第151話 エドルザルドの誤算


 突如王都アドナイに出現した、戦力を推し量ることすら愚かしいほどのアンデッドの大軍。

 それに対して、寡兵ながら善戦する第三王子ジオグラルド率いる南門守備隊だが、それはあくまで広大な王都における戦局の一つに過ぎない。

 王都を巡る攻防、その趨勢を握っているのは、アンデッドを召喚し不死神軍を名乗る第二王子ルイヴラルドの一派と、国王亡き今正当たるアドナイ王国の継承者と言える王太子エドルザルドを頂点としたアドナイ王国軍の、二つの勢力だった。


 しかし、その均衡が長くは続かないことを肌で感じ始める者達が、とある一室に出始めていた。


「撤退だと?莫迦な、なぜこの私がルイヴラルドに王都を明け渡さねばならぬ?」


 この、北門近くにある中級貴族の屋敷を接収し(滅多なことでは謁見すら叶わないその貴族は王太子から願われて感涙にむせんでいた)、王国軍臨時総本陣に腰を落ち着けたエドルザルド。

 やがて集まり出した情報を側近たちが整理する中、ご機嫌伺の声かけすら躊躇われるほどに、次期国王の座を約束されていたはずのエドルザルドの表情は厳しかった。


(なぜだ?なぜ私は、ルイヴラルドごときに王の住まう白陽宮を明け渡し、このような陋屋に押し込められねばならないのだ?)


 王族の嗜みとして口にこそしないが、心中を荒れ狂う怒りと混乱がエドルザルドの平静をかき乱す。

 その一方で、そんな自分を冷淡な目で見つめる別の意識が、喧々諤々と対処の議論を交わす側近達を眺めつつ、エドルザルドは改めて事態を俯瞰しようとしていた。


(事の始まりはどこであっただろうか?)


 その起源を明確に確定させるのは、とても難しい。

 エドルザルドが王の代理として政務に多忙になった頃かもしれないし、ジオグラルドが政治的失脚後に出家した頃かもしれないし、もっと言えばルイヴラルドが第二王子として生まれたこと自体かもしれない。

 しかしやはり、ワーテイル筆頭司教と手を組んだとの知らせを聞いた瞬間に、ルイヴラルドを具体的な脅威として認識したのだろう。


(それからの対処に誤りがあったとは思えぬ。側近と意見をすり合わせたうえで陛下との会談を重ね、ルイヴラルドの放逐を決定した)


 いかにエドルザルドが王太子と言えど、王族を罰するのは並大抵の苦労ではない。

 しかも相手は、王弟として兄を支える責務を期待された第二王子なのだ。当然、王宮の重臣や大貴族から自重を求められたが、長じると共に奇矯な言動がますます目立ってきていたルイヴラルドをこれ以上放置することは、エドルザルドにはできなかった。

 ただし、エドルザルドが(王太子としては)最速で行ったルイヴラルドの処分も、深い事情など知らぬ者、例えば第三王子あたりから見れば、遅きに失した感は否めない。

 ルイヴラルドの不適格ぶりを知っておきながら、貴族社会や王宮の仕来りに遠慮して、肝心のルイヴラルドの危険度についてはほとんど調査してこなかった失態は言い繕い様がないのだ。

そのことに、エドルザルドは未だ気づかない。


(あのワーテイル司教にしてもそうだ。なぜ、枢機卿に次ぐ筆頭司教という要職に就いた敬虔なる四神教徒が、よりにもよって不死神の加護を得て死霊術を……)


 中央教会の筆頭司教と言えば、対外的な役目も多い枢機卿に代わって王都の中央教会の実務一切を取り仕切る、要と言うべき役職だ。

 当然、王都の四神教徒からの支持無くしては成り立たず、実際に、これまで王宮と中央教会の関係が円滑に運んでいたのは、ワーテイルの働きによるところが大きい。

 それは逆に、ワーテイルに疑いをかけることは中央教会そのものに疑念を抱くことと同義ということでもある。

 例え、ルイヴラルドとワーテイルが親密な付き合いをしていたとしてもだ。


(それゆえに、私はルイヴラルドを中央教会から――王都から遠ざけようとした。仮に政治基盤を失いつつあるルイヴラルドがワーテイル司教を頼ったのだとしても、物理的に切り離してしまえば滅多なことはできないと思ったからだ)


 だが、事実は違った。

 ルイヴラルドがワーテイルを一方的に頼ったのではなく、二人は対等で深刻な共謀関係にあったのだ。


(それでも、愚かな弟が中央教会の権力を利用しようというだけならば、いくらでもやりようはあったのだ)


 四神教徒に絶大な影響力を持つ中央教会。

 だが、政教分離を旨とするアドナイ王国において、ワーテイルが王宮に働きかけたとしても限度がある。

 ましてや、事は王太子であるエドルザルドが決め、国王が承認した話だ。

 いかに筆頭司教でも、ルイヴラルドへの処分を撤回させることは不可能だと断言できる。


 そう、政治的にはエドルザルドを止めることなどだれにもできない、はずだった。


(それが、反逆だと?私軍を持たない第二王子と、体面を保つための二万以上の兵は許されていない中央教会のみで……?)


 はっきり言って、四大騎士団が総出で動けば余裕で鎮圧できる規模の兵数だ。

 しかも、教会騎士団には通常の出動任務は回ってこないため、その練度は四大騎士団に大きく劣ると言われている。

 下手をすれば、烈火騎士団一万だけでも互角以上に渡り合えるかもしれないのだ。


(……いや、烈火騎士団の一部は、ジオグラルドの援護に回ったのだったな)


 思考の渦の中、偶々連想したもう一人の弟の存在をエドルザルドは思い出す。


 あの年の離れた弟が生まれてからこの日まで、厄介に思ったことは数あれど、頼りにしたことはこれまで一度もなかった。

 とはいえ、厄介とは言っても全ては子供のやることだと、側近を通して聞いた話を笑って済ませていただけだが。(エドルザルドの側近達はともかく)


 それがまさか、王都の要たる四つの王都門の内一つの守護を任せることになろうとは、夢にも思っていなかった。

 しかもジオグラルドは、本来なら一万規模の兵力でアンデッド共の侵攻を阻むべきところを、たかだか千五百足らずの寡兵で南門を守り切ると、伝者を通じて言い放ってきたのだ。


「たった千五百だと?ジオグラルド殿下は狂われたのか?」


「……いや、あのレナートが戦列に加わるというのなら、数以上の働きは成すであろう」


「その通りだ。むしろ、ここで下手に文句をつけてさらに兵を持っていかれるよりは、少しでも時を稼いでいただいた方がありがたい」


 まるで一国の王子を使い捨てにするような側近達の言い様に、エドルザルドも腹が立たないわけではなかった。

だが、軍議の最中に王太子自ら余計な口出しをして、アドナイ王国始まって以来の危機に立ち向かおうというムードを凍り付かせるわけにもいかないと、喉まで出かかった言葉を飲みこんだ。


(それに、あのジオグラルドのことだ。王家存続のために命を投げ出すような殊勝な心掛けなわけがないし、千五百で事足りると判断したゆえに、今まさに南門で奮戦しているに違いない)


 今のところ、エドルザルドの元に南門が陥落したという報告は入ってきていない。

 つまりは、それだけジオグラルドが善戦しているという証なのだが、そんな望外の援軍を加味しても、王都全体における戦況は芳しくなかった。


「報告!衛兵隊第三駐屯所が陥落!東部防衛線がヌーデル子爵邸前まで後退しました!」


「流水騎士団、未だ敵陣突破ならず!聖術士不足のため、死霊騎士に決定打を与えられません!」


「不死神軍の一部が衛兵隊の西部武器庫を占拠、自ら武装し始めました!」


 次々と入ってくる斥候の知らせは、いずれも味方の劣勢を伝えるものばかり。

 それどころか、物量と恐怖で王国軍を圧倒するアンデッドの脅威は、北門前に腰を据えるエドルザルドの本陣を徐々に脅かしている。


 そして、現状最も憂慮すべき事態は――


「急報、急報ーーー!!敵主力が東門守備隊を突破!!不死神軍が王都の外に展開し始めました!!」


「で、殿下……」


 息も絶え絶えに凶報を叫んだ伝者を下がらせた後、一様に顔を真っ青にして何事かを進言しようとする側近達に、エドルザルドも覚悟を決めようとした、その時だった。


「失礼いたします!マクシミリアン公爵が手勢を引き連れて到着なされました!」


 ここに来て、王太子派の重鎮という諸手を挙げて歓迎すべき援軍の到着。

 本来なら、エドルザルド自ら迎えに出て、兵達の前で士気向上の演出の一つでも打つべきなのだろう。


 だが、今のエドルザルドはとてもそんな気にはなれなかった。

 かねてからの打ち合わせの通り、マクシミリアン公爵にある役目を負ってもらわねばならないからだ。


「通せ」


 結果、侍従に向けてエドルザルドの口から出たのは、喉奥から押し寄せる苦いものを押し殺すための、無感情でそっけない一言だった。

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