第133話 その日までのあれこれ
治癒魔法の温かい光が、黒焦げになった葉っぱだったものを押しのけて生えてくる新芽に活力を与えて成長を促していく。
「ちょっとテイル、まだ終わらないの?――アレク、そろそろ読み終わるわ」
「次の巻を取ってまいります」
「ついでにジュースもお願いね。ああ、氷はいいわ。魔法で冷やすから」
「かしこまりました」
「ふう、なんだか今日は日差しが強いわね。春ももうすぐという証なのかしら。ねえテイル」
「ちょっと黙っててくれないか!!治癒術は集中力を維持するのが大変なんだよ!!」
ここは第三王子宮の庭のど真ん中。
すぐ側には、設置型の大きな日傘にテーブルと椅子を持ち込んで優雅な読書に勤しんでいるティア。
それと、普段、第三王子宮中の全部の庭木の管理と手入れをしている、しおしおに打ちひしがれた様子の庭師のおじいさん。
そして、ティアが黒焦げにした花壇に向かって全力で『ファーストエイド』をかけている、俺。
この奇妙な取り合わせと状況に陥った発端を話すには、数日前に遡る必要がある。
ジオの、ジオによる、ジオのための公国樹立という衝撃の話を聞いた翌日。
「やれやれ、公国のためとはいえ、日に日に相手の爵位や位階が上がっていくのは気が重いよ」
「では、留守をお願いします」
ジオとセレスさんは、これまで通りに外出の日々。
昨日の話で、これまで公国樹立のために根回しや協力のお願いをしていたとわかったわけだけど、いよいよ詰めの段階に入っているらしい。
そう、若干うんざり気味に話すジオと、その背中を押して(比喩じゃなくて)一緒に馬車に乗ったセレスさん。
その二人の顔に、今まではなかった疲れみたいなものが見えたことに、手伝えることがないとわかってはいても心配になってしまう。
これまでは外出することが多かったリーナだけど、最近はずっと宮殿に残っている。
ただし、「俺と一緒に残っている」というわけじゃない。
「アンジェリーナ!!今日は宝石商を連れて来たぞ!!」
代わりにリーナを独占しているのは、マクシミリアン公爵家次期当主のリーナのお兄さん。
毎日(の様にじゃない)、護衛騎士達と御用商人らしき一団を引き連れて宮殿を訪れては、リーナのために買い物をしている。
どうやらお兄さんは、ジュートノルで本格的に住むことを決意したリーナの生活を心配して、身の回りの物を揃えてプレゼントするつもりらしい。
ただ、御用商人が待ちだす商品が、宝石やら、ドレスやら、高級家具やらだったりして。
冒険者として身を立てるつもりのリーナに、ジュートノルでも貴族の暮らしをさせる気なんだろうか?
冒険者ギルドのグランドマスターのレナートさんとその秘書のテレザさんも、相変わらず顔を見ていない。
ジオとセレスさんと違って、全く音沙汰がないので何をしているのか分からないけど、王位継承の式典と無関係っていうことはないんだろう。
――そろそろ帰る日も近づいているけど、訓練はどうなるんだ?
と思っていたら、意外な形で音沙汰が来た。
『これから式典前日まで、治癒術に特化した訓練を課します。詳しい指示はティアエリーゼ殿下から聞いてくださいね』
そんなテレザさんからの短い文章が、なぜかアレクさんから渡された手紙に書いてあった。
「特訓よ!!」
そして、魔法以外の教官役を任されて、急に張り切り出したティア。
だけど、飽きるのも早かった。
「ちょっとテイル、まだ治せないの?無能なの?」
テレザさんからの訓練の内容は、ずばり大規模な治癒術の行使。
ティアの魔法の訓練で、黒焦げの庭という無残な光景が日々拡大している第三王子宮。
丹精込めた庭を破壊されている庭師のおじいさんがさすがに可哀そうだということで、主であるジオが何とかしようと相談した結果、テレザさんから一石二鳥のアイデアが飛び出したらしい。
ただ、この訓練にはちょっとした問題があった。
「まったく、このくらいの範囲の治癒も一瞬でできないなんて、やっぱりテイルはダメね。やっぱりわたしがちゃんと手取り足取り、魔法を教えてあげないといけないみたいね」
パタンと読み終えた本を閉じて、アレクさんが持ってきたジュースに口をつけながら、ちょっと嬉しそうに話すティア。
だけど、これにはさすがにひと言言いたい。
治癒魔法は、他の属性と違って魔力の効率が段違いに悪い。
ナイフで切り傷をつける時間と、その傷を消毒して薬を塗って治す時間と、どっちが長くかかるかは言うまでもない。
ちょっと例えとしては違うらしいけど、前にテレザさんから教えてもらった話の中で、一番印象深いエピソードだ。
つまり、ティアが一瞬で庭の一角を火炎魔法で焼き尽くすのと、俺がファーストエイドでコツコツ草木を再び成長させる、この二つの時間と労力を一緒にしないでほしいってことだ。
――まあ、魔法の途中で無駄話をしたら教官殿が激怒するから、今は言わないけど。
治癒魔法の扱い、特に魔力のコントロールは、とても繊細で難しい。
注ぐ魔力が弱ければ十分な癒しの力は得られないし、逆に強すぎれば治癒対象が何らかの異常をきたす危険がある。
「――あっ!?」
例えばこんな風に、成長しすぎてしまった花が一気に枯れたりする。
これまでは、ほとんど自分の体にしか使ってこなかったこともあって、限界点よりもかなり弱めにファーストエイドを使って来た。
今回の特訓は、自分以外へ注ぎ込む魔力の加減を見極めて、最も効率のいい治癒魔法の使い方をマスターするっていうのが、テレザさんからの指示のようだ。
その練習台として、第三王子宮の庭の黒焦げと化した草木を使おうっていうのは、さすがに考えることが違うっていうかなんていうか。
「ふう、終わったぞティア……?」
どうにかこうにか、黒焦げだった芝生を前と見分けがつかない程度まで治癒して、後ろで見守っているティアに声をかける。
すると、
「スー、スー、……やあ、まだかえりたくないの」
どんな夢を見ているのか、寝言を言いながら椅子に寄り掛かるティアの緩み切った寝顔がそこにあった。
「テイル様、今日はここまでにしていただいてよろしいでしょうか?」
「あ、はい。もちろんです」
いつの間にかに戻ってきたのか、手にしていたブランケットをドレス姿のティアの体に掛けるアレクさん。
いつもティアを通してしか話すことがない人だけに、直接話しかけられたせいか、ちょっと口ごもってしまった。
そんな俺に、
「ありがとうございます、テイル様」
唐突に、アレクさんは感謝を伝えてきた。
「姫様のこれほど安らかな表情は、ジオグラルド殿下とのお時間以外で見たことがございません。私の勝手な推測ですが、姫様はテイル様に家族のような親近感を抱いていらっしゃるのだと思います」
俺とそう年は変わらないはずのアレクさんの表情に、我が子の幸せをかみしめるような、大人びた色が見える。
平民の俺に対しても礼を尽くす、品行方正なアレクさんにそう言われて、俺の心にも温かいものが宿る。
「そう言ってもらえるのはありがたいですけど、ティアにとって俺なんか、せいぜい頑丈なおもちゃが関の山じゃないですか?」
「そんなことはございません。姫様が近頃、テイル様への親愛の情を漏らすことが多くなりました。それが具体的にどのような思いかまでは、執事たる私には分かりかねますが、姫様にとってテイル様が大事な御方であることは間違いがございません」
そう言うアレクさんの、ティアに注がれる眼差しはどこまでも優しい。
そう、俺なんかよりもよっぽど家族と呼ぶにふさわしいくらいの――
「姫様をお頼み申し上げます」
また、唐突なセリフを言ってきたアレクさんに、俺は言葉が見つからない。
「近く、ジュートノルに御帰還されることは承知の上で言わせていただきます。たとえ僅かな間でも、今のこの時間が姫様にとってかけがえのないものであることは疑いようがございません。ですから、時間の許す限りで構いません。姫様との時間を大事にしていただきたいと、伏してお願いするばかりにございます」
そう言って、深々と頭を下げたアレクさん。
俺は返事をしなかった。
ジオの予定に合わせて俺の全てが決まっている以上、不確かなことは言えないと思ったからだ。
だけど、否定もしなかった。
それが、俺からアレクさんへの、精一杯の無言の返事だった。
そして、式典当日の朝を迎えた。
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