第121話 忍び寄る脅威
あのあと。
ジオ、セレスさん、リーナの三人が次の予定へと向かった背中を見届けた俺は、そのまま踵を返してミザリー大司教の部屋へと戻った。
もちろん、平民の俺がいきなり大司教に会えるなんて普通はありえない話だけど、ついさっきまでジオのお供として同行していたことと、忘れ物をしたというもっともらしい理由で、なんとか取次ぎ役の僧侶に中に入れてもらえた。
「あらまあ、テイルさん。どうされたのですか?」
そして、ジオがいないところでも変わらずに丁寧な物腰で応じてくれた、ミザリー大司教。
その大司教に、すぐそこの廊下でジオ達と交わしたやり取りをできるだけ手短に伝えると、にこやかだった表情が一変した。
「すぐに支度をします。テイルさん、少しの間待っていてくださいね」
そう言って、奥の部屋に引っ込んだ法衣姿のご婦人を、ジオにあてた手紙でも書いているんだろうなと思いながら、改めて意外と質素な大司教の部屋をソファに座って眺めていると、
「ごめんなさいね、お茶も出さずに」
奥のドアが開くと共に聞こえたミザリー大司教の声のした方を見ると、清潔感のある制服を身につけた掃除婦らしき老婆が、腰を大きく曲げてよろよろとこっちに歩いてきていた。
――まあ、有体に言ってしまえば、この掃除婦の正体が変装したミザリー大司教だったわけだ。
人族っていうものはよっぽど注意力散漫な生き物らしく、服装と体の姿勢や動きが変わってしまうだけで別人だと思ってしまうものみたいだ。
よくよく見てみれば、顔自体は多少化粧を変えたくらいだし、奥の部屋から出てきた時点で気づいても良さそうなものだ。
そんな風に自分を呪っている俺だったけど、驚きはこれで終わりじゃなかった。
「さすがにこの格好で、大司教の部屋から出ては不自然ですもの。なので、裏口から外に出ましょう」
よく巷の噂で、王宮や貴族の屋敷にはいざって時のための秘密の脱出路があるなんて言うけど、ミザリー大司教に案内されたのは、まさに中央教会に密かに造られたうちの一つだった。
と言っても、その脱出路の入り口である奥の部屋に入る前に「ごめんなさいね」と、目隠しと耳栓をお願いされた上、妙齢のご婦人に手を惹かれての裏口の道行きだったので、何も見ていないし聞いてもいない。
――実際は、嗅覚と触覚は健在だったから、手がかり的なものがが全く無いわけでもないんだけど、そこは言わぬが花だろう。
そんなわけで、脱出路の出口である中央教会の敷地外のある場所に辿り着いた後、正門の植え込みの陰に陣取って、ジオ達が出てくるのを待ち構えていたというわけだ。
もっとも、この時の俺は、自分がどれだけ重大なことを気まぐれに口走ったのか、まるでわかってはいなかったんだけど。
「さて、改めてお話を伺いましょうか」
事が事なので、馬車の中ではさっきの続きのように雑談に終始しての、第三王子宮。
やっぱり俺の拙い説明じゃ不足だったらしく、いつもの応接室じゃなくて奥まった一室に腰を落ち着けた途端、掃除婦の変装のままのミザリー大司教はそう切り出した。
「では、僭越ながら私が」
応じたのは、この中じゃ一番説明が上手そうなセレスさん。
予想通り、ジオのようにもったいぶらず、リーナのように偉ぶるでもなく、そして俺のように行き当たりばったりでもなく。
実に簡潔でわかりやすく、ミザリー大司教にあの時の状況を説明した。
「まず、中央教会として確かな事実から言っておきましょう」
まるで説明を聞く前から決めていたように、間髪入れずに切り出したのは、ミザリー大司教だった。
「教会が死と隣り合わせの存在であることは周知のことですし、実際に中央教会の敷地には、葬儀から埋葬の一切を執り行える施設も存在します。ですが、それらは厳格に区分けされた上に人の出入りも厳しく制限されています。ましてや、王侯貴族もしばしば出入りする中央教会の中枢たる本棟に、死の気配を持ち込ませることなどあり得ません」
「つまりだ、テイルが嗅いだという死の匂いは、単なる勘違いか、もしくは――この先は、専門家の方にお尋ねした方が、より正確でしょうね」
「あーーー、まじかーーー。なーんでまた、俺の代になってこんな厄介ごとに……」
そう言って頭を抱えたのは、唯一馬車の中にはいなかった、冒険者ギルド総本部グランドマスターのレナートさん。
たまたま遊びに来ていたところで(サボりに来たとも言う)、戻ってきた俺達と出くわして「ちょっと来たまえ」と問答無用でこの場に同席させられた。
本人は、主不在の第三王子宮に約束もなしにやって来たことを叱られると思っていたらしいけど、真実はもっと過酷で残酷だった。
「それで、どうなんだいレナート。君が秘書のテレザ嬢と組んで、数々の極秘依頼をこなしてきたことは僕の耳にも届いている。そして、アンデッド絡みの依頼が結構な割合を占めていたこともね」
「それだったら、アンデッドの浄化ができるテレザを呼び出せばいいでしょうが。俺は別に、アンデッドの専門家じゃあないんですよ」
「それは無用です」
ジオに代わってそう言ったのは、ミザリー大司教。
「秘密を知る者は一人でも少ない方がいいというのは当然ですが、私達が今議論しているのは、アンデッド退治ではなくアンデッドの見分け方なのです。もちろん、中途半端な不死化で肉体の腐敗が進んだ下級アンデッドではなく、不死の神の恩恵に魅入られ、禁断の儀式を経て完全な不死化を果たした上位種のことですよ」
――『リッチ』
頭を掻きながら、面倒くさそうに一言呟いた、レナートさん。
ただしその目は、いつもの気だるげなものではなく、獲物を見定める鋭い光を放っていた。
「こんなに分かりやすい事例、俺が口を出すまでもない。香を焚いて死の匂いを隠し、そこにアンデッドの姿はなく、ジオグラルド殿下ですら見抜けないほど受け答えもはっきりしていた。なら、その部屋のどこかにリッチがいたと断定せざるを得ない」
「殿下、念を押させていただきますが、その場には何人ほどおられたのですか?」
「貴方が推測する通りだよ、ミザリー大司教。挨拶に伺った僕とセレス、そして、病の治療中だった次兄のルイヴラルドとワ―テイル筆頭司教の四人だけだ」
「無礼を承知で言っておくが、ジオグラルド殿下とセレスは違うわな」
ぬけぬけとそう言ったレナートさんの視線が俺に向く。
「だろうね。仮に僕かセレスか、あるいはその両方がリッチだったとしたら、この事態を察知したテイルがとっくの昔に騒いでいないと辻褄が合わない」
「そ、そうよね。ジュートノルで何度も顔を合わせているし、王都までの旅ではずっと一緒だったんだもの。それはありえないわよね」
これまでずっと黙っていたリーナが、安心した様子を隠しきれずにそう言った。
「まあ、過去には長年連れ添った夫が実は高位のリッチだったと妻が知った事例もあるから、完全に除外するのは尚早なんだけれどね。今回は、僕とセレスよりもはるかに疑わしい容疑者がいるからね」
自分で自分の首を絞めるようなことを言ったジオが、それでも確信を持った目でミザリー大司教を見る。
「……教会の、それも司教以上の信徒は、その全てが不死の力を浄化して元の肉体に戻せるほどの能力を有しています。ですが、それは同時に、アンデッドの知識に詳しくなる、不死の神の偉大さに近づくということでもあります。リッチ化の儀式の方法を知っていて、なおかつ儀式を完遂できるほどの魔力を有している人物となると、広大な版図と多くの民を有するアドナイ王国でも、その数は限られてきます」
そこで、いったん言葉を切ったミザリー大司教。
だけど、いつもは横から口を出すジオが、この時はただただ見守っていた。
まるで、「こればかりは貴方の口から言うべきだ」と言っているかのように。
「ワーテイル筆頭司教には、リッチとなった強い疑いがあります。そして、そのワ―テイル筆頭司教と急激に距離を縮めているルイヴラルド殿下もまた、リッチと化しているか、協力者となっている恐れがあります」
アドナイ王国に、激震が走ろうとしていた。
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