第120話 匂いと予定と掃除婦と


「いやー、お待たせ――って、テイル、どうしたんだい、顔が赤いよ?」


 よっぽどの気苦労があったのか、右手の親指と人差し指で眉間を揉みながら歩いてきたジオと、さっきの焼き直しのように無言で会釈してきたセレスさんの二人。

 そのジオから客観的に指摘されて、思わず顔を背けつつ、リーナの方を見てしまった。


「ははーん、さては何かあったね?仕掛けたのは……リーナの方かな」


「なっ!?この……!」


 さっきの俺達のやり取りを知るはずもない、当てずっぽうもいいところのジオのからかいに、うっかり反応してしまったリーナ。


「あっ……」


 だけど、手をやった先に相棒である剣の柄を掴めるはずもなく、あっという間に弱々しい一面をさらけ出す。


「はっはっは。いつもやられっぱなしの僕だけれど、教会の中ではリーナに負けることはないようだね!」


 ――それはお前がいつも一言多いせいだろ。

 あとついでに、その論法で行くと、教会を出た後でいつもの調子を取り戻したリーナに倍返しされる未来しか見えないぞ。


 という呟きを心の中だけに留めた時、


 サワサワ


 外の庭木をざわめかせながら、近くの半開きの窓から爽やかなそよ風が吹き込んできた。


 と同時に、


「……?ジオ、今日は香水でもつけてきたのか?」


「いや、僕に香水を嗜む趣味はないけれど……ああ、おそらく、次兄のところで匂い移りしたかな」


 俺の質問に一瞬首を傾げたジオが、思い当たった顔を見せた。


「第二王子の?」


「うん。どうやら次兄は、ここ最近頻繁に中央教会を訪れているらしくてね。筆頭司教の……なんだっけ?」


「ワーテイル司教です、ジオ様」


「そう、そのワーテイル司教だ。彼が独自に調合するお香が、次兄の持病によく効くとのことで、今日の話題の大半がワーテイル司教を称賛する内容だったよ」


「護衛騎士の立場で言わせていただければ、主の行くところ全てに同行する責務があるとはいえ、あれほど強烈な匂いを終始嗅がされていては、心身ともに疲れが溜まっていてもおかしくはありません。その様子が、ルイヴラルド殿下の護衛達に見て取れました」


 言外に、心底気疲れしたと言わんばかりに首をすくめたジオに、第二王子の護衛達に同情するセレスさん。


 ――そうか、それで……


「それなら納得だ。ここは教会だから、死体の匂いが混じっていて当然だよな。なあリーナ」


「え、ええ。確か、教会では亡くなった教会関係者や貴族の葬儀も執り行っていたはずだから、そういう匂いが紛れてもおかしくはないかも――どうしたの、ジオ様?」


 自分の中で生まれた違和感を振り払うように、ジオではなくあえてリーナの方を向いて喋った俺。


 だから、いつものように「さすがはテイル、鼻が利くものだね」と冗談めかして締めくくってくれると確信していたジオとセレスさんが、まるで全身の血の流れが止まったかのように凍り付いていたことに、背筋に震えた。


「テイル、今、なんて言った……?」


「え、いや、その」


「もう一度聞く。なんて言ったんだ?」


「べ、別に特になにも……」


「テイル、能書きは結構、ジオ様が訊いた通りに答えなさい」


 ジオばかりか、普段は抑え役のセレスさんまで同調してのこの剣幕。

 すでに吐いた言葉を飲みこめるわけもなく、俺に残された選択肢はただ一つしかなかった。


「ジオとセレスさんから、微かに死臭がしたんだよ」


「………………」


 俺の、その言葉を繰り返した後に起きたのは、ジオの長い沈黙。


 ここはミザリー大司教の部屋の前とはいえただの廊下の突き当りなので、時々神父やシスターらしき法衣や、教会騎士の鎧姿が視界の奥に映る。

 中には、そんなところで何を突っ立っているんだ?という視線も送られてくるけど、沈黙するジオとそれを見守るセレスさんの主従は一向に気にした様子がない。


 俺もリーナもわけが分からず、いよいよ我慢できずに声をかけようと思い始めた時、


「……まずは、予定通りに教会での用を済ませよう」


 苦悩と迷いが入り混じった顔から一転、思い定めた表情になったジオが、厳かにそう言った。


「ジオ様……?」


「今は、普段通りの行動を心掛けるのが一番だ。もしかしたら、相手から監視されている恐れもある。急な訪問の上にさらに予定を変更しては、向こうに感づかれるかもしれないからね」


「ジオ様、一体何を――」


「悪いけれど、リーナ、君にもしばしの茶番に付き合ってもらうよ。貴族らしからぬその恰好だけれど、教会には面識のある人物もそれなりにいるだろう。君の容姿は少々目立つから」


 そう言われて、上等ながらも動きやすさを重視した自分の服装を改めて見るリーナ。

 確かに、一見公爵令嬢とは思えなくても、人目を引く外見であることは間違いない。


「で、でも」


「リーナ様。ここはジオ様の言う通りに」


「……わかったわ」


 ジオだけでなくセレスさんにまで諭されて、不承不承に頷くリーナ。

 やっぱり、大貴族の令嬢ともなると、時には自分を押し殺して行動する必要があると理解しているっていうことなんだろう。


「さて、テイル」


 当然、俺にも同じように「黙ってついてこい」という感じのジオの言葉が来ると思っていたら、


「君には一つ、頼みがある。ちょっと忘れ物を取りに行ってきてくれないか?」


 と耳打ちされた。


 ――全然外れていた。






 それからしばらくして。


 空の色が青から夕焼けに染まり始めたころ、中央教会の正門前に一台の豪華な馬車が停まり、待ち受けていたジオとセレスさん、そしてリーナが優雅に乗り込む。


 そして、御者によって恭しく馬車のドアが閉められようとしたその時、


「ま、待った……!!」


 正門の外、植え込みの陰からタイミングを見計らっていた俺が全力ダッシュして、御者の肩を掴んだ。


「貴様、何者……!?」


 事が起きているのは敷地外とはいえ、教会の客に何かあってはと、正門警備の衛兵が詰め寄ってくる。


 そこへ、


「お役目ご苦労です。そこの男は、別用を申し付けていた使用人です。何も問題はありませんので、どうかお引き取りを」


 馬車の中から顔を出したセレスさんの言葉によって、俺の背中に槍を突き付けていた衛兵が素直に引き下がってくれた。


 そして、改めて御者を引き留めて、周囲を素早く確認した後、


「もう大丈夫です」


 そう言って、植え込みに隠れていたもう一人を招き寄せた。


「ちょっとテイル、勝手に何を……?」


 先にそのもう一人――目元以外を布で覆った、年老いた掃除婦の大きく曲がった腰に手を添えて馬車に乗せようとすると、慌てたリーナが注意してきたけど、


「リーナ、馬車の持ち主は僕だよ。勝手なことは言わないように」


「……なによ、ジオ様のくせに」


 逆にジオに注意返しされて、ちょっといじけたように座り直した。


 どうやら、剣が戻って来たことでいつもの調子を取り戻したみたいだ。


 ――すぐに、もっと驚いてもらうことになるだろうけど。


「ジオ、連れてきたぞ」


「お役目ご苦労だね、テイル――そしてようこそ、我が粗末な馬車へ。リーナの無礼はお許しください」


「……ふふふ、私も久しぶりのお忍びで気分が良いので、少々のことは気にしませんよ」


 ドアが閉じられて進み始めた馬車の中。

 三人くらいは優に座れるソファに腰を落ち着けた突端、曲げていた腰をまっすぐに伸ばし、顔を覆っていた布を取り去った掃除婦――変装したミザリー大司教が上機嫌にそう答えて、表情を引き締めた。


「では伺いましょうか。教会に巣くう、アンデッドの脅威について」

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