第150話 ヒールスタイル


 離れた場所から響き始めた戦いの音を聞きながら、俺はレナートさんに覚えさせられた南門防衛の手順を反芻していた。


『道幅の広い道をお前の土魔法で塞いだ以上、アンデッド共は必ず回り道をして狭い脇道から侵入してくる。これで数の不利はある程度打ち消せるが、いくら鈍かろうが低能だろうが数の上で圧倒的にこっちが少ない以上、すぐにアンデッド共の圧力で防衛線は崩壊する。だから、アンデッドと俺らが接敵したタイミング、そこからがお前の出番だ』


「テイル殿!合図が来ましたよ!」


 レナートさんが補佐役として置いていってくれた若い冒険者さん(俺の方がちょっと年上だ)の声に頷いて、俺は腰の黒の剣を抜いて両手で構える。

 ただし、いつものように切っ先に殺気を込めるんじゃなくて、祈るようにまっすぐに天へと突き出す。


 イメージするのは、第三王子宮での特訓の日々。

 無残にも黒焦げになった草木を復活させるための、癒しの力。


『使用者の癒しの祈りを観測しました。ギガンティックシリーズ、ヒールスタイルに移行します』


「す、すげえ……」


 ギガンティックシリーズが放つ黒い光に驚いてくれている冒険者さんには悪いけど、俺自身にとってはもう慣れたと言ってもいい姿だ。


 ヒールスタイル。

 文字通り治癒の力に特化ししているわけだけど、初めてこの姿になったのは、ティアが燃やした庭を癒しているある日のことだった。

 たまたまその時居合わせた、レナートさんの秘書でアークプリーストのテレザさんによると、


「やはりこのやり方で発現しましたか。確信はしていたとはいえ、この姿は……」


 ――そう言えば、この間のスピードスタイルといい、新しいスタイルを会得するのにいつもティアが関わってるよな……

 なんて、割とどうでもいいことを考えていた俺とは裏腹に、テレザさんの表情には暗い影が差していた。


 それもそのはず、教会との関わりの有無に関係なく白を基調とした法衣を纏うことが多い治癒術士――そのはずなのに、ヒールスタイルを獲得した俺の衣装は、ギガンティックシリーズそのままの黒に彩られていたからだ。


「噂に聞いたことがあります。黒の法衣は総本山のごく限られた者にのみ許された、四神教の神髄に触れた証だと。もしもテイルさんのその姿が四神教の教義に則ったものであるなら……」


 そこで言葉を切ってしまったテレザさんに続きをお願いするべきだったんだろうけど、あいにく治癒魔法の行使しまくりの毎日だった俺にとって「あらあらテイルさん、治癒の手が止まっていますよ」と実質的な命令に等しいテレザさんの優し気な言葉に逆らう気力などあるはずもなく、その時はそれで終わってしまった。


 それに、俺にもわかっていた。

 今俺がやるべきはエンシェントノービスの謎に迫ることなんかじゃなくて、僅かでも治癒魔法の力を底上げすることだってことを。


「行きます!『ファーストエイド』!!」


 その、力ある言葉を口にしたとたん、中央教会のそれよりだいぶん質素なデザインの黒の法衣が、俺の体内の魔力を活性化させる。

 それと同時に、体からあふれ出した魔力が両手で掲げた漆黒の杖に集約され、今か今かと解放の時を待ち望んでいる。

 そして、第三王子宮での特訓で獲得した感覚が、杖に満ちた魔力が十分だと判断した瞬間、思いっきりその石突を地面に打ち付けた。


 カアアアアアアァァァン!!


 ――はっきり言って、これだけの魔力を直接人族の体内に送り込んだら、癒しの効果どころか治癒力の暴走で肉体を破壊しかねない、まさに危険な行為だ。

 だけど、今の俺の治癒魔法の相手は、無限の魔力許容量を誇る大地そのもの。人族ごときがどれだけの魔力を注ぎ込もうと平然と受け止める。

 その一方で、特定の属性をもった魔力を受け止めた大地は、その拡散力で完全に消え去るまでの間、属性の効果に影響された土地に変貌する。

 例えば火の魔法だと、しばらくの間火が付きやすくなったり水をかけても消えにくくなったりする。

 そして、治癒魔法の場合は――


 オオオオオオオオオ!!


 聞こえてくるのは、興奮と希望にあふれた歓声。

 アンデッドの喉から飛び出すのはいつも気味の悪いうめき声だから、あれは間違いなく味方のものだ。


「おおっ!」 「すごいぞ!ジリ貧だった守備隊が一気に押し返した!」 「これならば……!」


 すぐ上の南門の楼から、守備隊の幹部と思える喜びの声が次々と聞こえてくる。


 俺が地面に打ち込んだファーストエイドは南門を中心として放射状に広がり、一帯を治癒の力で埋め尽くした。

 その結果、アンデッドの能力と耐久力は大幅に削られ、逆に守備隊にはアンデッドに負わされただろう怪我の回復を同時に行うことに成功した。


「すごい!全ての前線で一気に押し返しているぞ!」


 前線からの旗信号を見て味方の優勢を知った補佐役の冒険者さんの興奮の声を聞いて、ようやく肩の力を抜く。


 そう、一気に押し返すくらいがちょうどいい。劣勢のままでも、俺の力だけで殲滅しても、どっちも良くない。


『そしてテイル、ここが肝心なところだ。守備隊の援護にならない威力は論外だが、それ以上に絶対に力を出し過ぎるな。もちろん、いつ終わるか分からないアンデッドとの戦いでペース配分を考えるのも大事なことだが、やり過ぎて必要以上に目立ってしまうのは避けたい。周囲は一応殿下の味方で固められちゃあいるが、それでも王太子やその他の貴族の目や耳が常に潜んでいるし、それを阻止することもできない。

 テイルがたった一人でアンデッドの大軍に対抗しうる戦力だと知られれば、ジオグラルド殿下と他勢力との間に緊張を生むし、最悪の場合、中央教会のさらに上から目をつけられかねん。

 いいか、特訓で培った感覚を忘れるな。お前の力だけで治し切るんじゃなく、他の連中が活躍する余地を残すことを常に頭の片隅に置いておけ』


 よくよく考えてみれば、出たとこ勝負の本番、しかも最初の一発目で適度な加減も何もあったものじゃない。

 そういう意味ではドキドキしっぱなしの最初の特大ファーストエイドだったわけだけど、なんとかレナートさんの注文通りの威力で収まったみたいだ。


「これでかなり押し返せますね!このまま一気に、ほかの区画も奪還できるかもしれないですよ!」


「いや、多分ですけど、そう上手くはいかないと思います」


 まだ興奮気味の冒険者さんには悪いけど、レナートさんの予感が当たったことを、俺の五感がぼんやりと察していた。


 俺が地面に打ち込んだ、治癒魔法の波動。

 それは南門を中心にアンデッドを弱体化させる効果を及ぼしたわけだけど、その波がある程度のところまで行って急に弱くなった。

 今の王都は、アンデッドの大軍が闊歩する、いわゆる不死の属性に汚染された領域だ。

 いくら俺の魔力が人並み外れていても、俺と全体を染め続けている膨大な不死の力を駆逐できるわけじゃない。

 俺が放ったファーストエイドは、王宮を中心としたその不死の力に押し返され始め、大地の魔力拡散と合わさって徐々にその効果が薄れていっている。

 重要なのは、南門に押し寄せているアンデッドの大軍にその影響がはっきりと出てくる前に、次のファーストエイドをタイミングを見計らって打ち込まないといけないということだ。


「守備隊とアンデッドの勢いが拮抗したところで、次の治癒魔法を放ちます!旗信号の合図を見逃さないようにお願いします!」


「は、はいっ!了解しました!」


 俺は味方の合図の確認を補佐役の冒険者さんに任せて、再び魔力のコントロールに集中し始めた。





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