第134話 式典当日の朝に
式典当日の朝だというのに、朝食のメニューを含めた俺達が顔を揃えた光景は、いつもと何の違いも見つけられなかった。
ジオはいつもの通り、相手がいようが独り言だろうがマナー違反にならない程度に喋り続けている。
リーナは対照的に相槌以外は食事に集中しているけど、特に気負った雰囲気は見つけられない。
二人とも、いよいよ人生の大きな節目を迎えるっていうのに、全く緊張の色が見えない。
これが、王子と公爵令嬢の貫禄ってやつなんだろうか。
もちろん、俺自身のことを棚に上げたりはしない。
今の時点で朝食を半分程食べ進めているけど、コップの水をこぼし、ナイフとフォークを逆に持ち、震える手で皿を数えきれないほど鳴らし、手が滑って芸術的な形に焼き上げられた目玉焼きに胡椒ひと瓶丸ごとぶっかけてしまった。
うん、いつも通りの俺だな。
「あーもうテイル、何してるのよ」
もちろんこの醜態の数々が目撃されないはずもなく、苦笑いすら入り込む余地のないリーナの呆れた声が耳に届いた。
「そ、そういうリーナこそ、なんで緊張しないんだ?今日の式典って、結構すごいんだろ?」
「そうね。でも、似たようなことは小さい頃から数えきれないくらいに経験してきているから」
「まあ、本番ならともかく、まだ始まってもいない内から緊張しても仕方ないと、僕達は肌身で分かっているからね」
リーナに続いて、ジオも平然とに言ってのける。
「今日の式典は、王家はもちろんのこと、王都に滞在している大貴族、主だった官僚、一部の大商人など、まさに最大規模の要人が王宮広場に参集し、王位継承を国内外に広く知らしめる一大イベントだ。だから、リーナのような貴族家の嫡子以外にも参加が要請されている」
――ちなみに、そんな式典はごめんだと一応駄々をこねてみたけど、「次兄やレオンなら僕が不在中の宮殿を襲撃することも可能だから、使用人達の身の安全のためにも君は絶対に連れて行く」とジオにド正論を吐かれ、渋々同意した経緯は言っておく。
「面倒なのよね。堅苦しいしきたりに則った式典もそうだけれど、その後に催されるパーティーが鬱陶しいったらないのよ」
「僕はともかく、リーナは王国中の若手貴族の垂涎の的だからね。パーティが終わるまで、ダンスのお誘いが尽きないだろうねえ」
「あら、ジオ様も今回ばかりはそうも言っていられないんじゃない?」
「リーナ様の仰られる通り、臣籍降下によって公王となられるジオ様は、これまでとは違って広大な領地と確かな権力を手にされます。その利権にあやかりたい中小の貴族や商人達にとって、今日のパーティーは千載一遇のチャンスでしょう」
「……な」
「な?」
「なんだって……?」
いつもみたいに余裕の表情で笑うと思っていたら、愕然とした顔で椅子からずり落ちるジオ。
どうやら、ここ最近の忙しさのせいで、すっぽり頭の中から抜け落ちていたらしい。
珍しくやり返したリーナはもちろんだけど、いつも無表情のセレスさんも、ほのかに口角が上がっている気がする。
と、俺の緊張までほぐれるよな和やかな空気が食堂に漂った時、
「失礼いたします」
食事中は滅多なことでは姿を見せない執事さんが入って来て、リーナの耳元で何事かを告げた。
「リーナ、どうした?」
「うん。式典のための衣装なんだけれど、兄上がここまで持ってきてくれることになっていたじゃない?」
「ああ、そういえばそんなことも聞いたような気がするな」
連日のリーナのお兄さんの訪問。
主な目的はジュートノルに帰るリーナへの贈り物だけど、どうやら今日のためのドレスも誂えていたらしい。
「それが、今日の式典の影響なのか、ドレスが届くのが遅れているんだって。それで、実家で直接受け取って着替えてほしいと、迎えが来ているらしいのよ」
「それはまた……」
「うーん、ここには僕とティアのための衣装しかないからね……。さすがに使用人用の衣装でリーナに外出させるわけにもいかない。ここは一旦、実家に帰るしかないんじゃあないかな?」
「そうね……」
と、そこへ、
「殿下、リーナ様のお迎えの方が」
「うん、通してくれたまえ」
「失礼いたします」
そう言って入ってきたのは、騎士然とした恰好をした、長身の男性。
その姿には見覚えがあった。
「貴方は確か……」
「アルベルト様の側近を務めております、ギムレットと申します。アルベルト様から、一刻も早く屋敷に戻られるようにと、伝言をお伝えに参りました」
「……わかったわ。支度をしてくるからちょっと待ってちょうだい」
「いえ、全て屋敷の方で支度を済ませておりますので、そのままで結構とのアルベルト様の御言葉です」
「そう?――なら、ジオ様」
「うん、あとで王宮で会うとしようか」
送り出すジオの言葉に頷いたリーナは、そのままギムレットと名乗った男性と一緒に食堂を出て行った。
「うーん、さすがのマクシミリアン公爵家でも、今日の支度には手こずったのかな?どう思う、セレス」
「式典のためにドレスを新調しようという、貴族家の女性は数えきれないほどいるでしょうが、はたしてマクシミリアン公爵家の御用商人が仕事をしくじるなど、少々考えにくい事態かと」
「だよねえ。――まあ、他所の家に首を突っ込むのもなあ。それよりも、まずはこっちの支度を済ませないとね」
この時は、そこで話で終わった。
朝食後(胡椒の山が積まれた目玉焼きはちゃんと食べた)、すぐに衣装合わせの時間に突入し、良くも悪くも慣れてしまった着せ替え人形の気分に浸った後、王子の従者っぽい恰好でジオ達との集合場所の一室で一足先に待っていると、
「待たせたね」
「お待たせしました」
もうなんかどこがどう凄いのか分からないくらいに、豪華な黒の衣装に身を包んだジオと、勇ましくも中性的な美しさを兼ね備えた格好のセレスさんが入ってきた。
「ああ、今はお茶は無しだから。式典中に小用で中座なんてみっともない真似、絶対にできないからね」
そういうわけで、この待ち時間の間に式典でのことを改めて訊こうかと思った、その時だった。
「……、――!」
「どけ下郎!!」
聞こえてきたのは、小声で何かを制する執事さんらしき気配と、ドア越しにも聞こえるほどの大音量の怒声。
そして、
ドガアアアンッ!!
「どこだ!!どこへやった!!」
現れたのは、大貴族の次期当主の体面をかなぐり捨て、ドアを蹴破って入ってきた、荒ぶるリーナのお兄さんだった。
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