第141話 別離の兄弟


 広大な敷地を持ち荘厳な建物が並ぶ、王宮。

 その象徴かつ最大の建造物である白陽宮は、広い通路から煌びやかな装飾に至るまで、王の威厳を示すように気品に溢れている。


 その一方で、いざという時に王を守る最後の砦として、そして敵の魔の手から王を逃がすために、白陽宮には無数の隠し通路が設けられている。

 王その人ですらその全貌は知らないと言われており、貴族達の間では『白き魔境』と白陽宮を揶揄する者まで出る始末だ。

 当然、今代のブラルレイド三世の直系である三人の王子にも、いくつかの隠し通路の存在と通り方は知らされており、このバルコニーに面した部屋のそれもそのうちの一つだった。


 それが、厳戒態勢の白陽宮の警備を掻い潜った。


 近衛騎士団の大失態と言うのは簡単だろう。

 しかし、廃嫡が決まっているとはいえ一国の王子に対する配慮と、まさかあの病弱な第二王子が監視の目を掻い潜り隠し通路を通って白陽宮を訪れるなど予想だにできなかったことを、一概には責められない。


 ましてや、騎士も刮目するほどの見事な技前で実の父の首を躊躇いなく斬り落とすなど、誰が想像できたであろうか。






「陛下アアアアアアアアア!!」


 最初に声を上げたのは、ブラルレイド三世の直衛の近衛騎士達だった。

 アドナイ王国として最もありうべからざる事態に誰もが思考を停止する中、致命的な失態を取り返すかのように、ルイヴラルドに躍りかかっていった。


 第二王子相手にも関わらず迷いなく抜き放たれた、都合四本の剣。

 誰もが切り刻まれるルイヴラルドの姿を幻視した中、離れた場所にいたジオグラルドがだけが、それを見ていた。


 命の危険にもかかわらず狂気の笑みを浮かべたままのルイヴラルドの背後――隠し通路の闇から四人の近衛騎士達へと、死の刃が次々と吸い込まれていったのを。


「御身を大切に成されませ、殿下」


 首に致命傷を負った近衛騎士達が次々と倒れる中、通路の奥から現れたのは、司教の身分を表す法衣を身に纏った、細身の中年の男。


 そして、


「アンデッドだあああっ!?」 「逃げろおおおおおおっ!」


 突然の魔物の出現にパニックになった侍従達が我先にと部屋を出て行く。

 法衣の男に続いて通路の暗がりから出てきたのは、近衛騎士に勝るとも劣らない騎士鎧を身につけ、それぞれに剣や槍などの得物を手にした者達。

 ただし、生気を完全に失ったむき出しの頭を見れば、それらが生者であることはありえないと誰の目にも明らかだった。


「殺す必要はない。邪魔者を全てこの場から排除せよ」


「ワ―テイル司教!殿下の御前であるぞ!」


 この場には未だ王太子のエドルザルドがいるにもかかわらず、まるで敬意を払わない法衣の男――ワ―テイル筆頭司教の言葉。

 それに激した騎士の一人の声が部屋中に響くが、その勢いは長くは続かなかった。


 本来、ほとんど自我を持たないはずのアンデッドが、まるでワ―テイル筆頭司教の命令を理解したかのように頷いた様子に、絶句せざるを得なかったからだ。


 そして、数の上では未だに不利である状況で、死者ゆえに恐れがないのか臆することなく武器を構えた四体の死霊騎士。

 その堂に入った姿に記憶を喚起されたのか、残りの近衛騎士の一人が呟いた。


「……あの槍のアンデッド、もしや先代の流水騎士団長ではないか?」


「そう言われれば……その隣りは二代前の大地騎士団長と顔の傷が一致しているぞ!」


「あれは王宮の肖像画にもある、五代目烈火騎士団長か!?」


「残る御一人は十五年前に行方不明になられた先代疾風騎士団長だぞ!なぜここに!?」


「……参ったな。あのルイヴラルド兄上がここまで用意周到だったとはね――いや、ワ―テイル筆頭司教の入れ知恵か?」


「ジオグラルド?」


「兄上。ここは一旦退かれた方がよろしいかと」


 エドルザルドは我が耳を疑った。


 確かに、ルイヴラルドとワ―テイルと共に現れた死霊騎士達は容易ならざる相手のようだが、この場にいる近衛騎士総出で掛かればやってやれない相手ではないはず。

 何より、ここで国王の仇を取らなければ、どうしてアドナイ王国を統べる資格が得られようか。


 そう決意して、エドルザルドが討伐の命を発しようとした、その時だった。


「兄上、万が一ここでルイヴラルド兄上と共倒れになったとしたら、一体誰がアドナイ王国をまとめるというのですか。昨今の災厄によって揺れている王国にて、大なり小なり王家の血を取り込んでいる大貴族達が勝手に王を名乗り始めれば、その時こそ王国が崩壊します。今この時、最も死んではならないのは御身だと御自覚ください」


 目の前の国王の仇を討つことよりも、王国の行く末を案じろと訴えたジオグラルド。

 その言葉にエドルザルドが冷静になっていく様子に内心安堵を覚えつつも、頭の中では別の危惧を考えていた。


(あの四体の死霊騎士。素体が本当に本物だとしたら、この場の近衛の精鋭でも良くて相打ちに持っていけるくらいだろう。それで本当に仇が討てるのならまだいい。でも、ワ―テイルがまだ隠し玉を持っていたとしたら……)


「……この場は警備に任せる!!第一王子宮まで退くぞ!!」


 実直を信条とするエドルザルドが、敵討ちと王国の間で揺れ動く時間は短かった。

 近衛騎士達に動揺を与えないためかルイヴラルドの方を一切見ることのないまま、この場のほとんどの家臣を引き連れて避難していった。


 その様子を見送ったルイヴラルドの視線が、マクシミリアン家公爵家の護衛騎士と共に居るジオグラルドの姿を認めた。


「おや、そこにいるのは誰だ?見たところ、王族の誰かのようないで立ちだが……」


「それはないでしょう、兄上。ついこの間お会いしたばかりですよ」


「お前など知らぬ。私のことを兄と呼ぶのはジオグラルドだけだ。奴は今、中央教会に引きこもって暢気に歴史書を紐解いているはずだ――まあいい、今は他にやるべきことがあるからな。命は助けてやる。疾く、去れ」


 その呆けとしか言いようのない言葉で、次兄はすでに正気を失っていると、ジオグラルドは理解した。


 数日前の面会だけならともかく、確実に把握しているはずのジオグラルドの王都帰還すら覚えておらず、出家時代の記憶で止まっている理由は他には考えられない。


 そして、正気を失っている理由。

 相変わらず血色の悪い顔の次兄からは考えられないほどの力強い動きを見る限り、おそらくは死霊術の――



「……行こう。まずはマクシミリアン卿と合流しなければ」


 そこまでで、ジオグラルドは思考を止めた。


 自分にはやるべきことがある。


 長兄のように国王の敵を討ちつつ王都の安定を図ることでもなく。

 おそらくは白陽宮の前に集まった貴族達に何らかの宣言を行うだろう、次兄の野望を止めるわけでもなく。


 人族の生き残りを懸けた――何より自分の望みを叶える自分の国を打ち立てるために。


 今はただ前に進むために、目の前の脅威から背を向けることを選んだ。

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