第149話 南門 中央防壁にて


 不死神軍と称するアンデッドの大軍の襲来。

 レナートはその光景を、テイルに造らせた土魔法の壁の内側に突貫で設置した櫓の上から眺めていた。


「来ましたね。やはり数が多い」


 そうレナートの隣で呟いたのは、烈火騎士団副団長にして現騎士団長の養子のゼルディウス。

 ゼルディウスの言う通り、総勢千弱の南門死守部隊に対して、不死神軍の軍勢は果てが見えないほどに大通りを占拠していた。

 おそらくは、こちらの五倍以上は硬いだろう。


「戦いは数じゃない、って言いたいところだが、確かにこれはちょっと壮観だよな。少なくとも、下で待ち構えている奴らに見せたら士気が駄々下がりになりそうだ」


「おや、レナート殿ともあろう御方が随分と弱気な」


「いいんだよ。これを聞いてるのはゼルディウス、お前だけだ。それに、俺は事実を言うことはあっても弱音を吐いた覚えはねえよ」


「なるほど、言われてみれば確かに」


 そう返すゼルディウスにも、気負った雰囲気は微塵も見られない。

 さすがは中級騎士の出でありながら、その才を買われてゲオルディウスの養子に迎えられた若き英傑だと、レナートは内心苦笑する――その鼻っ柱を完膚なきまでに圧し折るために、一時期戦力過多な稽古相手として依頼を受けた時のことを思い出すと、あの頃は俺も若かったと自嘲してしまうからだ。


「それで、アンデッド退治の専門家であるレナート殿の見解はいかに?」


 まだ距離的に余裕があるせいか、目の前に現れた不死神軍の分析を聞いてくるゼルディウス。

 その声には、騎士という立場以上に生来の生真面目さが無駄に表れていた。


「無駄に持ち上げるのはよせよ。俺が依頼失敗を引きずってアンデッド狩りをしまくってたのは一昔以上前の話だぜ?」


「ですが、その知識が古びるということはないでしょう。もちろん、アンデッドを効率よく屠るための腕前もですが」


「しょせん匹夫の勇だ、あんまり過信されてもな。それにこれは、相手こそ違えど籠城戦だ。集団戦において騎士団の右に出る者などいないさ」


 そうは言いつつも、この場にいるべき一番の専門家――治癒術士が不在という事実を、冒険者ギルドの総帥たるレナート自身が誰よりもよくわかっていた。


「中央教会との関わりが深かった治癒術士の多くと連絡が取れない。ワ―テイル司教に取り込まれたか、あるいは……」


「おそらくは後者でしょう。彼らはいずれも敬虔な四神教の信徒です。いくら筆頭司教の誘いでも、そうそう異教に宗旨替えするとは思えません」


「残った奴らは、とりあえず一か所に固めて護衛付きで治療任務に当たらせちゃあいるが」


「問題は、ワ―テイルの仕掛けがどの程度か、現状確認する時間がないことですね」


「そのためにテレザにその役目を頼んだわけだが、まあ、どんなに頑張ってもこの戦いには間に合わんだろうな」


 ゼルディウスの考えに頷きながら、レナートは心の中に広がった苦いものを我慢せざるを得なかった。


 死霊術士のおぞましさはアンデッドの製作に留まらない。

 彼等は手近に材料となる死体がない場合、生者を死者に変える大罪を良心の呵責を感じることなく平然と行使するからだ。

 魔導士としての性なのか、生と死に囚われなくなり倫理観が壊れたのか、死霊術士は目的のためなら手段を選ばない傾向にある。

 ましてや、これほどの大事件を起こしたワ―テイルなら、気が遠くなるほどの年月をかけて、最大の障害となる王都の治癒術士全員に何らかの呪いをかけていてもおかしくはない。

 実際、ワ―テイルがそれだけの芸当ができる立場にあったという事実が、事態を悪化させる一因になっていた。


「まーったく、ここまで完璧に騙されていたかと考えただけで、頭が痛くなってくるな。ひょっとして俺、この件が一段落したら責任を問われて打ち首になるんじゃないか?」


「ならばなおのこと、レナート殿はジオグラルド殿下について行くべきなのでしょうね。王太子殿下の下では、あなたを追い落とすことが手柄になると勘違いする輩も多いでしょうから」


「別に、俺個人を追い落とそうが痛くもかゆくもないんだがなー、ま、ちょうどいい機会だし、この辺でネムレス侯爵との縁を物理的に切っておこうと思ってな。絶縁状も残してきた」


「本音は?」


「そろそろ本気で貴族との付き合いに嫌気が差してきた――って、何言わせようとしてんだよ」


 そんな雑談に興じてはいるが、二人の眼は常にアンデッドの軍勢を捉え、彼我の距離を測り続けていた。

 二人ともに、気負いや恐怖に飲まれてなど微塵もなかったが、あえてリラックスした様子を演じることで、櫓の下の配下に安心感を与えることが狙いだった。

 そして、その時がいよいよやってきた。


「ではレナート殿、また後で」


「ああ、またな」


 交わした言葉は短い。

 だが、これが今生の別れになるかもしれないことを、二人はよく知っている。

 それでも決して悲壮感を漂わせないのは、必ず生きてまた会うという決意と願いを込めてのものだった。


「まあ、人の心配してる場合じゃないんだけどな」


 ゼルディウスが去った後で独り言ちた通り、一番厳しい戦いが予想されるのは、レナート率いる冒険者たちが受け持つ中央だ。


 南門防衛の要所は三つ――王都の城壁をなぞるように輪っか状に伸びる左右の道路と、王宮を貫き北門を終着点とする大通りだ。

 左右は烈火騎士団で、それぞれゼルディウスと彼の副官が率いるのだが、四つの門と王宮を十字につなぐ大通りは、文字通り王都で最も道幅が広い。

 つまり、冒険者ギルドが担当するこの中央こそが、最大の激戦地になることは必然なのだ。

 ではなぜ、集団戦闘に長けた烈火騎士団ではなく、冒険者達が最も危険な場所を守ることになったのか。


 それはもちろん決まっている。

 烈火騎士団の戦力を、レナート個人が上回っているからだ。


「よっと」


 レナートが踏み出した一歩は、櫓の下で待っている冒険者達へ向けたものではない。

 実際はその逆、今まさにテイルによって構築された土魔法の壁に迫ろうとするアンデッドの群れの前――その地面に壁を背にして降り立った。


「おいお前ら、五体満足でいたかったらとっとと来た道を引き返せ――って、通じるわきゃねえか」


 返事どころか聞く者さえいない大通りでレナートは呟く。

 それはまるで、この先に起こす惨劇の許しを請うかのように。


「奥義、水蜘蛛の断ち糸」


 レナートが起こしたアクションは、腰にぶら下げていた革袋を無造作に掴み、軽く振っただけ。

 ただし、その効果は劇的だった。


 ズルッ


 その一拍後、そんな音が聞こえて来そうなほどに、軍勢の先頭をゆっくりと前進していたアンデッド数十体の上半身が一斉にズレた。

 そして、その勢いのままに斜めに滑り落ちた上半身に追随して、全く同数の下半身が崩れ落ちた。

 さらに数瞬遅れて、大通りに面した建物の壁に極細の切れ込みが入り、次々とガラスが落下、割れる耳障りな音が連続した。


「っと、やべえやべえ、思わず少し斬っちまった。まあいいか。どうせこの辺は全部アンデッドのせいにできるからな」


「グランドマスター!大丈夫ですか!?いけそうですか!?」


 そう呟いて、軽く現実逃避に入ったレナート。

 その言葉に応えたわけではないのだろうが、いつの間にかにレナートがさっきまでいた櫓から若い冒険者の声が届いた。


「おう。ちょっと加減を忘れちゃあいるが、こっちは全くもって平常運転だ。それよりも、お前らの方こそ気をつけろよ。こっちはテレザが清水を聖別した聖水がアンデッドに刺さりまくりだが、お前らの武器はアンデッド特攻0%のただの鋼製なんだからな。絶対に距離を取って対処しろよ」


「わかってますって!グランドマスターこそペース配分を間違いないようにしてくださいよ!」


 そう言って、壁の向こうから覗かせていた顔を引っ込めた冒険者。

 どうやらその勢いのままに櫓から飛び降りたらしく、あっという間に気配が遠ざかっていく若い冒険者に、レナートは思わず顔をしかめた。


「ちっ、俺の弟子を名乗っておきながら、似てほしくないところだけ似てきやがる。……せっかく俺がこうしてザコを狩って、少しでもわき道にかかる圧力を減らしてやろうってのに、つまんねえ死に方すんじゃねえぞ」


 その、愚痴半分祈り半分の独り言の後で、レナートの意識は背後の南門に向いた。


「さて、後はテイルの奴が上手くやるかどうかだが、こればっかりはアイツ次第か。まあ、覚悟が決まるまで、精々時間稼ぎをしてやるとしますかね」


 まるでその言葉が引き金のように、背を向けたままのレナートの右手が翻り、先頭の犠牲者を踏み越えて接近していたアンデッドをさらに数十体、行動不能へと追い込んだ。

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