第135話 リーナ誘拐


「マクシミリアン卿、殿下の御前です。お控えください」


 激高しているリーナのお兄さんに対して、礼儀を弁えた、それでいてジオへの無礼は許さないという、セレスさんの一言。


 これには、激高していたリーナのお兄さんもさすがに頭が冷えたのか、すぐにその場にひざまづいた。


「こ、これは殿下。お見苦しいところを……」


「謝罪はいい。挨拶も抜きだ、マクシミリアン卿。何があったのか、順を追って話してほしい」


 事態の重さを察したのか、上流階級にあってしかるべき儀礼を無視するように言ったジオは、リーナのお兄さんに先を促した。


「は、事の始まりは、昨夜遅くにアンジェリーナから届いた手紙でした」


 リーナの手紙によると、マクシミリアン公爵家の伝手で用意したドレスや装飾品をどうしても自分の目で確認しておきたいので、明日の朝、つまり今日屋敷を訪ねると書いてきたのだそうだ。


「そういうわけで、ドレスや装飾品の数々、アンジェリーナの好物ばかりの朝食、そして新たな婚約者候補を取り揃えて待ち構えていたのですが、当の本人が一向に現れず、こうして馳せ参じた次第です」


「……途中、余計な情報があったけれど、なるほど、おおよそは理解できたよ。ありがとうマクシミリアン卿」


「いえ、こちらこそ無礼の数々、大変失礼いたしました」


「……ところで卿、お付きの方々の姿が見えないのですが?」


 ジオにそう返したリーナのお兄さんに、セレスさんが言った通りだ。

 公爵家次期当主のリーナのお兄さんの周りに、初対面の時にはあれだけいた護衛騎士が一人も見当たらない。


「ともかくアンジェリーナに会わんと、馬を駆って一足先にやってきたからな。大方、式典の影響で人の多い大通りで私について来れなくなったのであろう。まったく、この体たらくで騎士と名乗るとは、一度厳しく鍛え直さんといかんな」


「……つまり、次期公爵ともあろう御方が、護衛を振り切って妹の元に馳せ参じたというわけですか」


 同じ騎士として同情を禁じ得ないんだろう、珍しくセレスさんが悩ましそうに額に手をやった。


「往時は王国屈指と謳われたお爺様直伝の馬術だからな、多少の混雑など障害の内にも入らぬわ」


 貴族にあるまじき所業を、なぜか胸を張って自慢するリーナのお兄さん。


 ――そういえば、リーナのお爺さんと言えば、ジオが豪傑と評した、あの先代マクシミリアン公爵なんだよな。

 たしか馬術も得意と言っていたから、その血を色濃く受け継いでいるっていうわけか。

 迷惑な……。


 そう思っていると、


「マクシミリアン卿、君の自慢話を聞くのはやぶさかではないけれど、今は大事な用件があったんじゃないのかい?」


「……むっ」


 俺とは違った意味で渋い顔をしていたジオが、リーナのお兄さんに目を覚ませと言わんばかりのセリフを吐いた。


「これ以上の余計な問答は御免だから結論から言うけれど、今この宮殿にリーナはいないよ。というより、君の所の騎士が迎えに来て、マクシミリアン公爵邸に向かった」


「そんなはずはございません!!私は何も聞かされていない!!」


「そうだね。卿の来訪で、僕も異変に気付かされた。仮に公爵本人の命だったとしても、リーナの支度の陣頭指揮を執っていた卿に、なんの断りもなく使者を出したとは考えにくい」


「……すでに殿下は御存じかもしれませんが、父上は近々私に後を譲ると決意され、内々にそのことを伝え始めております。その父上がアンジェリーナのことで、今更私をないがしろにするはずがございません」


「だよね。――時に卿、君にリーナの手紙を持ってきた側近はもしかすると、ギムレットという名前だったりはしないかな?」


「っ!?なぜそのことを……!?」


 マクシミリアン公爵家の家臣なんて何の縁もない俺でも、その名前に聞き覚えがないわけがない――今さっき、リーナを迎えに来た騎士だ。


「その疑問に答える前に、もう一つ聞かせてもらおう。そのギムレットだけれど、今どこにいるのか把握しているかい?」


「は、はあ……」


 さすがに側近とはいえ、一々居場所まで把握していないのか、リーナのお兄さんは不明瞭な声を出した。


 と、そこへ、


「エ、エドワルド様」


 ようやく追いついたらしく、リーナのお兄さんの側近と思える数人の騎士が、執事さんの案内で部屋の中に入ってきた。


「遅いぞ!と言いたいところだが、ちょうどいいところに来た」


 そう言ったリーナのお兄さんは、側近達と小声で何度かやり取りした後、ジオに向かって複雑そうな顔を見せた。


「どうやら、ギムレットは実家の法事があるとかで、昨夜遅くに屋敷を出たようです」


「決まりだね。彼はリーナの行方知れずに何らかの形で関わっている」


「そ、そんなまさか……」


「少なくとも、主の名を騙ってリーナを連れ出したことは間違いない。早急に追手を出すべきだ――と、言いたいところだけれど……」


 そこで初めて、ジオが考え込んだ。


 その時間すら惜しいと思ったんだろう、リーナのお兄さんは激しい怒りを抑えきれないという体のまま言った。


「殿下の御心を煩わせて誠に申し訳ないが、事をはっきりさせるためにも、即刻マクシミリアン公爵家の手でアンジェリーナの行方を追わせていただく!これにして失礼!」


「待った」


「――マクシミリアン卿、お待ちを」


 その、呟くようなジオの声に即応したのは、セレスさん。

 掻き消えるようにジオの側から離れると次の瞬間には、部屋を出て行こうとするリーナのお兄さんの前に、剣の柄に手をかけた姿勢で立ちはだかっていた。


「無礼な!」


「……やめろお前ら。下がれ」


 一戦交えることも辞さない様子のセレスさんに側近達がいきり立つ中、リーナのお兄さんは額に青筋を立てたまま、ジオの方へ向き直った。


「殿下、私の行く手を遮った以上、納得のいく説明を頂けるのでしょうな?」


「もちろん。というより、卿も分かっているはずだ。平時でも大ごとなのに、よりにもよって王位継承発表の当日にマクシミリアン公爵家の手の者を大規模に動かせば、王都に無用の混乱を招きかねない」


「し、しかし……!」


「それにだ、僕の悪い方の予測が当たっていれば、相手方も同規模の戦力を有している。もしリーナの捜索と救出に手間取れば、マクシミリアン公爵家が内戦のきっかけを作ったと印象付けられる恐れがある」


「ぐっ……」


 リーナのためにと、ある程度の覚悟はあっても内戦までは想像していなかったらしいリーナのお兄さんは、悔しそうな表情を見せながら押し黙った。


 だけど、さすがにこのまま引き下がるわけにもいかなかったのか、


「ですが殿下、我が愛しのアンジェリーナが拐されたと聞いて黙っていられるほど、私は老成したつもりはありません」


 言外に、「私を止めた以上は名案があるのだろうな?」と言ってきたリーナのお兄さん。


 それに対して、少しの間思い悩んだ素振りを見せたジオは、なにかを決意したような顔で言った。


「すまないが、卿にはここに残ってもらいたい」


「殿下……?」


「ああ、別に卿の暴走を案じてというわけでは決して無いよ。ただ単に、現状深刻な人材不足にある僕と共に居ることで、警護の手間を省いて欲しいのさ」


「どういうことですか?」


 そう聞いてきたリーナのお兄さんを無視する形で、ジオが見たのは、


「セレス、テイルと一緒にリーナ救出の任に当たってほしい。期限は式典開始まで。かなり厳しい条件だとわかってはいるけれど、王都に混乱をきたさないためにも、またマクシミリアン卿に我慢の限界を超えさせないためにも、この辺りが落としどころだ。どんな手を使ってもかまわないから、必ず成し遂げてほしい」


「かしこまりました」


 そう、決然とした表情で言ったジオに、一切の迷いを見せずに応えたセレスさん。

 唯一と言っていい従者の言葉に満足したジオは、その視線を俺に移し、


「というわけだ、テイル。余計な言を弄するつもりは無いから端的に訊くけれど、まさか断ったりはしないよね?」


「それこそまさか、だな。リーナが攫われたんだろ?むしろ、俺を外したら殴ってでも考えを変えさせたさ」


 何をどうすればリーナを助けられるのか、俺にわかるはずもない。

 だけどセレスさんもいることだし、俺にできることは覚悟を決めることくらいだろう。

 自分でも不思議なくらいに、この時の俺の心は落ち着いていた。


「ははは、それは怖いな。かつてリーナとは、なかなかに心の距離の空いた間柄だと聞いていたけれど、ずいぶんと親密になったものだね」


「それが、一緒にいるってことだろ」


「……うん、違いない。だから頼むよ、テイル。リーナ救出の役目と王都の現状を鑑みるに、君のジョブとスキルが適していると僕は判断した。どうか非力で荒事ではなんの役に立たない僕の代わりに、元婚約者の幼馴染を助けてほしい」


「わかった」


 何ができるか分からない、そもそもリーナの居場所すらまだわからない、不安だらけの状況。

 それでも、この決意だけは確かなものにするために、ジオに向かってはっきりと頷いた。

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