第139話 奸計に落ちる


 きっかけは、ティアと初めて出会った日――というより、あのゆるふわドレスの王女様が問答無用に放った火炎魔法によって、久しぶりに死の危険を感じた時のことだ。


 十歳前後の女の子から突然放たれたとはとても思えない、触れた瞬間に俺の体なんか一瞬で燃え上がると確信できるほどの、炎の壁。

 瞬く間に距離を縮め、しかも標的である俺を包みこもうと左右に大きく広がっている火炎魔法。

 しかも、出現の衝撃で動きが数瞬遅れたことで、致命的に時間を失っている。

 もう回れ右して駆け出す余裕も無い。


 そこまで思いが至った瞬間、火炎魔法とは別の理由で全身から汗が吹き出し、命の危険を実感した。


 ――それが、スピードスタイル発現のきっかけだった。






「エルゼーティア殿下は魔法の才に目覚められたころから、お気に召さない家臣や貴族を魔法で半死半生の目に遭わせたことが両の指では足りないとか。そのお転婆ぶりゆえに早くから国王陛下夫妻の元から離され、ジオ様のように宮殿を与えられたのですが。まさかテイルの新たな力の目覚めに一役買うとは。禍を転じて福と為す、ということですね」


「いえ、多分違うと思うんですけど……」


 ――ていうか、あの死の瀬戸際をお転婆の一言で片づけないでほしい。


 それはそれとして、俺とセレスさんが話している場所は、またも屋根の上。

 と言っても、未だに冒険者ギルド総本部でもたもたしているわけじゃない。

 かがんだ姿勢の屋根の下――眼下に広がるのは、さっきまでよりは小ぶりな家々が立ち並ぶ、中小の貴族や富裕層が住んでいると思われる二等地と言った風の区画。


 そして、俺達がいる屋根の家から道を一本挟んで立っている家こそが、リーナを攫ったギムレットとか言う騎士の屋敷だ。


「それよりもセレスさん、リーナがあそこにいるんなら、早く助け出さないと。なんでこんなところに隠れないといけないんですか」


「待ちなさい、テイル。さきほどのレナート様の言葉を、もう忘れたのですか?」


「いや、もちろん覚えていますけど……」


 聞いたのはさっきもさっき、忘れるわけがない。

 だけど、一刻を争う状況の中、『清掃室』なんて部署の連中をわざわざ待つ必要がどこにあるのか、疑問を通り越して不信感すら覚えてしまう。


「テイル、気づいていないようなので言いますが、『清掃室』というのは一種の隠語です」


「隠語?」


「彼らは裏の依頼の際のみ動き出す、グランドマスター直轄の、隠蔽、後始末に特化した複数の冒険者からなるグループです。パーティ登録されておらず、表向きはソロ冒険者の振りをしているので、冒険者業界でその正体を知る者は皆無、代々のグランドマスターだけが詳細を知るとか――来たようですね」


 そう言ったセレスさんの視線の先、ギムレット邸の前の道に、一台の馬車が停まった。

 どこにでもある、普通の荷馬車だと思って見ていると、顔の下半分を布で覆った四人の清掃員が降りてきたのが、強化された視覚にはっきりと映った。


「いや、ただの清掃員じゃ――っ!?」


 その清掃員の一人が、完全に死角になっているはずの俺達の方に向かって挨拶するように手を上げたことで、俺の考えが甘々だったことが一発で証明された。


「行きますよ。まずはギムレット邸の屋根に飛び移り、裏庭に降りてください」


 その指示に素直に従った俺は、再びセレスさんをお姫様抱っこしてジャンプ、なるべく音を立てないようにギムレット邸の屋根を経由して裏庭へと降り立った。


「救出目標は、二階のどこかか階段下の地下室にいる」


「うひゃあっ!?」


 降り立ったところで、いきなり声をかけられて思わず声を上げてしまった。

 恐る恐る振り返ってみると、そこには清掃員の一人の姿が。


「……テイル、いつまで私を降ろさないつもりですか」


 そして案の定、俺の失態に激怒りのセレスさんが、極寒の冷気を漂わせる声で、俺に言命令してきた。

 慌ててセレスさんを降ろす俺を落ち着かせたのは、意外にも声をかけてきた「清掃員」だった。


「騒いでも問題はない。騎士ギムレットはアンジェリーナ=マクシミリアン公爵令嬢をここに監禁した後、誘拐を手伝わせた裏稼業の者達をすぐに帰して、ここにはギムレット一人しかいないと思われる。また、内部は気密性が高い構造で、少々声を上げても中に聞こえる心配はない」


 一体どこで調べたのか、まるで自分の家の様にすらすらと答える清掃員(の恰好の冒険者)。

 しかも、内部の構造やリーナを攫った実行犯の目星まで付いているらしい。

 その知識に、俺がただただ感心しているのとは反対に、セレスさんの表情は暗かった。


「共犯を帰したのですか?しかも、見張りがギムレット一人だけ?奪還の恐れを考えていないのですか?」


「我々の眼を誤魔化せるほどの手練れがいる可能性があるにはあるが、そいつらをギムレットごときが使役できるとは考えづらい。また、出世欲が人一倍強いくらいが取り柄の世間知らずのギムレットが、黒幕の言葉をうのみにして奪還の危険を考えていない可能性は十分にある」


「……結局は、突入してみないことには何もわからないということですね」


「すでに配置は済んでいる。そちらに合わせて、我々も行動を開始する」


「わかりました――テイル、行きますよ」


「あ、は、はい!」


 そう言ったセレスさんが裏庭に面したドアを無造作に開けて、ギムレット邸に入っていく。

 その行動に一瞬面食らったけど、突入を開始したんだと気づき、慌ててその背中を追った。






 勝負は一瞬だった。


「な、なんだ貴様らは!?ここが誰の家か知ってのことか!!」


 口だけは勇ましく、だけど手足を震わせながら、明らかに油断しきった平服姿で、ギムレットは自室の椅子から立ち上がった。

 それでもさすがは騎士、近くの壁に掛けてあった剣を取って鞘走らせたところで、


「遅い!」


 ドアを開け様、セレスさんはすでに構えていた剣でギムレットの右肩を貫き、さらに得意の氷魔法で両足を凍結させ、完全に無力化した。


「リーナ様はどこだ?」


「な、なんのこと――」


 セレスさんの尋問にしらばっくれようとしたギムレット。

 だけど、その答えを予期していたセレスさんの返事は、言葉じゃなく剣だった。


 ドスドス


「ぎゃあああああああああっ!!」


「次、言葉を間違えれば即座に首を落とす。リーナ様はどこだ?」


「ち、地下だ!!」


 悲鳴交じりで叫んだギムレットの言葉を聞き終わらない内に、体は動き出していた。


 スピードスタイルの力を使えば勢いがつきすぎるから、素の身体能力だけでギムレット邸の廊下を走り、階段下にあった古ぼけたドアを力任せに開ける。


 幸いなことに、蝋燭で薄暗く照らされた階段を焦りながら降りて突き当りのもう一つのドアを開けると、椅子と一緒に縛られて意識を失っているリーナの姿がそこにあった。


「リーナ、リーナ聞こえるか?」


 驚かせないように、だけどはっきりと聞こえるように、縛られた縄を黒の剣で切りながら、リーナに呼びかける。


 すると、


「……ん、んう、……テイル?」


「は」


「?」


「はああ、よかったああああああ」


「テイル、なんでここに?っていうか、ここはどこなの?……いや待って、そう、そういうことなのね……」


 一気に気が抜けてその場にへたり込んだ俺に対して、徐々に自分の状況を理解しながらも意外に動揺していないリーナ。

 さすがは大貴族のお嬢様と、心の中で褒めていると、


「テイル、ちょっとこっちへ」


 地上への階段の上にいると思われるセレスさんの声が、ここまで聞こえてきた。

 すると、まだまだ気絶から立ち直っていないはずのリーナが、


「テイル、行きましょう」


「行きましょうって、リーナは大丈夫なのか?なんだったら、お姫様抱っこしても――」


「そういう冗談を言っている場合じゃないわよ!セレスさんの声が緊張していたのが分からなかったの!?ほら、早く行くわよ!」


「えっ、あの、リーナ!?」


 なんだか助け甲斐のない展開だな、と思いつつも、思ったよりもはるかに元気に階段を上がっていったリーナの後を追う。


 この時は、これで一件落着と、暢気に構えている俺がまだいた。






「私では、彼らを浄化する術を持っていません。テイル、お願いします」


「あ、え、ええ?」


「……テイルお願い。この人達がこれ以上苦しまないように」


「あ、ああ――『ファーストエイド』」


 セレスさんがいたのは、なぜかドアに厳重に板が打ち付けられていたと思える部屋の前。


 そして、セレスさんだけじゃなくリーナにまで促されて、半ば呆然としたままで初級治癒魔法を行使する。


 セレスさんによって蹴破られたと思える部屋――その先にいるのは怪我人じゃない。

 むしろ、何もかも手遅れになった相手だと言っていい。


 オオオオオオオオオ


 そう、治癒じゃなくて、浄化なのだ。


 俺のファーストエイドを受けた相手――セレスさんによってそれぞれの四肢を斬り落とされた、部屋の中にいたと思われる男女二体のアンデッドは、治癒魔法の白い光に救われるように、ゆっくりとその動きを止めていった。


「セ、セレスさん、これって――」


「男の方のアンデッドに見覚えがあるわ」


 そう答えたのは、セレスさんじゃなくてリーナだった。


「少し前までお父様の護衛騎士を務めていた、先代のギムレット卿に間違いないわ」


「老いても元騎士。易々とアンデッド化を許すほど無能ではないでしょう――実の息子のような、心を許した相手でもない限りは」


「それって、まさか」


「私を誘拐したのは、ルイヴラルド殿下の差し金っていうこと?」


「これではっきりしました。そして、まんまと一杯食わされました」


 俺の理解が追い付かない中、頭の切れるリーナとセレスさんの間で、一つの結論が導き出された。


「敵の狙いは、私達をジオ様の元から遠ざけることです」

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