第119話 リーナの理由


「ルイヴラルド殿下?そんなまさか……」


 初めて聞く名前。


 だけど、これまでのジオの話と、『殿下』と呼んだリーナの言葉、それに今までの俺の知識を総合すると、誰のことを言っているのかくらいは推測がつく。


 アドナイ王国第二王子、ルイヴラルド。


 本来なら、次の国王になる第一王子を補佐して、アドナイ王国の屋台骨を支える存在。

 だけど、重度の病弱な体な上に、お世辞にも頭がいいタイプじゃないらしく、弟のジオとは常に比べられる幼少期だったらしい。

 その対立の結果、自業自得な部分もあるとはいえ王家を出ざるを得なくなったのがジオの方だったというのは、皮肉としか言いようがない。


 まあ、そんなこんなで、政敵とも言えるジオは出家して、第二王子の地位は盤石なものになった、というのが、これまでの俺の認識。


 それを覆したのが、「これは王都に帰って来てから知ったんだけど」と前置きした、ジオの言葉だった。


「僕の耳に王宮の情報が入りにくくなってからというもの、次兄の虚弱体質はさらに悪化したようでね、近年では第二王子宮に籠りっきりで、陛下御自らの見舞い以外は、何かと理由をつけて断っている有様だそうだよ」


「ジオ様の王都帰還の際にもご挨拶申し上げようと、私が名代としてお伺いを立てたのですが、にべもない返答でした。そのルイヴラルド殿下が、まさか中央教会にいらしているとは……」


 ジオだけじゃなく、いつも平静なセレスさんも動揺している様子。

 王家ともそれなりに交流があるはずのリーナも、不気味なくらいに押し黙っている。


「とにかく、先方が承知となれば、形ばかりでも挨拶に行かないわけにはいかないよ。テイル、リーナ、悪いけれどここで待っていてくれないかな」


「待ってジオ様、私も――」


「やめておいた方がいい」


 公爵家令嬢としての義務から自然に出たリーナの言葉を、言い終わらない内に却下したジオ。

 その顔には、有無を言わせない厳しさが宿っていた。


「虚弱体質を上回る、次兄の悪評を一番知っているのは、マクシミリアン公爵家だろうに。しかもリーナ、君は当事者じゃあないか。ご機嫌伺に行ったところで、不愉快どころじゃない体験をするのは目に見えている」


「けれど……」


「まあ、君の同行を知っているとは限らないし、ここは僕に任せておきたまえよ。万が一、次兄がリーナに気づいていたとしても、マクシミリアン公爵家が不利にならないようにうまく立ち回るくらいの処世術は、心得ているつもりだよ」


 あくまでもリーナを気遣う、ジオの言葉。

 その滅多に表に出さない優しさにようやく、「わかったわ」とリーナは頷いた。


「よし、話もまとまったことだし、さっそく行ってくるよ。あの次兄のことだ、今頃は遅参に対する嫌がらせの算段でもしているかもしれないからね」


「お二人はここでお待ちください。さすがのルイヴラルド殿下も、ミザリー大司教の部屋の前で騒ぎを起こすことはないでしょうから」


 そう言ったジオは、こっちに向かって一礼したセレスさんを引き連れて、長い長い廊下を歩いていった。






「気になっているんでしょう?私とルイヴラルド殿下とのこと」


 ジオとセレスさんが去って二人きりになったものの、さっきのことを引きずっているのか暗く沈んでいるリーナにどう声をかけていいのか分からずに窓の外を見ていると、彼女の方から話を切り出してきた。


「ま、まあ、興味がないといえば嘘になるけど……」


 会話の内容から察するに、王族と大貴族の間に起こった、表沙汰にはできない事情だろう。

 そこに自分から首を突っ込むのは、明らかに余計なお世話。

 そう思ったら、気晴らしに他の話題を持ちだすのも躊躇ってしまった。


「有体に言うとね、ジオ様とルイヴラルド殿下との間で、私を取り合っているのよ」


「ジオと!?」


「厳密にはちょっと違うのだけれどね」と言いながら、まるで他人事のようにリーナは語ってくれた。


 幼い頃にジオと婚約関係があったこと、そしてジオが出家したことによって婚約が事実上解消されたこと。

 そこまでは俺も知っていたけど、話には続きがあった。


 なんと、ジオが出家して間もない頃に、第二王子側から婚約の申し込みがあったそうだ。


 当時は、まだ先代死去の混乱が収まっていなかったことと、王子から王子へと乗り換える外聞の悪さを理由に、マクシミリアン公爵家は丁重に断ったそうだ。

 リーナによると、貴族の常識に照らし合わせると、これがベストな対応だったらしい。

 むしろ、血を分けた弟が出家せざるを得なくなった直後に、その婚約者を横から掻っ攫おうとした第二王子に、マクシミリアン公爵家は強い不信感を持ったんだとか。


 だけど、第二王子側はこれに強く反発。

 貴族社会にあることないこと噂を広めて、あたかも婚約が既成事実かのように見せかけようとしたのだ。


 当然、マクシミリアン公爵家も黙ってはいない。


 ジオとの婚約はまだ正式に解消されていない。

 そう、事実を少々脚色する形で喧伝し、それぞれにつく貴族を巻き込む形で、第二王子側と真っ向から対立したそうだ。


 まさに、王子と大貴族の諍いという、アドナイ王国を揺るがすほどの大事件に発展する様相を見せ始めたころ、ようやく王家が重い腰を上げた。


 マクシミリアン公爵家が入っている派閥の長、王太子が仲裁に乗り出し、第二王子とマクシミリアン公爵その人を交えて、和解。

 双方、これ以上の婚約話を持ちださないことを約束したことで、ようやく事態は沈静化したそうだ。


「……ひょっとして、リーナが冒険者になったのも?」


 ――本当に聞きたくない話だった。


 それでも、頭の中で無数に浮かび上がった聞きにくいことの中で、一番聞きやすそうな質問を、リーナに投げかける。


「冒険者になりたいって思ったこととは関係ないけれど、少なくとも王都を出るきっかけの一つにはなったわね。おてんば娘の冒険者生活のことまで、お父様に迷惑をかけるわけにはいかなかったもの」


 言外に、第二王子からの妨害を危惧して、レオンの誘いに乗る形で王都を出たと言ったリーナ。

 だとすれば、マクシミリアン公爵やお兄さんの、貴族らしからぬリーナへの気遣いも分かる気がする。


「それなら、ジュートノルに残っておいた方が安全だったんじゃないのか?なんでまた、ジオについてきたりしたんだ?」


 ――言った瞬間、これはまずいと思った。

 と言っても、別にうっかり発言だったと自分から気づいたわけじゃない。


 そう言った俺を見るリーナの眼から、「ふうん、そんなこと言っちゃうんだ」って感じの不満が、言葉以上に伝わってきたからだ。


「テイル、一つ訂正させてもらってもいかしら?」


「な、なんだ?」


「私、ジオ様についてきたつもりは、これっぽっちもないわよ」


「じゃ、じゃあ、なんで……?」


 ここで、もう答えは分かってるって言ったら、うぬぼれ過ぎだろうか。

 でも、どこまでも澄んだリーナの瞳が、それ以外なんてありえないって、俺に語り掛けてきたのが分かった以上、さすがにこれ以上はごまかせない。


「私はね、テイル、あなたについてきたのよ。王都のことを何も知らないあなたが心配で、多少の嫌な思いを覚悟して、今ここにいるの」


「あ、ああ、……え?」


「テイル、あなたがどうして色々と気づかない振りをしていて、私のことをどう思っているのか、私なりに推測はついているつもり。だから、これ以上押しつけがましいことを言うつもりはないの。だけれどね、これだけは覚えておいて」


 ずばり。


 痛いところを突かれて、それでも、それだけに、何も言えなくなった。


 そんな俺の心中を察したように、真剣な顔つきから一転、やわらかな、それでいてちょっと寂しそうな笑みを浮かべたリーナは言った。


「これくらいのことをするくらいに、私はテイルを想っているっていうこと、忘れないで」






 この日のことは忘れない。


 もちろん、リーナから想いを伝えられたって意味もある。

 だけども一つ、絶対に忘れない、忘れられない出来事が直後に起きたからだ。


 そのもう一つの出来事が、抗いがたい運命を俺達にまざまざと見せつけることになる。

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