだ。万に一つも捕虜として生き延びる望みはない。
(……おそらく、誰も殿の役目を負いたくないがゆえに、必死に落ち度のある貴族を探した結果、私に行き着いたのだろう。でなければ、私を使い潰すような結論に至るわけがない)
決して驕りなどではなく、マクシミリアン公爵家が王太子派の中枢にいるという自覚をジルンベルトは持っているし、客観的にも事実だと言い切れる。
もはや不死神軍との戦いの趨勢はほぼ決しており、エドルザルドがひとまず王都から落ち延びることは確定的で、そうなればアドナイ貴族の分裂は避けられない。
後はどこまで王太子派の貴族を維持し続けられるかというのが命題になるわけだが、公爵たるマクシミリアン家を今失えばどうなるか、おそらく平民の子供でも分かる論理だろう。
(考えたくはないが、跡継ぎのアルベルトがいれば私など用済みとでも思っているのだろうか?だとすれば、これほど愚かなことはない)
これまでマクシミリアン公爵家の当主として、アドナイ王国の柱石として十分以上に尽くしてきた自負があるジルンベルト。
だが、苦渋の果てに得た最期がこんなものかと思った瞬間、一種の限界が訪れた。
堪忍袋の緒が切れたといってもいいだろう。
「……承知いたしました。では殿下、最後に私から申し上げたいことが一つ御座います。どうか遺言だと思い頂き、少しの時を頂けないでしょうか?」
「マクシミリアン公、それは――」
「よい。公の功績は今回の罪を補って余りある。不死神軍がここに達するまで、いましばらくの時間があるであろう」
「ですが……」
「私は、公の言葉を聞くと言ったぞ」
「は、はあっ」
いくらエドルザルドの威を借りて権力を振るう立場にあるとはいえ、その主の言葉には側近達も逆らえない。
その様子に頷いたエドルザルドの視線を受けて、ジルンベルトは語り出した。
ただしそれは、決してアドナイ貴族としての潔い遺言などではなかった。
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