第126話 今日この日


「なんだいなんだい、帰って来るなりリーナに縋りつかれるし、僕以外は通せないってセレスとひと悶着あったし。もちろん、納得のいく説明をくれるんだろうね、レナート」


 ジオが外出から帰ってきたのは、その日の夕方。


 それまでの俺はというと、腕を掴んで儀式の場から強引に連れ出されたと思ったら、本館の空き部屋の一室に放り込まれて、そのままレナートさんの監視のもと、ずっと動けずにいた。

 途中でトイレに行きたくならなかったのは不幸中の幸いとも言える中、絶賛監禁されている俺からの質問を「殿下が帰り次第話す」の一点張りですべて拒否してきたレナートさんに文句の一つも言わなかったのは、俺の不用意な一言が全ての原因だという自覚くらいはあったからだ。


「どうもこうもないぜ。殿下、あんたどこまで知ってんだよ」


 第三王子のジオに対して、全く気後れしないレナートさん。

 いつもの気だるげな雰囲気は鳴りを潜め、真剣そのものの目つきでジオを睨んでいる。

 セレスさんの同席すら拒んだことからも、その本気が窺える。


「どこまでと言われてもねえ。テイルに関して、当たり障りのないところは一通り伝えたつもりだよ?」


「じゃあ、その当たり障りのあるところを話してもらわにゃならんかもな」


 そう言ったレナートさんは、リーナのクラスチェンジの儀式の間に起こった一部始終を、ジオに話して見せた。


「……なるほどね、レナートの言い分は分かったよ。だけれど、僕に文句を言うのは八つ当たりだね」


「は?テイルの後ろ盾は殿下だろうよ?」


「うん、その自覚はある。でも、テイルのクラスチェンジに関して、僕はまだ本人から聞いたことは無いんだよ」


「マジかよ……」


「僕とテイルじゃあ身分の差があり過ぎて、下手な圧力は関係を破綻させかねないんだよ。だから、純粋な信頼関係こそが大事なんだ」


 そう言ったジオと、ガックリと来ていたレナートさんの視線が、同時に俺の方へ向いた。


 ――あ、二人の次のセリフ、聞かなくても分かるぞ。


「「さあ、そろそろ話してもらおうか」」






「……第三王子として生まれてこの方、このセリフは言ったことは無かったけれど、今日は使わざるを得ないね――聞かなければよかった」


「神自らがクラスチェンジの儀式を行った?それじゃまるで先史文明の神話じゃねえか……」


 俺の話を聞いて、言葉自体は別々でも意味するところを一緒という点でも、俺の予想を裏切らなかった、ジオとレナートさん。


 ――皮肉にも、アレとのやり取りをこれまでジオにも話さなかった、俺の判断が正しかったと証明された瞬間でもあるな。


「にわかには信じられない話だけれどね。ノービス神なんて神の存在は、アドナイ王家にも伝わっていない」


「だけどよ殿下、それじゃテイルのジョブの恩恵も否定することになりはしねえか?少なくとも、冒険者ギルドのグランドマスターとして、テイルが唯一無二のジョブを有していることを否定する見解は出せねえぜ」


「もちろん、それは分かっている。そして、ノービス神の存在を認めることで、色々とつじつまの合う点も出てくる。……参ったな、陛下への謁見は明後日だっていうのに、今から徹夜で作戦の練り直しだよ」


「俺の方でも、計画の軌道修正だな。まずはテレザとの口裏合わせからだが――」


 ジオに続いて、何やら悩み始めたレナートさん。

 その目がふいに俺を睨んだ。


「まずはお前だ、テイル。わかってると思うが、今日俺に言ったことは絶対に他の奴には言うな。できれば、お前の方から殿下に相談するのもよせ。できる限り、他者に漏れる可能性を潰しておきたい」


「ジオにも?でも、それじゃ……」


「わかってる。今日は偶々俺にポロッと言っちまっただけなんだろう。そもそもお前ひとりの胸に抱え続けるのが難しいから、いつか誰かに相談したかったって無意識の意図があったことは。だから、今から俺が言うことをよく聞け」


 そう言ったレナートさんは、ジオの方を見て無言の了解を取り付けると、「一度しか言わないぞ」と、前置きした上で言った。


「お前がノービス神から受けたっていうクラスチェンジの儀式。それは、先史文明以前に行われていた古の方法で、今じゃ禁忌として王家やごく一部の関係者だけが知る秘事だ。知るだけでも大罪、ましてや、古の儀式を実行したなんて四神教の総本山に知られたらどうなるか、正直俺にも見当がつかない」


「下手をすれば、アドナイ王国ごと消されるかもしれない。だからテイル、僕達を助けると思って、以降は自重してくれることを期待しているよ」


 重苦しい口調のレナートさんに、表面上はいつものジオ。

 好対照の二人だけど、本音は一緒だと言わんばかりの説得に、俺はただ頷くことしかできなかった。






 あれから二日。


 ジオは謁見の準備とやらで忙しいらしく、セレスさんと二人して、食事にも姿を見せなくなった。


 レナートさんも、「悪いな」と捨て台詞を残しまま、その後は第三王子宮に来ていない。

 ジオと同様に忙しくなったからだ、と思いたいけど、テレザさんにサボっていたのがバレて謹慎中だっていう可能性も否定しきれないから、微妙なところだ。

 当然、普段からレナートさん以上に忙しくしているテレザさんも同様だ。


 さらに、リーナとも滅多に顔を合わせなくなった。

 どうやら、朝から夕方まで実家に立ち寄っては、マクシミリアン公爵家お抱えの騎士相手に稽古をしているらしい。

 それなら俺もと、役者不足を承知の上で稽古相手に立候補してみたけど、「ま、まだダメ!!」と勢いよく断られてしまった。


 ――何がまだダメなんだろうか?


 さて、そんなわけで唐突に自由の身になって暇を持て余し――なんてこともなく、残る一人となった教官殿との訓練に邁進するこの二日間だった。


 だけどこれ、訓練か?


「ちょっと!背もたれが動いたらゆっくりできないじゃないの!」


「あ、ああ、ごめん」


 そう言って崩れかけていた姿勢を戻すと、俺を背もたれ代わりにしていた教官殿――ティアが満足そうに手にしている本に意識を戻した。


 ――いやこれ、訓練じゃないだろ。


 こうなったきっかけは、リーナのクラスチェンジの儀式の数日前に遡る。


「私と一対一で本気で勝負しなさい!」


 その日の訓練開始前に、いきなりそう言ってきたティア。

 何事かと、ティアの執事のアレクさんに聞いてみると、


「テイル様の御力のことをわたくしが偶然耳にいたしまして。前々から姫様からテイル様の情報を集めるように仰せつかっておりましたので、お伝えいたしました」


 ――あんたが元凶か!?


 とまあこんな感じで、マジックスタイルのことを知ったティアが、いままで手加減されていたと勘違いし、激高しながら(俺の眼にはプンプン怒ってって感じで)魔法勝負を申し込まれたわけだ。


 まあ、この時の勝負の模様は割愛するとして、結論から言えば勝負は引き分けに終わった。

 と言っても、俺も今の全力を出した結果だし、ティアもそれなりに満足できる内容だったのは間違いない。

 被害者がいるとしたら、何精魂込めて作った庭を、何度目になるか分からない魔法の炎や氷や風や土の塊なんかで台無しにされて、涙が止まらない庭師のおじいさんだけだろう。


 ――いや、もう、本当にすみません。


 そんなわけで、それ以降のティアの態度が一変した。

 一変したっていうか、馴れ馴れしくなった。

 その証拠は、庭の芝生を絨毯に、俺の体を背もたれ代わりにして読書に勤しんでいるティアの様子からも、一目瞭然だろう。


「なあ、ティア」


「何よ、テイル」


「今日は、魔法の訓練の日じゃなかったか?」


「今日は気分が乗らないわ」


「今日は休みなんだな。じゃあ俺は自分の部屋に――」


「誰も休みだなんて言っていないわよ!無礼な平民ね!」


「いや、どう考えても訓練なんてしてない――」


「テイルの体の丈夫さを確かめる訓練よ!私がいいと言うまで絶対にここから動かないのが今日の訓練なのよ!」


「姫様。今日の季節の果実のジュースはいかがですか?」


「ありがとうアレク」


 ちゅーーー


「ふう、酸味がきいてて美味しいわね。テイル、持ってなさい」


「いや、だからなんで俺?」


「不満なの?なんだったら飲んでもかまわないけど?」


「あ、そう?じゃあ」


 ちゅーーー


「なんで飲むのよ!!」


「理不尽だな!?」


 そんな、騒がしくもテンション高い掛け合いをティアと続けていたせいだろうか。

 時間を忘れるほど楽しかったのか、気が付いた時にはすでに日は傾き始め、日の光を浴びた温かさから夜の気配がする涼しさへと、庭の空気が変わり始めていた。


「ティア、今日はこのくらいにしないか?」


「え?……じゃ、じゃあ、訓練の続きはまた明日ね」


 残念そうな顔をしながらも、その背伸びしたお姫様の言葉に思わずクスッとしそうになったその時、


「やあ、テイル」


 庭を覆いつつある冷気に乗るように、ジオが一人でゆらりゆらりと歩いてきていた姿を、つい見逃していたことに今気づいた。


「ジオ……?」


 いや、それだけじゃない。

 張り切るでもなく虚脱するでもなく、ジオの気配が幽鬼のように薄いせいで、冷気に紛れてしまったんだ。


「テイル、僕は王子を辞めるよ」


「は……?」


「そして、公国を樹立し、来る災厄に僕の力の限りを尽くして対抗する」


 それなりに付き合いの長いジオの突拍子のない発言には慣れてきたつもりだった。

 それが大きな間違いだったってことに改めて気づいたのが、今日この日だった。

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